高師直に横恋慕された塩冶高貞の悲劇
興国二年・歴応四年(1341年)4月3日、室町幕府の執事であった高師直の讒言により、謀反の疑いをかけられた塩冶高貞が出雲にて自害しました。
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鎌倉倒幕に足利尊氏(たかうじ)の側近として活躍し、室町幕府のもとで執事(しつじ)という重要な役職についた高師直(こうのもろなお)・・・
そんな師直の逸話の中でも、超有名な塩冶高貞(えんやたかさだ)の奥さんへの横恋慕でありますので、これまでも、師直さんが登場するページ(2月26日参照>>)や兼好(けんこう)法師のページ(2月15日参照>>)などにチョコッと書かせていただいているのですが、今回は、さらにくわしく・・・『太平記』に沿ってご紹介させていただきます。
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時は延元四年・暦応二年(1339年)・・・あの後醍醐(ごだいご)天皇が崩御され、その後を継いだ第9皇子の後村上天皇のもと、南朝の政務を取り仕切る事になった北畠親房(きたばたけちかふさ)が、北国で踏ん張る脇屋義助(わきやよしすけ=新田義貞の弟)や奥州の北畠顕信(あきのぶ=親房の次男)、九州で勢力を誇る懐良(かねよし・かねなが)親王(3月27日参照>>)らに、
「亡き後醍醐天皇の遺志を継いで、義戦にまい進しようぜ!」
と、ゲキを飛ばします。
これを受けて間もなく、義助は、北朝側の守護・斯波高経(しばたかつね)が守る黒丸城(福井県福井市)を攻撃し、高経を追いだして黒丸城奪取に成功します。
この報を受けた北朝側は、すぐに海路から後方支援をする部隊の派遣を決定・・・この軍司令官に任命されたのが、鎌倉時代からの出雲(島根県)の守護職だった塩冶氏の塩冶高貞でした。
大役を仰せつかった高貞がせっせと、その準備に励んでいる頃、一方の高師直は長期休養をいただいていて、宴会に明け暮れる毎日・・・
そんな中のある日のイベントで、『源頼政の鵺(ぬえ)退治』(4月10日参照>>)の一段を平家琵琶で聞く会があった時、その後の宴会で、「頼政が鵺を退治した褒美に菖蒲(あやめ)の前という美女を貰った」という話から、その場にいた男どもの間から、
「命がけで退治して、褒美が女1人て・・・やってられへんなぁ」
「ホンマやで、そら、領地の一つも貰わんと・・・」
てな声が出ます。
しかし、女大好きの師直・・・そこは
「いやいや・・・俺は女のほうがええな!俺やったら、領地より美女を選ぶわ」
キッパリと宣言・・・
それを、横で立ち聞きしていた女官が、やにわにしゃしゃり出て
「菖蒲の前も、到底及ばんほどの美しさと評判の後醍醐天皇の縁続きの姫の噂、知ってはりますか???」
と・・・
「美女がいる」と聞いたら、もう、会いたくてたまらない師直・・・
女官から、「その女性はすでに塩冶高貞の妻になっている」と知らされてもなお、その気持ちが修まりません。
そこで、書に関しては右に出る者はいないと評判の吉田兼好にラブレターの代筆を頼みます。
匂い立つほどの香を焚き込めた美しい紙に一世一代の口説き文句を書いてもらって、早速、それを使いの者に持たせて、高貞の妻へと送る師直・・・
しかし、戻って来た使者は、手紙を持ったまま・・・
実は、使いの者が渡した手紙を、奥さんは一旦、手には取ったものの、封も開けずに、そのまま庭に捨てたと・・・それで、「誰かに拾われては困るので、慌てて、それを拾って持って帰って来た」という事だったのです。
それからというもの、かの女官を呼び寄せては、
「1回でええから会わせろ!会われへんねやったら、お前を道連れに死んだる!」
と、女官を脅します。
たまりかねた女官は、奥さんの風呂上がりのスッピンを見せて(当時は濃い白塗り化粧なので)、何とか師直の熱を冷まさせようとしますが、それが逆効果に・・・
湯殿から出て来た彼女を見た師直は、その妖艶な姿に昇天・・・気が動転してワケのわからない単語を口走り始めた師直の様子を見た女官は、怖くなって、女官という職業を退職・・・どこへともなく姿を隠してしまいました。
