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2012年5月16日 (水)

楠木正成&正行…桜井の別れ

 

延元元年・建武三年(1336年)5月16日、後醍醐天皇の命を受けた楠木正成が、兵庫に向かって出陣しました。

・・・・・・・・・・

ともに鎌倉幕府を倒しながらも(5月22日参照>>)後醍醐(ごだいご)天皇建武の新政(6月6日参照>>)に不満を持ち、反旗をひるがえして京に攻め上った足利尊氏(あしかがたかうじ)(12月11日参照>>)を蹴散らした新田義貞(にったよしさだ)楠木正成(くすのきまさしげ)北畠顕家(きたばたけあきいえ)(1月27日参照>>)・・・

しかし、一旦、九州に落ち延びて(3月2日参照>>)体勢を立て直した尊氏は、再び、今度は西から、とてつもない大軍となって京へと迫ります(4月26日参照>>)

Kusunokimasasige600 この時、正成は、
「後醍醐天皇が、一旦、比叡山へと退いてから、兵庫にいる義貞を京へ呼び戻した後、敵軍を京都市中におびき入れ、新田&楠木連合軍で、四方から猛攻をしかけて討つ」
という作戦を提案しますが、
「天皇たる者が、敵が来る前に敗走するなどもってのほか!」
と反対され、
「とにかく、兵庫にいる義貞と協力して、海路でやって来る尊氏を迎え討て」
と指示されます。

「これなら勝てる!」
と思った作戦を却下された正成は、次の戦いでの死を覚悟し、建武三年(延元元年・1336年)5月16日義貞のいる兵庫に向かって、500騎の手勢とともに出陣したのでした。

京を出て、西国街道を西と向かう正成・・・

Sakuraiato330
JR島本駅前にある「櫻井驛址」の碑(島本町桜井1丁目)

やがて、河内との分かれ道となる桜井の宿(大阪府三島郡島本町)に差し掛かった頃、ともに来ていた嫡男=正行(まさつら)を呼び寄せます。

「あんな、よう聞けよ。
獅子は、生まれて3日目の子供を、数千丈
(1丈=約3m)の断崖から、投げ捨てるそうや。

もし、その子に、すでに獅子としての素質が備わっているんやったら、子供は教えんでも宙返りして立ちあがり、死ぬ事は無いと言われてる。

お前は、もう11歳や・・・この話の意味、わかるよな?

意味がわかるんやったら、これから俺が大事な事を言うさかい、よう聞いて、その通りにするんやぞ。

今度の合戦は、天下を賭けた合戦やから、おそらく、この世でお前の顔を見るのも、これで最後やと思う。

ほんで、もし、ホンマに俺が死ぬような事があったら、おそらく、この世は尊氏の思うがままになってしまうやろ。

けど、そないなっても、その場限りの命惜しさに、長年の忠節を忘れて降伏なんかしたら、絶対、許さんからな。

一族のうち、誰か1人でも生き残ってる間は、金剛山(千早城)あたりに立て籠って、養由(ようゆう=中国春秋時代の武人)のような弓の名人が攻めて来ても、命がけで立ち向うて、忠臣の紀信(きしん=漢の高祖の身代わりとなった家臣)みたいに忠義を尽くすんやぞ!

これが、お前のできる一番の親孝行やと思え」

・・・泣く泣く申し含めて、各各(おのおの)東西へ別れにけり・・・

正成は兵庫へ・・・
正行は河内へと・・・
これが父子の、今生の別れとなりました。

この名場面は、「桜井の別れ」と呼ばれ、それこそ、戦前は、国語・修身・歴史の教科書にも載る有名なお話でした。

現在では、
「名場面っぽくするために、息子を未だ幼い設定にしたものの、実際には、この時の正行は、もう、すでに成人していた」
とか、
「この桜井の別れ、そのものが創作だ」
なんて意見もありますが、

