信康・自刃のキーマン…信長の娘・徳姫
永禄十年(1567年)5月27日、徳川家康の長男=竹千代と織田信長の娘=徳姫が結婚しました。
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ともに9歳の新郎新婦は、お察しの通り、織田信長と徳川家康の関係を、より強化するために設定された政略結婚です。
この竹千代という人は、家康の正室=築山殿(つきやまどの=瀬名姫)との間に生まれた長男=信康(のぶやす)の事・・・(以下、信康さんと呼ばせていただきます)
徳姫は、五徳(ごとく)とも呼ばれ、母は生駒の方(吉乃)(9月13日参照>>)と言われますが、記録の矛盾点も多く、はっきりはしてません。
とは言え、ともに嫡男&長女のこの縁組は、両家の大きな期待を以って仕組まれた縁組である事は確か・・・
その後、二人ともが18歳になる頃に長女が誕生し、翌年には次女も誕生しますが、男子が生まれる事がなく、しかも、夫婦仲があまりおよろしくなかった・・・
そう、このあたりから夫婦不仲説とともに、嫁姑バトル説など、後々の事件を臭わせる黒い噂が浮上して来ます。
一説には、徳姫との間に男子が生まれない事を心配した築山殿が、息子=信康に側室を迎えさせた事が、嫁姑バトルの発端・・・なんて言われますが、ご存じのように、側室を迎えるのが当たり前の時代に、そんな事でいちいちヤキモチを焼く姫様はおられません。
てか、ヤキモチを焼くなら、むしろ夫婦仲はある程度良好なわけで、おそらくは、嫁姑の関係より、夫婦の不仲の方が深刻だったんじゃないかな?と思います(想像ですが…)。
そんな中で、徳姫から父へ発せられたのが、あの『十二か条の弾劾文(だんがいぶん=チクリ状)』・・・
以前、築山殿のページ(8月26日参照>>)にも書かせていただきましたが、もう一度・・・
- 築山殿は、私と信康様との仲を裂こうとする
- 築山殿は、女の子しか生んでない私の事を「役立たず」と言って殴る
- 築山殿は、岡崎城内の豪華な邸宅で贅沢三昧やってる
- 築山殿は、甲州の唐人医師・減敬(げんきょう)と浮気してる
- 築山殿は、武田勝頼に織田と徳川の両家を滅ぼして欲しいと言った
- 築山殿は、両家が滅んだ後は、私を武田の家臣の妻にして~と頼んだ
- 武田から、小山田という家臣が妻とする証文が送られてきた
- 近頃、岡崎城下で踊りが流行ってるのは信康が悪いからだ
- 信康は、踊りが好きなので踊りの下手な者を弓矢で射殺する
- 信康は、鷹狩で獲物がなかったため不機嫌になり、通りがかった僧侶をなぶり殺した
- 信康は、私の侍女を「おしゃべり女」と言って口を裂いて殺した
- あと一つがわかりません…ここに書き込みますので誰か、教えてくらはい
再び・・・「なんじゃ、こりゃ~」の書状です。
っで、この徳姫から送られて来た書状を見た信長が、家康の家臣=酒井忠次(さかいただつぐ)に、
「これ、ホンマなん?」
と聞いて、忠次が
「ホンマです」
と言ったので、
信長から家康に、
「嫁=築山殿と息子=信康を殺せ」
という命令が出た・・・
そして、家康は、信長に言われた通り、築山殿を殺害して信康を自刃に追い込む(9月15日参照>>)・・・というわけですが、その信康さんのページ&築山殿のページに書かせていただいてるように、どうにもこうにも腑に落ちません。
『常山紀談(じょうざんきだん)』には、実は、この時の忠次が、信康のもとに侍女として仕えていた美女を、自分の愛妾にした事で、なにやら、信康との関係が悪化していて、信長の問いに対して「ホンマです」と答えた・・・なんて話も出ていますが、
そもそも、この忠次の肯定うんぬんよりも、もともと、この徳姫の手紙自体が、江戸時代になってからの記録にしか出て来ない話のようですし、その内容も書きかえられた形跡もあるとかで、本当に徳姫がこんな手紙を書いて信長に贈ったのかどうか疑問視されています。
なんとなく、徳川家内のゴタゴタ処理を、信長さんとその娘のせいにしている気がしてなりませんね。
とにかく、こうして、夫=信康が自刃してしまった事で、徳姫は、二人の娘を徳川家に残したまま、美濃(岐阜県)へと戻り、信長の嫡男=徳姫にとっては兄にあたる信忠(のぶただ)(11月28日参照>>)のもとに身を寄せます。
ところが、ここで起こるのがあの本能寺の変・・・(6月2日参照>>)
ここで、父=信長とともに兄=信忠が亡くなってしまった事で、その後の徳姫は、信長の次男である信雄(のぶお・のぶかつ)のもとで暮らしますが、次に起こった小牧長久手の戦い(3月13日参照>>)で、信雄が羽柴(豊臣)秀吉との講和を成立(11月16日参照>>)させた事により、人質として京都にて暮らす事になります。
と、波乱の人生ですが、思えば、この小牧長久手の時点で、徳姫は、未だ20歳代半ば・・・今だと、まだまだ若く、人生これからって感じですが、彼女が、その後、誰かと結婚する事はありませんでした。
秀吉の生存中は、その保護下に置かれたものの、世が徳川の時代となってからは、京都にて隠居生活を送り、二人の姫・・・長女=登久姫が小笠原秀政(おがさわらひでまさ)に嫁ぎ、次女=熊姫(2月6日:千姫のページ参照>>)が本多忠政(ほんだただまさ)に嫁いだ事もあって、独身ながらも良きお祖母ちゃんとして過ごしたのではないか?と思います。
ただ、個人的に気になるのは、徳姫が亡くなったのが寛永十三年(1636年)で、問題の『十二か条の弾劾文』の事が書かれている『三河物語』が成立したのが元和八年(1622年)・・・彼女は、その内容を知ってたのか否か、知っていたら何と思ったのか?
