岩見重太郎のヒヒ退治と一夜官女のものがたり
毎年2月20日、大阪市西淀川区野里に鎮座する野里(のざと)住吉神社では、一夜官女というお祭りが催されます。
これは、江戸時代は元禄以前から伝わるお祭りで、大阪府の民俗文化財にも指定されている伝統のあるもの・・・
由緒によれば、室町幕府・第3代将軍の足利義満によって創建されたこの神社ですが、神社の建つ野里という場所は淀川に近い小さな村で、度々の風水害や疫病に悩まされていたところ、
「毎年、決まった日に、子女を一人、神に捧げよ」
とのお告げがあった事から、毎年1月20日、一人の乙女を選んで、丑三つ時に唐櫃(からびつ)に入れて神社に運び、人身御供としていたところ、
ちょうど7年目の時、この村に、豪傑で知られた武者=岩見重太郎が現われ、
「神は人を救うものであって、人間を犠牲にするのは、神の思し召しではないはずだ!」
と言って、自らが唐櫃の中に入り、神社に向かいます。
しかし、翌朝、彼は傷だらけの姿となって遺体で発見されてしまいます。
その代わり、彼が命を懸けて立ち向かってくれたおかげか・・・その日以来、村は安泰の日々を送れるようになったのだとか・・・
その出来事を、後世に永く伝えるべく始まったのが、一夜官女というお祭りで、明治の終わり頃からは、月遅れの2月20日に行われるようになったとの事・・・
今では、その年に選ばれた7人の女の子が美しく着飾って神社にお参りし、神官が祝詞を唱えるという儀式となっていて、選ばれた女の子も親も名誉となるウレシイお祭りとなっています。
ところで、司馬遼太郎の小説にもなったりしている、この一夜官女の物語ですが、実は、その由緒とも小説とも少し違う、地元の伝承が残ります。
・‥…━━━☆
その昔、野里の村では、秋の実りの頃になると、収穫直前のイネが根こそぎ引き抜かれて荒らされるという事件が起こっていました。
周囲には、獣の毛や足跡があった事から、
「これは、住吉の森に住むヒヒの仕業に違いない!」
との噂となり、困った村人たちが住吉さんにお参りして、
「なんとか、ヒヒを退治してくだされ~」
とお願いしたところ、あくる日になって、お代官様が・・・
「昨日、神さんからのお告げがあった!
ぎょーさんのお供え物をして、汚れの無い乙女を差し出せば、ヒヒは暴れへんとの事や。
今度、正月の16日に、いけにえとなる娘の家に白羽の矢がたつそうや」
と・・・
その言葉通り、正月の16日に、村で一番美しい娘の家に白羽の矢がたちます。
以来、毎年々々、村のべっぴんさんが、一人ずついけにえに捧げられました。
おかげで、村が荒らされる事はなくなったものの、娘を差し出した家の悲しみは相当なもの・・・しかし、現に事件は止み、代官からも「村のため」と言われれば、耐えるしかありませんでした。
そんなこんなのある年、いけにえとなった彼女・・・
いつものように唐櫃に入れられ、神社に備えられた彼女は、誰もいなくなった真夜中、一人で、その唐櫃から抜け出します。
すると、暗がりから声が・・・
「心配すな!俺らはここにおる!」
それは、彼女に思いを寄せる村の若者とその仲間たち4人・・・
毎年、いえにえを差し出したところで、ヒヒがおとなしくなるのは、その年だけ・・・こんな事を続けていたら、毎年、美人がいなくなって、村はブサイクばっかりに・・・
もとい、
毎年、犠牲者が増えるばかり・・・
「今年こそ、自分たちでヒヒをやっつけてしもたれ!」
と集まった、勇気ある若者たちでした。
おとし穴を掘り、石や火縄も用意して準備万端・・・
そこへ、ゴォーーーという轟音きとともに、毛むくじゃらのヒヒや何頭ものイノシシが登場!
慌てて、彼女は唐櫃に戻り、男たちは戦闘準備!
集団が近づいたところで綱を引っ張り足をすくったのち、石を投げ、火縄で攻撃すると、イノシシたちは怯えて逃げ回り、やがて、ヒヒの背中の毛に火が燃え移る!!!
「あつっ!助けてくれ!」
と、なんと、ヒヒが大阪弁をじゃべった!?と、思うがはやいか、火だるまとなって苦しみながら、落とし穴に落ちるヒヒ・・・
火の勢いがおさまったところで、おそるおそる落とし穴に近づき、中を確認すると・・・
なんと、そこには毛皮をかぶった人間・・・しかも、それは、あのお代官様でした。
即座に、この代官が、毎年、供え物を奪い、娘をさらっていた事を理解する若者たち・・・
「やっぱり、ヒヒなんか、おらんかったんや!」
と、安心もしましたが、同時に・・・
相手は悪人で、しかも正当防衛の過失致死だったとは言え、彼らは代官を殺してしまった事になるわけで・・・
この事が知れたら、彼らが、どんな罪に問われるか・・・そこで、一同、相談のうえ、お察しの通りのラブラブ真っただ中だった彼氏と彼女は、二人で村を捨て、逃げる事に・・・
そして、残りの若者らは、村に戻って、こういう噂を流します。
「ヒヒを退治したのは、天下の豪傑=岩見重太郎様やて!
ちょうど、この村を通りがかって、ヒヒを、一発でやっつけなはった。」
「一人は岩見はんの家来になるって、ついて行ったわ」
「あぁ、あの娘が最後のいけにえになってしもたなぁ・・・かわいそうに」
と・・・
・‥…━━━☆
と、
「それ以来、岩見重太郎をたたえるお祭りとして神社でお祭りが行われているけれど、実は、こういう事なのよ」
という感じで、伝承は締めくくられます。
神社の由緒としてのお話は全国的でもよく聞くお話、小説はもちろん楽しい創作が入ったもの・・・そんな中、地元に残る伝承は、いかにも大阪人らしい逸話
もちろん、今となっては、何が本当なのかは、わかりませんが、由緒と伝承の違いには、大阪の庶民たちが受け継いできた、封建的な権力に対するホンネとタテマエを垣間見るようで、実におもしろいです。
仇討ちからヒヒ退治まで・・・
しかも、あの薄田隼人(すすきだはやと)(5月6日参照>>)かも知れないのだから・・・岩見重太郎(9月20日参照>>)は実に忙しいww
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コメント
「一夜官女」というタイトルが雅やかですよね。内容はひひが出てきたり、お代官様であったり、意外と土臭い?ものですが。
言葉の幻想的なイメージの拡りや響きで勝ってます。王朝文化の残照でしょうね。
投稿: レッドバロン | 2012年2月21日 (火) 13時50分
レッドバロンさん、こんばんは~
神様に一夜だけ奉仕する官女…
きっと、それは、全国各地にあったでしょうね。
確かに、響きが雅です。
投稿: 茶々 | 2012年2月21日 (火) 18時25分