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2012年6月 9日 (土)

『明治一代女』花井お梅の心意気

 

明治二十年(1887年)6月9日、後に『明治一代女』のモデルとなる花井お梅が、使用人の八杉峰三郎を刺殺する事件がありました。

・・・・・・・・・・

『明治一代女』と言えば、昭和1ケタ世代なら、知らない人はいないほどの有名なお話・・・

事件直後から、新聞をはじめ、関係するノンフィクション物が多数出版され、やがて小説になり、お芝居になり、映画となって歌もヒットする・・・

まぁ、小説や歌になるのは昭和に入ってからなので、昭和1ケタ世代って事なのですが・・・

今の若い方に、わかりやすく例えるなら『余命●ヶ月の花嫁』みたいな感じ???

ただし、『花嫁』は純愛感動路線ですが、この『一代女』は、どちらかと言うと愛憎がらみの2時間サスペンスみたいなお話で、ジャンルは違います。

もちろん、『明治一代女』という小説になるにあたっては、様々な創作も加えられていますしね。

Hanaioume400 そんな有名話のモデルとなったのは、花井お梅(はないおうめ)という女性・・・

彼女は佐倉藩(千葉県佐倉市)下級武士の娘だったと言われますが、9歳の時に身売りをされ、やがて15歳の時に柳橋で芸妓デビュー・・・18歳の時に京橋日吉町(現在の銀座)に移った後は、秀吉という源氏名で浮き名を流しました。

やがて23歳となった明治十九年(1886年)、お梅は日本橋浜町「酔月楼」という待合茶屋(まちあいぢゃや=待ち合わせや宴会などに場所を提供する貸席業)を開店して、女将となります。

しかし、その店の名義が、父の花井専之助だった事から、父が度々経営に口出す事で、父娘で営業上の争いが絶えなかったのだとか・・・

そんな時に、彼女が悩みをうち明けていた相談相手が、八杉峰三郎という男でした。

彼は、通称を箱屋峰吉という彼女の奉公人・・・箱屋というのは、芸者がお座敷に行く時に、その三味線を入れた箱を持つ係の事で、彼女が秀吉と名乗っていた京橋の時代からの雇人でした。

長年の親しさからもあって、父の不満を「あーだ」「こーだ」と峰三郎にブチまけるお梅・・・ある意味、単なるストレス解消だったのかも知れませんが、この峰三郎が、ことごとく父の味方をするのです。

黙って「フンフン」と聞いていてくれれば、言いたい事言って、あとはスッキリするのでしょうが、ことごとく反論されれば、そのストレスは溜まる一方・・・

父への腹立ちが、やがて峰三郎に向いていきます。

かくして、店を開店した翌年の明治二十年(1887年)6月9日、夜の9時・・・密かに出刃包丁を隠し持ったお梅は、辻待ちの車夫に頼んで、峰三郎を呼び出し、自宅門前の土蔵の脇(浜町河岸=はまちょうがし)で、彼を刺殺したのです。

その後、ぼう然としながらも、凶器の包丁を持ったまま日本橋久松署に自首・・・

というのが、事件の一連の流れですが、美人芸者の殺人事件てな話にマスコミが飛びつかないわけがなく、直後に出された新聞やノンフィクションでも、その動機や人間関係が様々に書かれ、もはや、何が本当だか、よくわからない状況です。

動機に関しては、先ほどの営業上のモメ事以外にも、
お梅が、何たらという男に入れ込んで多額の金を貢いでいたため、彼女の事を好きだった峰三郎が横恋慕して関係を迫って来ていた・・・いわゆる三角関係のもつれとか、
父と峰三郎が結託して店を乗っ取ろうとしているんじゃないか?という恐怖感にかられたとか、

とにかく、彼女の公判の時には、ひと目その顔を見ようと、約2000人の群衆が集まったと言いますから、その注目度はスゴイです。

結局、犯行時に心神の喪失がみられなかった事から、計画的な殺人と判断され、無期徒刑(現在の無期懲役とほぼ同じでちと厳しい?)の判決が下りますが、その服役中の行動までが新聞報道されるという熱狂ぶりは、しばらく続きます。

やがて、特赦によって15年刑に減ぜられたお梅は、明治三十六年(1903年)に、刑の満期を迎えて釈放されます。

すでに30代後半になっていたお梅は、浜町に帰った後、半年後に浅草公園おしるこ屋をオープン・・・なんと、初日には1時間に80人以上の客が殺到するという繁盛ぶりを見せますが、お察しの通り、これはお梅を見たさにやって来る野次馬のようなお客・・・

