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2012年4月23日 (月)

日清戦争の後の「三国干渉」のこと

 

明治二十八年(1895年)4月23日、4月17日に締結された下関条約について、ロシア・ドイツ・フランスの3ヶ国の公使が異義を申し立てました。

教科書にも出て来る『三国干渉』というヤツですね。

・・・・・・・・・

明治二十七年(1894年)7月から約10ヶ月に渡って繰り広げられた日清戦争は、明治二十八年(1895年)4月17日の下関条約の締結によって終結を迎えました。

くわしくはそれぞれのページで・・・

しかし、その条約締結から、わずか5日後の明治二十八年(1895年)4月23日、その下関条約の中にある「遼東(りょうとう)半島の割譲」について、ロシア・ドイツ・フランスの3ヶ国の公使が異義を申し立てて来たのです。

早速、政府は、アメリカイギリスイタリアの各駐在公使に対して、日本に味方してくれるよう働きかけますが、未だ列強との絆は、そう強くないこの時期・・・各国は、「日本の味方にもならない代わりにアチラにもつかない」と、中立の立場に立つ事を約束してくれるだけでした。

さて、どうする???

戦争の終了直後という事で、首脳陣それぞれが忙しいさ中、とりあえず集まったメンバーに明治天皇を迎えての御前会議が開かれますが、やはり、どう考えても、日本の行く道は三つの内の一つ・・・

●例え戦争になったとしても、この異義を拒絶か、
●異義を受け入れて、遼東半島を返すか、
●列国会議を開いて問題処理にあたるか、

この中では、究極の選択を避けるべく、「列国会議を開くのが妥当」という意見も多かったようですが、一方では徹底抗戦を叫ぶ声もありました。

なんせ、列国会議を開けば、当然、その席で、それぞれの国の利害関係が入り乱れてトンデモない話し合いに展開する事も予想され、結局は、下関条約も無かった事にされる危険性もあり・・・

こうして、会議に会議を重ねて話し合われた結果・・・三国干渉と清国との事を別物として、三国が異義を申し立てる遼東半島の事のみを譲る事とし、

5月5日
「日本帝国政府は露・独・仏三国政府の友誼(ゆうぎ)ある忠告に基づき奉天半島(遼東半島)を永久に占領する事を放棄する事を約す」
との回答を決定したのでした。

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教科書でお馴染のビゴーの風刺画…列強の仲間入りをすべく、新入りの挨拶する日本(横浜開港資料館蔵)

当然の事ながら。この結果に世論は沸騰し、マスコミも「せっかくの三国のご好意なのだから、国民もそれに酬いないとね」なんて事を、皮肉たっぷりに書きますが、いかんせん、国力のほとんどを日清戦争につぎ込んでしまった日本には、列強を相手に対抗する力は残っておらず、しばらくの間は現状に耐え抜いて、力の回復にまい進するしかありませんでした。

しかも、これで、東アジアの情勢はますます複雑になってしまいました。

ドイツが山東半島に、イギリスが九竜半島に、フランスは広州湾に、アメリカはハワイに・・・それぞれが触手を伸ばしはじめ、果ては、かの遼東半島にロシアが手を出したひにゃ・・・

こうして、日本全体が『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)=「成功を得るために、今は苦労に耐える」のスローガンのもと、ロシアと敵対していく事となります。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

こんにちわ!
私も歴史が好きで特に幕末から昭和の初期にかけての本を読んでいます。
歴史は繰り返すとよくいいますが、なんとなく納得したりしています。
一番興味があるのは剣豪伝ですが、最近はいろんな本を読んでいます。

投稿: マービー | 2012年4月23日 (月) 20時13分

この後、ロシアがシカトして遼東半島の租借権を獲得した上に、旅順を要塞化しますね。

この報を聞いて、日本国民が怒ったの何の…。長家のおかみさんが洗濯物を地面に叩きつけて怒ったと言います。

近代日本にとって 宿縁とも呼ぶべき深いゆかりのある半島です。

投稿: レッドバロン | 2012年4月23日 (月) 21時49分

マービーさん、こんばんは~

>幕末から昭和の初期にかけて…

あぁ、一番苦手な時代です(。>0<。)
ブログを書くにあたって再度勉強する事で、少しはマシになりましたが、まだまだ近代史には私見を挟む余裕がありません。

私も、もっといろいろな本を読んでいきたいです。

投稿: 茶々 | 2012年4月24日 (火) 04時12分

レッドバロンさん、こんばんは~

>長家のおかみさんが洗濯物を地面に叩きつけて…

スゴイですね~

遼東半島は、この後の日露戦争でも舞台になる場所ですものね…ゆかりは深いです。

投稿: 茶々 | 2012年4月24日 (火) 04時14分

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