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2012年2月 9日 (木)

旧第四師団司令部庁舎の特別公開に行ってきました!

 

先日、旧第四師団司令部庁舎の特別公開に行って参りました~

・・・・・・・・・

このブログでも何度か書かせていただいております通り、現在、復興天守閣を中心に大阪城公園として皆さんの憩いの場になっているあの場所は、古くは石山本願寺として織田信長と対抗(5月3日参照>>)、その後に豊臣秀吉難攻不落の城を造り(9月21日参照>>)、次に天下を取った徳川がまったく新しい城郭を構築し(1月23日参照>>)、やがて迎えた幕末・鳥羽伏見の戦いに敗れて(1月9日参照>>)明治新政府の物となった後は、陸軍所(後の陸軍省)が置かれ、近代日本の陸軍発祥の地となった場所です。

その後、陸軍省は東京に移転しますが、大阪城内には大阪鎮台が置かれ、その大阪鎮台が第四師団司令部と名を変え、昭和の時代には、周辺に様々な陸軍施設が建ち並び、東洋一の軍需工場となっていました。

そんな中で持ちあがった天守閣復興案・・・(11月7日参照>>)

それは、
大阪市民の悲願でもあり、
昭和天皇の即位御大典の記念事業でもあり、
当時の大阪が人口200万人を越える日本一の大都市になった勢いもありで、陸軍の移転費用と天守閣の復興費用のすべてを、大阪市民の寄付でまかなう事を条件に、それは実現される事になります。

つまり、この建物は、その時に、大阪城の天守閣とともに、昭和六年(1931年)建てられた第四師団司令部庁舎という事ですね。

もちろん、当時は天守閣が復興されたとは言え、公園として整備されたのは、現在の公園の敷地に比べればごく一部で、他にも多くの軍事施設が建っていましたが、現在に残るのは、以前ご紹介した大阪砲兵工廠化学分析場(6月7日参照>>) と、この第四師団司令部庁舎ぐらいです。

今となっては、この第四師団司令部庁舎が、大阪市内に残る最も大きな軍事施設の跡という事になってしまいました。

確かに、戦争はイカンですが、戦争の悲惨さを語り継ぐ施設としても、また、近代建築を保護するという意味でも、個人的には、この第四師団司令部庁舎を、この先も残していっていただきたいと願っています。

たとえば、同じく大阪城内にあった旧砲兵工廠本館などは、悪しき戦争の遺物として昭和五十六年(1981年)5月取り壊され、その跡地には、現在、大阪城ホールが建っていますが、実は、その本館は、有名建築家のデザインによる重要文化財クラスの近代建築だったわけで・・・
「もう、それが見られない」と思うと、やはり、ちょっと寂しい気がします。

まぁ、今のところ、この第四師団司令部庁舎は残す方向となってるようなので、安心なのですが・・・

アッ、言い忘れてましたが、第四師団司令部庁舎は、戦後、約3年間進駐軍に接収された後、解除後は大阪市警視庁大阪府警となっていましたが、やがて市立博物館として使用された後、その博物館の品々が大阪歴史博物館に移された事で、現在は閉鎖となっています。

では建物を見てみましょう。

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旧第四師団司令部庁舎・外観

全長約95mの鉄筋コンクリート、地下1階・地上3階の建物は、塔屋を配したシンメトリー=左右対称で、西洋の城郭をイメージした造りになっています。

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大階段

玄関を入った中央にはこれまた左右対称の大階段があり、南北(入った正面から見ると左右)一直線中央に廊下が走り、その廊下に沿って各部屋が並びます。

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中央廊下
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貴賓室

玄関のちょうど上に当たる位置の2階にあるのが貴賓室・・・最も豪華で格式のある部屋で、西側(建物正面側)には3つの窓が設けられ、真ん中を除く左右2つの窓は扉となっていて、玄関上のバルコニーに出られるようになっています。

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貴賓室前のバルコニーです

この建物が現役の頃は、このバルコニーに立てるのは天皇皇后・両陛下だけだったとか・・・しばし、ウットリ(゚ー゚)

屋上に登れば、天守閣を間近に見ながらの360°の視界で、大阪市内を一望できます。

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旧第四師団司令部庁舎・屋上

屋上にペントハウスのように建ってる塔屋の上には、今も、迎撃用の銃器を置く銃座があるそうですが、残念ながら、中の階段がグズグズの為、立ち入り禁止となっていて見られませんでした。

今回は、特別公開という事で、チョコッとだけ中に入らせていただきましたが、中に入らずとも、スクラッチタイルが貼られた豪華な外観はなかなか見ごたえありなので、大阪城におこしになられた時は、ぜひ、天守閣だけでなく、この旧第四師団司令部庁舎の建物のそばに行って、当時の技術の粋を集めた建築を堪能してみてください。

また、最近の報道によれば、新しい市長さんは、何やら、府庁の建物とコラボして・・・なんて構想があるようなので、今後は、一大観光地として生まれ変わるかも・・・

楽しみですね。
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コメント


東京の 旧近衛師団司令部は、近代美術館になってます。第四師団司令部も残って良かったです。
自慢じゃありませんけど(?)東京は、江戸時代に数百もあった大名・旗本屋敷の、一軒も残ってませんからね。「近代」残さなかったら、何んにも無いですよ。

そう言えば、わが母校にも、陛下が卒業式にいらっしゃる際に利用される貴賓室がありました。態様は似てますが、第四師団のそれ、ベランダではなくて、バルコニーでは?ちーと、気になりました。

投稿: レッドバロン | 2012年2月 9日 (木) 19時30分

レッドバロンさん、こんばんは~

そうだ!
ベランダじゃなく、バルコニーですね。
その単語を忘れてました~

確かに、西洋の城郭モチーフでベランダはないですね

書き変えときます。

投稿: 茶々 | 2012年2月10日 (金) 02時50分

この頃に建てられた建物は現代とは違う雰囲気があっていいですね。
現代よりも重々しく感じられます。

私の住む近くに、陸軍の司令部にするため山に穴を掘ってたら終戦になったという所があります。
建築物ではないですが、歴史を語り継いでほしいです。

投稿: Ikuya | 2012年2月11日 (土) 13時26分

Ikuyaさん、こんにちは~

おっしゃる通り、ドッシリ感がイイですね~

大阪城の空堀にも、第2次世界大戦中に掘られた抜け穴みたいなのがあります。
全容はよく知りませんが…

投稿: 茶々 | 2012年2月11日 (土) 15時44分

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