手紙は捨てられるし、知り合いの女官という唯一のつながりも断たれてしまった師直は、
「こうなったら、高貞を失脚させて、嫁はんを奪い取ったれ!」
とばかりに、
「高貞は、幕府転覆の陰謀を企ててまっせ」
と尊氏に告げ口したのです。
このチクリの一件を耳にして、身の危険を感じた高貞は、一旦、帰国してから挙兵し、師直を討ってから、幕府に無実を訴えようと、まずは、故郷=出雲へ急ぎます。
夫からの知らせを聞いた奥さんも、家臣たちとともに、5歳になる息子を連れて、別ルートで出雲へ・・・
しかし、これを師直が放っておくはずはなく、すぐさま追手を差し向けます。
高貞はともかく、女子供連れの奥さん一行は、残念ながら、すぐに追手に追い付かれてしまいます。
何とか妻子を乗せた輿(こし)を、近くにあった小屋に隠し、その前で二人を守りながら奮戦する家臣たちでしたが、その守る者も1人減り、2人減り・・・やがてどうしようもなくなったところで、忠臣の八幡六郎という武士が、小屋の前に仁王立ちとなって、高貞一族の1人である山城守宗村(やましろのかみむねむら)に言い放ちます。
「ここで、防いでいる間に、おふたりを刺して、アンタも自害しなはれ~~」
即座に小屋の中に駆け込んだ宗村・・・断腸の思いで、まずは奥さんを刺し、泣き出して母の遺体にすがりつく幼児をしっかりと抱きしめ、その小さな体もろとも、自分自身を貫いて息絶えたのです。
一方、何とか追手をかいくぐって出雲まで到着した高貞・・・しかし、ここで妻子の死を聞かされる事になります。
興国二年・歴応四年(1341年)4月3日、知らせを聞いた高貞は、なんと馬から降りる事すらなく、馬上で切腹して果てたのだとか・・・
それも、
「七度(ななたび)生まれ変わってでも、師直への怨みを晴らしてやる!」
と叫びながら・・・
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と、『太平記』では、
この後、こんな感じの悪行が重なったために師直は破滅に追い込まれたのだ・・・と、この話を締めくくります。
とは言え、ご存じの通り、この『太平記』自体が、どこまで史実の通りなのか?という問題もあるわけですが、その論議は、また、別の機会にさせていただく事として、
そもそもは、この南北朝時代の確実な史料という物が少ない中での一つのエピソードとして、心に留めておきたい物語ではあります。
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コメント
もしこれが本当の話だったら、師直=女の敵!…タフマン法皇様もびっくりです。
さて、この掛け軸に描かれている女性がくだんの奥様なんですかね?セクシー美女で、これまたびっくり。
投稿: 千 | 2012年4月 3日 (火) 20時51分
千さん、こんばんは~
その通り、この方が奥さんで後ろで覗いてるのが師直です。
明治の画家・菊池容斎の「塩冶高貞妻出浴図」(板橋区立美術館蔵)という絵です。
美人ですね~
投稿: 茶々 | 2012年4月 4日 (水) 03時33分
エロい..。でも、ろくに働いてから、女を奪って欲しかった。
投稿: ゆうと | 2012年4月 4日 (水) 17時06分
ゆうとさん、こんばんは~
太平記では、すごく悪人に描かれてしまっている師直さんですが、たぶん、武士としては、それなりに優秀な人だったと思いますよ。
幕府内で出世してたわけですし…
投稿: 茶々 | 2012年4月 5日 (木) 01時24分
昔にもストーカーはいるんですね(lll゚Д゚)
優秀でもストーカー……。
完璧な人はなかなかいないもんです。
事実ならば高貞さんの師直への怨みは晴らされたということでしょうか?
破滅したということですし
投稿: ティッキー | 2012年4月 6日 (金) 17時51分
ティッキーさん、こんばんは~
今年の大河に登場する西行も、優秀だけどストーカーですね。
破滅っていうのも、室町幕府側の言い分っぽいですからね~
太平記は、尊氏が戦に負けても褒めてたりするので、足利によって葬られた師直さんはケチョンケチョンですよね~
投稿: 茶々 | 2012年4月 6日 (金) 18時53分