「大日本帝国憲法」誕生のお話
明治二十二年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。
・・・・・・・・・・
ご存じ、今日は『建国記念の日』・・・
その由来は、初代天皇である神武天皇が、九州から畿内へ上陸し、奈良の畝傍山に白檮原宮(かしはらのみや)を建ててイスケヨリヒメと結婚して即位した皇紀元年1月1日が、太陽暦に換算すると紀元前660年2月11日となる事から・・・というお話は、以前書かせていただきました(2007年2月11日参照>>)。
同時に、そのページに、今日は『万歳三唱の日』という記念日でもある事を書かせていただきましたが、それは、戦前は『紀元節』と呼ばれていたこの日に合わせて、明治二十二年(1889年)2月11日に行われた式典に向かわれる明治天皇の前で、初めて万歳三唱が行われた日である事から・・・
・・・で、その式典というのが憲法発布記念式典・・・そう、今日2月11日は『大日本帝国憲法』が発布された日でもあるのです。
・‥…━━━☆
明治維新を迎えて、近代国家へと走り出した日本・・・
自由民権家は、憲法を制定して、それに基づく議会政治行う事を政府に求めて憲法案などを作り、マスコミを通じて公表して、その実現をあおります。
もちろん、彼らだけではなく、福沢諭吉や植木枝盛(えもり)など、色々な人が、私的な憲法案(私擬憲法=しぎけんぽう)を作成したりしていましたが、それは、イザという時は革命もいとわないフランス流の物から、立憲君主制を主張するイギリス風の物など様々・・・
もちろん、それを受けて政府内でも憲法制定が叫ばれるようになり、草案を作成したりもするのですが、なんせ、政府内には、ガッチガチの保守派もおり、天皇親政を主張する宮中勢力もありますから・・・
そんな中で、伊藤博文は、自分と同じ憲法構想を持っていた大隈重信が、ちょっとした行き違いで失脚した明治十四年の政変(10月11日参照>>)の翌年、憲法制定のための調査として、1年以上に渡ってヨーロッパの各地を訪問します。
各国の様々な資料を読みあさるかたわら、高名な学者を訪問したり、敏腕政治家と会談したり・・・と精力的に見聞する中、皇帝の権限を活かしているドイツの憲法を教えてもらい、それをモデルにして、日本の憲法を作成する決意を固めました。
帰国後は、明治十九年(1886年)から、憲法作成のため、井上毅(こわし)、伊東巳代治(みよじ)、金子堅太郎らとともに金沢(神奈川県横浜市)の東屋旅館に泊まり込んで草案の作成に取り掛かりました。
さらに、ドイツ人顧問のロエスレルにも来てもらって、彼の意見も取り入れながら・・・
まずは3つの草案を完成させ、それをたたき台にして、それこそ、寝る間も惜しみ、現在のお互いの立場を抜きにしてのホンネの話し合い・・・「あーだ」「こーだ」の意見を戦わせ、時には、お互いを罵倒しながら、中身を詰めていきます。
ところが、ある日、たまたまその時、別の部屋に置いていた作りかけの草案が入ったカバンを取りに行くと、そこに置いてあったはずのカバンがありません。
「えぇっ?」と思い、
部屋の中を隅々まで探しますが、やっぱりありません。
そう、実は、昨夜、旅館にドロボーが入り、憲法草案が入ったカバンをまるまる盗まれてしまったのです。
一同驚愕!!!
