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2012年3月 9日 (金)

大坂夏の陣の激戦地=道明寺天満宮の梅が満開

 

昨日はチョイとおでかけをしておりました。

道明寺天満宮を起点に、大坂の陣・道明寺合戦の古戦場を散策・・・

とかく、豊臣秀頼淀殿自刃や大坂城の炎上真田幸村(信繁)討死などに注目が集まる大坂夏の陣ですが、このブログでも度々書かせていただいている通り、この道明寺周辺をはじめ、若江八尾など、複数の野外戦も行われていたわけで・・・

 

★参照
 ・道明寺・誉田の戦い
  【後藤又兵衛基次・起死回生の大坂夏の陣】
  【奮戦!薄田隼人~IN夏の陣】
 ・若江の戦い
  【若江に散った四天王=木村重成】
 ・大坂夏の陣・八尾の戦い
  【夏の陣・八尾の戦い~ちょっとイイ話】

とは言え、昨日の今日で、内容をまとめるなんて事は、とてもとても・・・一朝一夕というわけにはいかないので、細かな事は、おいおい、おりにふれて、それこそ、大坂夏の陣のお話をさせていただく時に、随所に散りばめさせていただくとして・・・

本日は、せっかく、梅の盛りの季節に訪問させていただいた、その現地視察の起点の場所=道明寺天満宮のお話と梅園の写真の数々をupさせていただきます。

Dscf0882pa1100 道明寺天満宮・梅園(パノラマ撮影)

・・・と、「今が盛り」と書かせていただきましたが、実は、昨日はまだ7分咲き・・・

しかし、天満宮の禰宜(ねぎ)南坊城光興さんのお話によりますと、梅は…特に、梅園や梅林というような、梅が複数ある場合は、満開より7分咲きが、一番の見ごろなのだそうです。

というのは、梅が複数ある場合、大半が満開になると、逆に、その中で早く咲いた梅は、すでに盛りを終えた感じになってる事が多い・・・

Dscf0877a800

でも、梅は、つぼみも楽しむ花なので、大半が、まだつぼみをつけている7分咲きで、その中で一部早く咲いた物が満開になってるという段階が一番美しいのだとか・・・

昨日は、ちょうど、その段階で、見事な梅園を拝見させていただきました~

天満宮は、ご存じ、学問の神様=菅原道真公をお祀りする神社ですが、この道明寺天満宮は、全国に数多くある天満宮の中で、唯一、生前の道真公にゆかりのある場所です。

Dscf0896a800

道真公が、政争に敗れて(無実と言われます)(1月25日参照>>)大宰府に左遷となり、かの地で死亡・・・その恨みが怨霊となって災いをもたらした事から(6月26日参照>>)大宰府天満宮や北野天満宮など、道真公ゆかりの地に天満宮が建立される事になりますが、この道明寺天満宮は、その前身を土師(はじ)神社と言い、もともと土師氏の氏神様だったわけです。

・・・で、この土師氏というのが道真公の属する一族・・・

もともとあの垂仁天皇の時代に、日本初の相撲の死合(しあい)(7月7日参照>>)当麻蹶速(たいまのけはや)に勝利した野見宿禰(のみのすくね)が、その褒美に、この道明寺一帯を領地としてもらい請け、土師氏を名乗ってはにわ制作を担当する一族となりますが、その土師氏が、のちに菅原に改姓し、道真公に至るというわけです。

天満宮の近くにある道明寺も、もとは土師寺と称した土師氏の寺で、寺と神社は一体の物でしたが、ご存じの神仏分離で別れ、コチラも現在は道明寺という名前になっているのです。

大好きな叔母様がいた場所でもあり、度々、この地を訪れていた道真公・・・天満宮には、道真公ご愛用の硯など、宝物も数多くありますので、機会がありましたら、せひ、訪れてみてください。

もちろん、梅園に広がる約800本の梅も、まだまだ見頃で、この日曜日=3月11日までは「梅まつり」も開催していますヨ。
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京都・大阪・奈良史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

太宰府の飛梅は有名ですが。道明寺と聞いたら、「桜餅」かと思いました。

投稿: やぶひび | 2012年3月 9日 (金) 22時41分

いや~きれいですね
色々勉強になります!!
つぼみも楽しむ花かぁ~、
素敵です!!
ほっこりした気分になりました(*^ω^*)ノ彡

投稿: もりし | 2012年3月10日 (土) 00時28分

やぶひびさん、こんばんは~

(twitterでも聞かれましたが…)
昔、道明寺で造ってた蒸したもち米を乾燥させた「干し飯」という保存食を粉にしたのが道明寺粉で、桜餅のピンクの部分のアレです。

関東の桜餅は、道明寺粉を使わないので、関東では、関西風の桜餅の事を「道明寺」と呼ぶって聞きましたが、そうなんでしょうか?

投稿: 茶々 | 2012年3月10日 (土) 01時07分

もりしさん、こんばんは~

確かに、梅は、先っぽにつぼみがついているほうが絵になりますね~

私も、聞いて「なるほど」と思いました。

投稿: 茶々 | 2012年3月10日 (土) 01時09分

関東の桜餅も道明寺も、スーパーで両方売っています。☆首都圏のライフは、関西のダシや醤油もおいてあります。大阪に懸賞好きなブロ友がいて、このスーパーの話が出ます。

投稿: やぶひび | 2012年3月10日 (土) 11時15分

関西風の桜餅は、「道明寺」と呼ばれています。☆「八ツ橋」と言うと「生八ツ橋」だと思っている人も多いです。堅い方がメジャー?

