生駒騒動を引き起こした生駒高俊の美少年好き
万治二年(1659年)6月16日、讃岐高松藩・第4代藩主から出羽矢島藩・初代藩主となった生駒高俊が、49歳で亡くなりました。
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織田信長と豊臣秀吉に仕えた生駒親正(いこまちかまさ)に始まる生駒家は、秀吉の四国征伐で讃岐17万石を与えられた後、あの関ヶ原の戦いで、父と子で東西にに分かれるという保険をかけた事で、西軍についた父=親正は隠居するも、東軍についた息子=一正(かずまさ)が当主となる事で本領が安堵されました。
本日の主役=生駒高俊(いこまたかとし)さんは、その一正の息子=正俊の息子・・・つまり親正から数えて4代めですね。
父の死を受けて、高俊が家督を継ぐ事になったのは元和七年(1621年)・・・
高俊は、未だ10歳もしくは3歳だった~~って、もしくは、というワリにはエライ幅がある感もしないではないですが、とにかく、未だ、藩主として腕を振るえる年齢では無かった事から、あの藤堂高虎(とうどうたかとら)が後見人となってサポートします。
高俊の母親が高虎の娘・・・つまり、高虎は母方のお祖父ちゃんだったわけですね。
高虎亡き後は、息子の藤堂高次が引き続き後見人となり、幼き藩主=高俊坊ちゃんは、家臣や重臣たちの期待を一身に背負って、大事に育てられます。
寛永十一年(1634年)、24歳になった時には、土井利勝の娘を娶り、これで生駒家も万々歳!!
何たって、土井利勝は徳川幕府の実力者・・・徳川秀忠政権で老中になった人ですから・・・
と、思いきや、あまりの期待大に、少し大事に育て過ぎたようで・・・大人になった高俊は、家臣の中から選りすぐった美少年を集めては、日夜に渡り、飲めや歌えの大騒ぎ・・・
美少年に、色とりどりの衣装を着せて、琴や三味線や太鼓に合わせて踊らせ、その光景を見ながら一杯やるのが、毎日の日課となっていたとの事・・・
またたく間に江戸中の評判となって、暗君と噂され・・・でも、当の高俊はおかまい無し・・・
それは、だんだんエスカレートして行き、しまいには、参勤交代の行列にまで、きらびやかな衣装を身につけた美少年を同行させ、むしろ、自慢げに見せつけます。
巷の人々は、これを「生駒の若衆行列」と呼び、なんと、弁当持参で見物に来る人までいたとか・・・
この噂を聞いた土井利勝夫妻が、わざわざ娘に会いに行き、そっと、その真相を聞いたところ、
「殿様は、美少年ばかりにお金をつぎ込んで、私には目もくれません」
と・・・
「そら、なかなか世継ぎも生まれんはずや~」
と利勝夫妻もあきれ返った・・・なんて話も・・・
当然の事ながら、そんな高俊には、家臣団を束ねる器量は無いわけで・・・
当時の生駒家には、大きく分けて2つの派閥がありました。
一つは、生駒家一門の家老=生駒将監(しょうげん)の一派・・・
そして、もう一つは、そんな将監らの一人舞台となってはいけないと藤堂家が加えた家老で、生駒にとっては外様となる前野助左衛門の一派。
はなからモメそうな気配ムンムンですが、やがて、関東にいて家中の事を一手に握る前野らに、とうとう国許にいる生駒らの不満が爆発・・・
どうにもこうにも収拾が着かなくなった両者の審議は、とうとう幕府の手に委ねられる事に・・・
結局、前野派は切腹や死罪に追い込まれ、生駒派は預かり処分・・・藩政を顧みず、騒動を治められなかった高俊は、所領を没収され、堪忍料1万石で出羽由利(由利本庄市)へ配流となってしまいました。
関ヶ原では父子でありながら敵味方に分かれ、必死で守った領地が・・・と思うと、残念でなりませんね。
ただ、さすがの高俊さんも配流でちょっとは反省したのか?
この後に、6人の子宝に恵まれたようで、その後の生駒家は幕末まで続くという事なので、なんとか当主のメンツは保った・・・というところでしょうか。
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コメント
華やかな若衆の列といい家中の荒事といい、安土桃山時代の夢の名残という感じがします。
日本では足袋も履かない質素な将軍(家康)とか、お家で目刺しを食べている財界人が賞賛されますからね。生駒さんみたいな人もいないと。ますます縮こまって、詰まんないですよ。今こそ、デフレの波に歯止めをかけましょう。
投稿: レッドバロン | 2012年6月19日 (火) 03時08分
レッドバロンさん、こんにちは~
そうですね。
まだまだデフレスパイラルから抜け出せないですね~
景気が良くなれば、それだけで、いくつかの問題が解決されていくように思うのですが、なかなか難しいですね。
投稿: 茶々 | 2012年6月19日 (火) 12時27分