もし、それを、
自由民権派にでも見られでもしたらΣ(゚д゚;)
落ち込む彼らのもとに、「カバンが見つかった!」との知らせ・・・なんと、そのカバンは近くの畑に、無造作に捨ててあったと・・・
慌てて中身を確認すると、中にあった金品は盗まれているものの、草案はまるまる無事・・・
そう、そのドロボーは、政治的に敵対する誰かとかではなく、金目当てのホンモノ・・・正真正銘のドロボーだったおかげで、金目になる物だけを取って、ワケのわからん紙切れは、そのままにしておいてくれたんですね~
ホッと胸をなでおろす4人でしたが、さすがに、「ここでは危険だ」とわかって、その後は伊東の別荘で話し合われ、ついに完成・・・
そして、完成した物を枢密院(すうみついん=審議機関)に持ちこんで、明治天皇を交えて、さらに審議・・・
かくして明治二十二年(1889年)2月11日、発布されたそれが『大日本帝国憲法』です。
発布されるこの日まで、国民にいっさい知らされなかった事から、この憲法が伊東の独裁と言わる事もありますが、幕末から明治の変化のスピードを考えてもみてください。
確かに、話し合いや協議は重要ですが、猛スピードで事を運ばねばならない明治維新のような時代・・・時には独裁と言われるほどの統率力とリーダーシップを持った指導者でなければ、事が進んでいかないという事もあるように思います。
こうして、日本は、東洋で初めて近代的な憲法を持つ国家となったのです。
・・・と、本日は『大日本帝国憲法』の誕生の話に終始してしまいましたが、その中身については、また、いずれかの「その日」に書かせていただきたいと思います。
*その他、伊藤博文関連のお話は…
●一世一代…伊藤博文の日の丸演説
●内閣総理大臣・伊藤博文くんを評価したい
●伊藤博文・暗殺~真犯人は別にいる?
.
「 明治・大正・昭和」カテゴリの記事
- 600以上の外国語を翻訳した知の巨人~西周と和製漢語(2023.01.31)
- 維新に貢献した工学の父~山尾庸三と長州ファイブ(2022.12.22)
- 大阪の町の発展とともに~心斎橋の移り変わり(2022.11.23)
- 日本資本主義の父で新一万円札の顔で大河の主役~渋沢栄一の『論語と算盤』(2020.11.11)
- 恵方巻の風習と節分お化けの記憶(2020.02.03)
コメント
茶々さま、今晩は。
しかしまあ、憲法草案を泥棒に盗まれたとは…。知りませなんだ。
四人組の唖然・茫然とした顔を想像すると、おかしいですが、今も昔も、機密保持はなっておりませんね。
純然たる?民間泥棒で 事なきを得ましたが、この調子でやってると、最後は致命傷を負いますよね。
投稿: レッドバロン | 2012年2月11日 (土) 18時13分
レッドバロンさん、こんばんは~
見つかるまでは、生きた心地がしなかったでしょうね。
ホント。純粋の泥棒で助かりましたね。
投稿: 茶々 | 2012年2月11日 (土) 22時25分
大日本帝国憲法の発布も今日だったとは、知りませんでした。
私、共著ですが、「国民がつくる憲法」自由国民社2007年 という本を上梓したこともあるのに・・・
祝日が土曜日って損した気分なんて考えてました(笑)
投稿: Lisa | 2012年2月11日 (土) 23時29分
Lisaさん、こんばんは~
逆に、祝日が月曜日か金曜日だと得した気分になりますね。
投稿: 茶々 | 2012年2月12日 (日) 02時09分
大日本帝国憲法が制定された背景には、日米修好通商条約の不平等を改正することだけでなく、五箇条の御誓文では、効果が薄いと感じたことが要因ではないでしょうか。何しろ、自由民権運動の高まりもあって、岩倉具視が、憲法の制定に前向きな考えを示すようになったとも言われているようですからね。そういえば、最近は、安倍晋三首相を中心にして、日本国憲法の改正に対する論議が、与野党のあいだで巻き起こってますね。果たして、憲法が改正されるのかどうかは分かりませんが、日本の未来を左右することになるでしょうね。
投稿: トト | 2015年11月25日 (水) 08時44分
トトさん、こんにちは~
憲法が制定された背景や成り立ち、また、その内容についてとなると、一つの学問分野…一生モンの探究になってしまうので、なかなかにしんどい…憲法は難しいです(^-^;
投稿: 茶々 | 2015年11月25日 (水) 15時53分