投稿: やぶひび | 2012年3月10日 (土) 13時03分

桜餅に関して。
関東風は「長命寺」、関西風は「道明寺」の別名がありますね。関東では3月上旬~4月上旬まで、関西では桜の満開日前後に和菓子店で売るそうですね。3月3日の「グレーテルのかまど」で詳しい説明がありました。
「道明寺」と聞くと「花より男子」の人物の事を思い出します。

今週ようやく梅が咲きました。
来年の大河ドラマは「桜満開」となればいいですね。

投稿: えびすこ | 2012年3月10日 (土) 15時56分

やぶひびさん、こんにちは~

>「八ツ橋」と言うと…堅い方がメジャー?

「堅い方がメジャー」というより、ほんの2~30年前までは、堅いのしか売ってませんでした。

堅いのは、昔は人気があったようですが、高度成長期頃、いわゆるケーキだプリンだといったようなお菓子が人気となると同時に、その堅さゆえ、少々低迷気味だったところ、焼く前の生の八ツ橋であんこをくるんだ「おたべ」なる商品が大ヒットした事で、各社、そっちが主流となったんでしょうね。

「おたべ」が出始めた頃は「生八ツ橋」って呼んでましたが…

投稿: 茶々 | 2012年3月10日 (土) 16時05分

えびすこさん、こんにちは~

関西風の桜餅の「道明寺」の別名は、関東の方からの呼び方でしょうね。
大阪では聞いた事ないです。
おはぎにも道明寺粉が使用されてますから、あえて桜餅だけ道明寺と呼ぶ事は無いと思います。
関東風の桜餅は、未だにテレビか本でしか見た事がないくらい関西では売られてませんから…

>来年の大河ドラマは「桜満開」

私としては、八重さんの事をジョーが「梅」に例えている歌があるので、どちらかと言えば「桜」より「梅」のほうが個人的には良かったんですが…
まぁ、「梅」じゃ、ゴロも合わないですからね

投稿: 茶々 | 2012年3月10日 (土) 16時16分

茶々さま、こんにちは〜東京はみぞれが降って、陰々滅々、寒いですぅ。

祖先が 最後の戦いに出た場所なのに、今まで 桜餅の「道明寺」と地名が結びついてませんでした。代々、問題意識なく食べてましたね(汗)

ちなみに 我が家の守り神は天神さまです。

投稿: レッドバロン | 2012年3月10日 (土) 17時33分

来年の大河ドラマは「八重の桜」では?地元では、PR用のロゴが入ったバスも走っているとか〜
☆仙台の友人のブログに、夫の京都出張土産のニッキの「生八ツ橋」が口に合わなかったと書いてあったんです。貰いものの堅い八ツ橋のゴマ味(西尾)を送ったら、美味しいと絶賛。今回の京都出張で買ってきたそうです。知らない人多いみたいです。

投稿: やぶひび | 2012年3月10日 (土) 20時28分

レッドバロンさん、こんばんは~

私は、小学校だか中学校だかの時に、初めて桜餅を手造りした時に、使ったのが道明寺粉だったので、その時に、昔、道明寺て造っていた「干し飯」の事を聞きましたが、関東で、桜餅そのものを「道明寺」と呼ぶというのは、最近まで知りませんでした。

投稿: 茶々 | 2012年3月11日 (日) 00時21分

やぶひびさん、こんばんは~

大河の題名は「八重の桜」ですね。

えびすこさんへのお返事は、その「八重の桜」が満開=視聴率も満開となると良いですねという意味でお返事しました。

八ツ橋も、「焼いたのが好み」という人も少なくないです。

投稿: 茶々 | 2012年3月11日 (日) 00時29分

関東で関西風桜餅を道明寺と呼ぶのは、関西風桜餅が道明寺粉を材料に作られた、桜餅の変わり種だからです。桜餅が1717年江戸で考案され大人気となったことは文献資料等から明らかで、元祖の店は今も健在です。
道明寺は1840年代に大阪で素材を変えて作られたものです。江戸~東京では本来の桜餅と区別するため道明寺(桜餅)とよんできました。道明寺しか売られてない地方では、それが桜餅だと思い込んできた、というだけの簡単な話なんです。

投稿: ふう子 | 2013年2月28日 (木) 12時36分

ふう子さん、こんにちは~

そうですね。
以前、和菓子のページ>>にも書かせていただきましたが、江戸の桜餅は確かな記録が残っているので、徳川綱吉の時代の山本新六さんの発案というのがハッキリしているようですが、関西の桜餅に関しては諸説ありますね。

1番古い物では、天和三年(1683年)に、京御菓子司「桔梗屋」の河内大掾が記した菓子目録の中に「さくらもち」の名が見えますが、果たして、これが、関西風なのか?江戸風なのか?それとも、まったく違う「さくらもち」なのか?…いつか解明されるとイイですね。

投稿: 茶々 | 2013年2月28日 (木) 14時49分

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