そんな一過性のお客が去った後、今度は牛込岩戸町(新宿区)にて小物屋を開きますが、それも長続きせず、結局、浜町に戻って、またまたおしるこ屋を始めますが、その間に、自称・豊島銀行の頭取と名乗る鈴木何たらという男に騙され、持ってたお金もスッカラカンになったらしい・・・

その後、明治三十八年(1905年)頃からは、森三之助一座などに加わって旅廻りの芝居巡業をはじめ、なんと、峰三郎殺しを、本人が実演して見せていたのだとか・・・

大正五年(1916年)には、その地方巡業も辞め、もとの芸妓に戻ったそうですが、その年の12月13日肺炎の為に53歳の生涯を閉じたと言います。

自らの殺人事件を自らが舞台で演じる・・・そんな波乱万丈な人生を送ったお梅・・・

もちろん、殺人という罪を犯した以上、自業自得と言えば自業自得・・・その心の内も、どのような物だったかは、ご本人にしか解り得ませんが、実はこんな話が残っています。

明治四十五年(1912年)6月23日の浅草駒形町蓬莱座で行われた「芸妓慈善演芸会」にて、『峰吉(峰三郎)殺し』の場面を上演中の朝8時頃・・・

突然、客席から、1人の女が舞台に駆けあがり、お梅役の芸者の胸ぐらをつかんで
「この芝居は、誰に断わってやってるんだい!」
と詰め寄ったのだとか・・・

もちろん、その女性はお梅本人・・・

噂が噂を呼び、稀代の毒婦に仕立て上げられたその中で、たった一つの真実を知る自分自身こそが、お梅を演じる事の出来るただ一人の女優・・・

そこに、彼女なりのプライドが見え隠れするような気がします。
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コメント

♪浮いた浮いたの
浜町河岸に 浮かれ柳の 恥ずかや♪

「明治一代女」の歌は知ってましたが、お梅さんの実話は初めて知りました。身をもって生きたお梅さんが、舞台に向かって喰ってかかったの…判るような気がします。

今のテレビ番組とか見たら、どう思ったでしょうね。

投稿: レッドバロン | 2012年6月10日 (日) 00時55分

アナタハン島事件の女性も舞台に出てたとかいう話でしたけど、明治時代にも同じようなことをしていた女性がいたなんて知りませんでした。
しかし本人が出演なんて、過激ですね。昔の日本は大らかというかなんというか。

投稿: | 2012年6月10日 (日) 14時05分

レッドバロンさん、こんにちは~

ご本人にしてみれば、罪を犯した以上は、ある程度の誹謗中傷は覚悟のうえ…、
とは言え、やはり、譲れない部分もある事は確かでしょうね。

そう思うと、歴史上の人物にも、敬意を以って描いていただきたと思います。

投稿: 茶々 | 2012年6月10日 (日) 16時42分

こんにちは~

そう言えば、「アナタハン島事件」も、ご本人が舞台で演じたり、確か、映画もご本人の物がありましたね。

ブロマイドまで発売されたらしいですから、当時の心境は、今の価値観では計れないのでしょうね。

昨年も、「アナタハン島事件」をもとにした小説が映画化されてましたね。

投稿: 茶々 | 2012年6月10日 (日) 16時47分

「不如帰」も、モデルの人達が存命なのに、舞台化されましたね。事実無根もかなりあったとか。今だったら、名誉毀損になりますよ。☆大阪の通り魔は、怖いです。平成の辻斬り?

投稿: やぶひび | 2012年6月11日 (月) 06時55分

やぶひびさん、こんにちは~

「不如帰」のモデルは、以前書かせていただいた大山捨松さん>>ですね。

捨松さんが、あらぬ噂にずいぶんと悩まされたのに、徳富蘆花が謝罪したのは、小説発表から19年も経ってから…お気のどくです

投稿: 茶々 | 2012年6月11日 (月) 14時36分

私の住まいは千葉県佐倉市の近くなんですが、曾祖母(明治19年生まれ)が存命中に、「明治一代女のモデルは佐倉出身の人だったんだよ。」と言っていたそうです。


明治維新の混乱で、辛かったり悲しかったり、いろんな人生模様があちこちにあったのですね。もちろんいつの時代にもそんな話はあるのですが…。


美女の犯罪者というと昭和時代では、阿部定がすぐ思い浮かびますね。逮捕されたときの写真を見ると、阿部定本人も周囲の警察関係者も、にこやかな、いい顔で笑っているのがとても印象的でした。


美女の犯罪者…。やっぱり興味をそそられますね!

投稿: とらぬ狸 | 2015年6月12日 (金) 23時18分

とらぬ狸さん、こんばんは~

未だに、週刊誌の見出しには「美人おかみ」とか「美人OL」とかついてますよね~
「美人○○」てつけると売れ行きが良いのでしょうね。

投稿: 茶々 | 2015年6月13日 (土) 01時49分

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