京都にて隠居生活なら、おおむねゆっくりとのんびりと生活していたのかも知れませんが、その心の内はいかに??
ここにも1人・・・戦国の世の運命に翻弄された女性がいたという事でしょう。
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コメント
築山殿も徳姫も名門出身だから、確執も強かったかも?継室は秀吉さんの妹だし。側室は、身分が低い女性が多いそうですね。☆家康さんのイメージは、テレビの影響が強いですね。演じた俳優さんも個性的です。
投稿: やぶひび | 2012年5月28日 (月) 10時42分
やぶひびさん、こんにちは~
ドラマで家康役を演じる役者さんは、皆、名優さんばかりですから、それぞれが魅力的でイイ感じです。
やっぱり、一番、印象が強いの滝田栄さんですか?
投稿: 茶々 | 2012年5月28日 (月) 13時55分
好感なのは滝田さんですね。印象的な家康役は、「天地人」の松方弘樹さんですね。悪役ぽくって。だから、家康さんは嫌いと言う人も。ちなみに松方さんは、信長&秀吉役も演じています。
投稿: やぶひび | 2012年5月28日 (月) 16時10分
茶々様仰せの通り、弾劾状は後世の偽書だと思います。浜松(家康)と岡崎(信康)の間で、家臣団を含めての政治的な確執があったと見るべきでしょう。
二重体制ではよくあることです。単なる個人間・家族間の問題ではないでしょうね。徳川家の方から信長さんに予め了解を求めたのが真実かと。信長さんの命令なんて、亡くなったのをいいことに、ひどい責任押し付けですよね。
これが教訓になってか、江戸と駿府の二重政権になってから、秀忠とその側近は大御所にどえらい気を使っているように思われます。
投稿: レッドバロン | 2012年5月28日 (月) 16時51分
やぶひびさん、こんばんは~
確かに、滝田さんの家康はマジメで実直な感じ…主役ですからね。
でも、悪役っぽい小気味いい感じの家康さんが、私も、個人的には好きですね~
投稿: 茶々 | 2012年5月28日 (月) 19時23分
レッドバロンさん、こんばんは~
>弾劾状は後世の偽書だと…
やはり、その線が濃いですよね~
確かに、その後の江戸と駿府はウマイ事やってます。
投稿: 茶々 | 2012年5月28日 (月) 19時27分
茶々さん、こんばんは。
徳姫さんは、夫の信康さんを失った時まだ21歳・・・それから再婚もせず、かといって出家して夫の菩提を弔ったという話もないような?78歳で亡くなるまで57年間にも及ぶ長い長い「余生」をどのような気持ちで過ごしたのでしょうね。長生きしたおかげで結局、娘2人にも先立たれたようですし。
3度の政略結婚を経て、将軍正室になった従妹の江姫とは対照的な人生ですね。どちらが幸せだったかは本人たちにしかわからない話ではあるけれども
。
投稿: ZAIRU | 2012年5月29日 (火) 22時26分
ZAIRUさん、こんばんは~
そうですね。
どちらが幸せかは、本人にしかわかりませんね。
今でも、キャリアウーマンとしてバリバリ仕事するか、母となって家庭を守るか…人、それぞれですものね~
投稿: 茶々 | 2012年5月30日 (水) 00時37分
実は信長は信康の処分の一切を徳川家康に任せ、築山殿に至っては名前さえ触れてないという説がありますね。
つまり、妻子の処分は徳川家のお家騒動で信長自体は「勝手にしたら?」という状況だったとか。
歴史っていろんな説があって本当に面白いです
投稿: | 2012年7月26日 (木) 11時33分
そうですね。
私も、信康さんのページでは、お家騒動という扱いをしています。
いろいろ考えると楽しいです。
投稿: 茶々 | 2012年7月26日 (木) 16時44分