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2012年5月21日 (月)

新田義貞・稲村ケ崎の龍神伝説

 

元弘三年(1333年)5月21日、新田義貞軍が稲村ケ崎の干潟から、鎌倉に奇襲をかけました。

・・・・・・・・・・

源頼朝の開幕以来、約150年に渡った鎌倉幕府に対して、元弘三年(1333年)、討幕ののろしが挙がります。

まずは2月に、護良親王(もりよし・もりながしんのう=後醍醐天皇の皇子)吉野に立て籠り(2月1日参照>>)
続いて、楠木正成(くすのきまさしげ)千早城で奮戦(2月5日参照>>)
さらに、隠岐から脱出した後醍醐(ごだいご)天皇船上山(せんじょうざん)に籠り(2月24日参照>>)
5月に入れば、京にて足利高氏(あしかがたかうじ=後の尊氏)六波羅探題を破る(5月9日参照>>)・・・

そんな中の5月8日、いよいよ新田義貞(にったよしさだ)が挙兵します。

わずか150騎だった軍勢は、途中で高氏の息子=千寿王(せんじゅおう=後の義詮)も合流して2万7000の大軍に膨れ上がった新田軍は、5月11日早朝、武蔵の小手指原(こてさしばら=埼玉県所沢市)にて幕府軍との直接対決となりました(5月11日参照>>)

その後、鎌倉街道沿いに一進一退を繰り返しながら徐々に鎌倉へ近づいていきますが(5月15日参照>>)、難攻不落の要塞都市である鎌倉に入るのは、そう簡単な事ではありません。

ここで、義貞は手勢を三手に分けます。

大館宗氏(おおだちむねうじ)江田行義(いくよし)率いる1軍は極楽寺の切通しへ・・
堀口貞満(さだみつ)大島守之(もりゆき)率いる1軍は巨福呂(こぶくろ)坂へ・・・

そして自らは、弟の脇屋義助(わきやよしすけ)とともに50万7000余(太平記の言い分です)の本隊を率いて化粧坂(けわいざか)へと向かいました。

もちろん、幕府側も極楽寺坂に大仏貞直(さだなお)、巨福呂坂に赤橋守時(もりとき)、化粧坂には金沢越後左近太夫将監(かなざわえちごのさこんのだいふしょうげん)など、北条一族の勇将を揃えて迎えます。

合戦が開始されたのは5月18日早朝・・・大軍を擁して攻め寄せる新田軍と、地の利を活かした少数精鋭で迎撃する幕府軍・・・

終日続いた合戦により、巨福呂坂方面では幕府の敗色が濃くなって守時が自刃するも、極楽寺では一進一退の激戦・・・また、化粧坂の本隊はどうにもこうにも先へ進めません。

かくして元弘三年(1333年)5月21日夜・・・義貞は、2万の精鋭だけを連れて、片瀬(かたせ)・腰越を回って鎌倉に突入する迂回作戦を決行するのです。

*注:ここからは『太平記』にある伝説が含まれています。
小高い場所に立って、月明かりに照らされる敵陣を見渡す義貞・・・

北は極楽寺の切通しから南は稲村ケ崎(いなむらがさき)の海岸線まで、防備の垣がビッシリと並び、数万の兵が隊列を組んで防御に当たっています。

海岸線は、それこそ波打ち際まで防御の逆茂木(さかもぎ)が立ち並び、続く海上には四~五町(1町=数百メートル)先まで櫓を装備した大船が浮かび、側面から弓を射る態勢も万全・・・「確かに、ここを攻め落とすんは大変やな」と、義貞・・・

そこで、馬を降りて兜を脱ぎ、遥か海上を拝みながら龍神に向かって祈ります。

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新田義貞鎌倉合戦 稲村ケ崎の図(館山市立博物館蔵)

「聞くところによれば、日本を創造した伊勢の天照大神(あまてらすおおみかみ)のおおもとは大日如来であり、民衆を救うために龍神の姿となって大海原に出現したとの事・・・

わが君=後醍醐天皇は、その天照大神の末裔でありながらも、臣下の者の裏切りによって西海を流浪しておいでです。

今、この義貞は、天皇の臣下の道を貫かんがため、武器を持って敵陣の前に立ってます。

目指すは、天皇を助け、国民が心安らかな世にする事・・・
どうか、全世界の龍神よ!この義貞の忠義の心をご理解いただいて、潮の流れを遠くに退け、道を開いてくださりたまえ~~」

こう言って、自らが持っていた黄金造りの太刀を抜いて、海中に投げ入れたのです。

すると、どうでしょう・・・それまでは、行き来するのも困難だった2階の物干し場が・・・もとい、海に阻まれて行き来できなかった海岸線から、一斉に潮が引きはじめ、そこに、20町余りに渡る砂浜が現われたのです。