やっぱり、ここまでの感動の名場面は、歴史ファンとしては捨て難いです~

このお話は、
「青葉茂れる桜井の」
あるいは
「大楠公の歌」
「桜井の訣別」

などという題名で、唱歌になってますが、これが、また、泣けて来るイイ歌なんですよね~

♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
 木
(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて
 世の行く末をつくづくと
 忍ぶ 鎧
(よろい)の袖(そで)の上(え)
 散るは涙かはた露か ♪
(落合直文:作詞 奥山朝恭:作曲)

この歌を聞けば、見事に情景は浮かんで来て、このページを読むより、はるかにス~~ッと、頭の中に入ってきますヨ

歌詞はまだまだ、4番か5番くらいまで続きますので、興味がおありでしたら、上記の歌の題名でググッてみてください。

こうして、兵庫で待つ義貞のもとに参陣した正成・・・

義貞に天皇の言葉を伝えた後、二人は酒杯を傾けながら、夜を徹しての軍議に入ります。

そうです・・・死を覚悟したとは言え、そこは武勇誉れ高き二人・・・最後まで決してあきらめません。

こうして、湊川(みなとがわ)の戦いへと向かっていくのですが、そのお話は・・・
●楠木正成サイドの
2007年5月25日【七生報国・湊川の戦い】>>の後半部分
●新田義貞サイドの2012年5月25日【新田義貞と湊川の戦い…小山田高家の忠義】>>
でどうぞ

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南北朝・室町時代」カテゴリの記事

コメント

大阪、河内のヒーローですね。金剛山遠足で行きました。懐かしい。

投稿: minoru | 2012年5月16日 (水) 14時45分

正成の策なら勝利出来たかも。采配ミスでは?

投稿: やぶひび | 2012年5月16日 (水) 16時20分

初めまして!
いつも楽しく読ませてもらっております。

いつもは読み逃げですが、
あまりにタイムリーだったのでコメントさせてもらいました。
実は、2、3日前、
犬の散歩の途中あまりに若葉がきれいで、
思わず、「青葉茂れる桜井の~」
と口ずさんでおりました。
この歌は私が中学の頃(40年近く昔)、
担任教師(定年間近な)が私たちに無理やり歌わせていて、
私たちは意味も判らず歌わされておりました。
それが思わず出てきたことで、
この歌はいったい何の歌だろうと思い、
You Tobeで調べてそのメロディーがすごく懐かしくて、
ついでに歌の意味や歴史背景を調べたばかりだったので・・・
茶々さんのブログでもっと詳しく判りました。
有難うございました。
これからも応援してますので、
頑張ってくださいね。

投稿: miki | 2012年5月16日 (水) 18時02分

「桜井の別れ」
久しぶりに目にしました。
やはり茶々様の訳はとても解りやすくオモシロイ!!
久しぶりに近くにある楠批庵観音寺に行ってこようかな…
では

投稿: azuking | 2012年5月16日 (水) 18時16分

♪共に見送り 見返りて 別れを惜しむ折からに

またも降り来る五月雨に空に聞こゆる ほととぎす…♪

日本の美しい自然に南北朝の歴史が溶け込む、本当に名歌ですね。叔母が家事をしながらいつも歌ってました。

本来、山岳ゲリラ出身の楠木さんは、もっと合理的な戦をやろうと思えば幾らでも出来たでしょうけれど、ひとたび大命を拝すれば、無理を承知で湊川へ出て征く。気高い行動です。

この節義なしに、小賢しい知恵ばかり繰り出していては、人間の歴史は限りなく卑しいものになってゆく。今でも、楠木さん親子はそれを教えていてくれるのだと思いますね。

投稿: レッドバロン | 2012年5月16日 (水) 19時05分

こんばんは。いつも楽しく拝見させていただいてます。

正成さんは、やっぱり人気者ですね。
ただ、今、『平清盛』を、みているせいか
好むと好まざるとにかかわらず
(つまらん)権力争いに担ぎだされた人々の哀れを感じずにはおれません。
同じ日本人同志、繰り返し繰り返しどれだけの血が流れた事か。
正成さん。後の世でヒーローにならなくても
フツーの大阪のおっちゃんでいて欲しかったです。


投稿: 真田丸 | 2012年5月16日 (水) 19時47分

minoruさん、こんばんは~

たぶん、すご~~く脚色されてるんでしょうけど、おっしゃる通り、大阪のヒーローですからね。
カッコ良くいていただきたいです。

投稿: 茶々 | 2012年5月17日 (木) 00時45分

やぶひびさん、こんばんは~

>采配ミスでは?