しかも、側面から弓を射ようと準備していた、あの大船も、潮の流れに乗って沖へと流されてしまいました。

この光景を見た義貞・・・
「古代の中国では、後漢(ごかん)弐師(じし)将軍が、水の尽きた城内で、石に刀を刺して水を湧き出させたと言う・・・

日本では、神功(じんぐう)皇后三韓征伐(9月5日参照>>)の時に、引き潮の珠(たま)を海中に投げて海の水を引かせて、戦いに勝利した。

今、目の前に広がる光景は、これと同じ吉兆の奇跡にそっくりやんけ!」
と、兵士たちの士気をあおります。

『進めや!兵(つわもの)ども!』

おそらくは、引き潮の時間に合わせたグッドタイミングの演出(*ちなみに、現代の計算技術と古記録との照合ではじき出された結果では、実際の干潮は5月18日の午後だったとされています)・・・

ではありますが、兵士たちに勢いをつけるには、これほどの効果的演出はありません。

士気の盛り上がりそのままに稲村ケ崎を通り、一丸となって鎌倉へ突入する新田軍・・・

と、この先のお話は翌日・・・【鎌倉炎上…北条高時・自刃】でどうぞ>>
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コメント

映画「十戒」のモーゼが、海の水を
二つに分けるシーンを思い出します。

そう言えば、平家も「日蝕」を利用して
効果をねらった事がありましたね。

投稿: やぶひび | 2012年5月21日 (月) 15時43分

初めまして(゚▽゚*)とても面白い記事でした!
ありがとうございます

この話は私も昔聞いたことあるんですが、
不思議ですよね・・・計算は合わないのに。
もしかしたら、本当に奇跡を起こしたのかな?
なんて(*^-^)

投稿: まやたか | 2012年5月21日 (月) 16時52分

やぶひびさん、こんばんは~

水島の戦いですね。。。
そう言えば、まだ書いてないです。

お抱え陰陽師のおかげで、日食の事を知っていた平家に対し、日食を知らなかった源氏(木曽義仲軍)が慌てて…ってやつですね。

投稿: 茶々 | 2012年5月21日 (月) 19時26分

まやたかさん、初めまして

「単に『太平記』の筆者が日づけを間違えただけ」って夢の無い話もありますが、やっぱり、不思議な話のままの方がロマンがあって良いです。

また、遊びに来てくださいね。

投稿: 茶々 | 2012年5月21日 (月) 19時29分

♪ 七里ヶ浜の磯づたい稲村ヶ崎 名将の
剣投せし 古戦場 ♪

と、こちらも 小学唱歌に歌われた名シーン。なるほど 新田義貞さんは 天照大神=大日如来という本地垂迹説で、龍神に祈りを捧げているのですね。

茶々様の記事で、仏教の盛んな時代であったことを あらためて思いました。

投稿: レッドバロン | 2012年5月21日 (月) 23時49分

茶々さま
続きが楽しみです^^
私にとっての魅惑の地~鎌倉、知れば知るほどまた訪ねてみたくなります。
しかも、巷に聞く噂の裏天皇もこの事件が発端?!ですよね?!違っていたらごめんなさい。

天照大神、大日如来、そして龍神様の登場…、流石神国日本!ワクワクしちゃいました^^

投稿: tonton | 2012年5月22日 (火) 09時47分

レッドバロンさん、こんにちは~

こちらも唱歌になっているのですか?
それは、知りませんでした。

まぁ、名シーンですからね…
検索して、あったら聞いてみたいです(o^-^o)

投稿: 茶々 | 2012年5月22日 (火) 14時04分

tontonさん、こんにちは~

「裏天皇」はくわしく知りませんが…
「世界の謎と不思議に挑戦する:学研ムー」的な世界の話でしょうか?
20歳前後の頃は夢中で読んでましたが、そう言えば最近読んでないですね~

私は、生息域が近畿圏内なので、鎌倉はあまり知りません…行ってみたいですね~

投稿: 茶々 | 2012年5月22日 (火) 14時15分

茶々様、皆々様

小学校唱歌「鎌倉」
YouTubeで聴けるはずです。静御前や実朝、大塔宮まで、鎌倉に纏わる歴史上の人物が総出演。冒頭に義貞が海に剣を投じて、龍神に祈りを捧げる名シーンが出てきます。
「青葉茂れる」に並ぶ名歌かと思います。お楽しみあれ。

投稿: レッドバロン | 2012年5月22日 (火) 14時44分

レッドバロンさん、こんばんは~

ありました!
持ってる歌集に「鎌倉」が載ってました!

YouTubeでも探してみました。
歌集にあった歌詞を先に読んだので、勇ましい感じのメロディを想像していましたが、意外や意外、哀愁ただようメロディですね。

これもgoodですo(*^▽^*)o

投稿: 茶々 | 2012年5月23日 (水) 00時27分

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