でしょうね~
お公家さんは、プライド高いですからね~
正成のゲリラ戦法とは真逆の考えです。

投稿: 茶々 | 2012年5月17日 (木) 00時46分

mikiさん、はじめまして

それはタイムリーですね。
背景を知っていれば、より情景が浮かぶ良い歌ですもんね~

今は、ちょうど「青もみじ」の季節で、気持ち良い散歩ができそうです。

また、遊びに来てくださいね。

投稿: 茶々 | 2012年5月17日 (木) 00時56分

azukingさん、こんばんは~

まだ、行った事無いんですが楠批庵観音寺は紅葉の名所だと聞きました。

…て事は、今頃は「青もみじ」で、まさに青葉茂れる状態じゃないですか?

そこで、正成公の思いに浸る…イイですね~

投稿: 茶々 | 2012年5月17日 (木) 01時03分

レッドバロンさん、こんばんは~

ホントですね。
日本の美しい風景と、父子の別れ…
あまりに美しい光景を、見事に表現しているイイ歌です。

投稿: 茶々 | 2012年5月17日 (木) 01時06分

真田丸さん、こんばんは~

>フツーの大阪のおっちゃん

それもアリかも知れませんね。

もしかして、仕事で窮地にたった時も、見事なアイデアで切りぬける、敏腕リーマンになってるかも知れません。

…で、結局、プライド高い社長のトラブルに巻き込まれたりして…

投稿: 茶々 | 2012年5月17日 (木) 01時08分

はじめまして。いつも参考になる話を読ませてもらっています。
「大楠公の歌」をYoutubeで聞いたことがありますが、すばらしい歌ですね。
高齢の母に訊いたところ、学校で習ったそうです。
ちなみに母は若い頃大阪南部で働いており、母は「当時後村上天皇陵と楠木正成の首塚があ寺に行ったことがある」と話してくれました。
調べたところ「観心寺」だそうですね。僕も観心寺だけでなく千早城址や湊川神社、吉野にも一度行きたいと思っています。
関係ないですが、歌詞の「老いたる母の待ちまさん」という節が、「母を大事にしろ」と言われているようで切なくなります。

投稿: ハルブル | 2012年5月18日 (金) 00時20分

湊川神社、吉野山に行った事あります。皇居前広場に馬に乗った銅像があったと思います。

投稿: やぶひび | 2012年5月18日 (金) 00時59分

ハルブルさん、はじめまして。

ホントに良い歌です。
現在の学校で習わないのが残念です。

大事な物を命賭けて守ろうとする姿…
一方で、息子に夢と老いた母を託す

正成の場合がたまたま後醍醐天皇であっただけで、大事な物を守りたい気持ちは、いつの世も変わらないと思うのですがね~

観心寺や千早城址は、私も、まだ行けてません。。。
いつか、行きたいと思っています。

投稿: 茶々 | 2012年5月18日 (金) 10時20分

やぶひびさん、こんにちは~

おぉ、行かれたのですね。

正成は忠臣ですからね~皇居前に銅像が建つのは納得ですね。

投稿: 茶々 | 2012年5月18日 (金) 10時22分

BS-TBSの番組に紹介されていました。
http://w3.bs-tbs.co.jp/no2/55.html
なぜナンバー2なんでしょう?

投稿: やぶひび | 2012年5月21日 (月) 18時29分

やぶひびさん、こんばんは~

ホントですね~
ナンバー1は誰なんでしょう??

後醍醐天皇なら諦めますが、足利尊氏や新田義貞なら楠木ファンは黙ってないですね。

投稿: 茶々 | 2012年5月21日 (月) 19時31分

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