豊臣秀吉を驚愕させた幻術師:果心居士
天正十二年(1584年)6月・・・
1人の男が、豊臣秀吉に召され、大坂城へと赴きました。
かねてより噂のこの男に会いたくてたまらなかった秀吉は、男の言うがままに人払いをし、部屋には二人っきり・・・
「何が始まるのか?」と、ワクワクする秀吉・・・
やがて部屋が暗くなり、その闇の中に1人の女の姿が現われます。
その女の顔がハッキリと見える段階になった途端、秀吉はワナワナと震えだし、体中から汗がほとばしります。
実は、その女性は、秀吉が、未だ若かりし頃、戯れに通りすがりの火遊びをして捨てた・・・しかも、若気の至りで殺してしまった女性だったのです。
若い頃のいち時の過ちとは言え、その女の最期の顔は、秀吉の脳裏から一生離れず、事あるごとに思い起こしては悔やんでおりましたが、それこそ、そんな話、誰にもした事が無かったわけで・・・
「やめろ!はよ。やめんか!」
絶叫する秀吉・・・
女が顔を近づけて来て、怯える秀吉を覗きこむように・・・
「どうかしましたか?」
と、声を発したのは女でも、その声は、かの男の声・・・
慌てて我に返った秀吉・・・
「コイツを殺せ! 生かしとしたらアカン!
すぐに磔(はりつけ)にするんや!」
哀れ男は、磔柱に縛りつけられ、その日のうちに処刑される事になりましたが、その寸前・・・大勢の役人の前で、その姿を鼠に変えたと思いきや、上空に飛んでいたトンビが、その鼠をくわえて、刑場からおさらば・・・
どこへともなく姿を消したのでした。
・‥…━━━☆・‥…
天正十二年(1584年)6月という事だけで、厳密な日づけがわからないため、とりあえず本日書かせていただきましたが、この摩訶不思議な伝説を残すこの男が、果心居士(かしんこじ)と呼ばれる幻術師であります。
上記の処刑の記述から、この時に死んだという説もあるものの、複数の文献に残る逸話は摩訶不思議な物ばかりで、当然、生年も没年も本名もわからず、架空の人物だとも言われています。
安土桃山時代に成立した説話集『義残後覚』によれば・・・
筑紫(つくし=福岡県西南部)に生まれた果心居士は、一旗あげようと上方へと上り、まずは伏見へやって来たところ、ちょうど薪能が行われいて、「何とか見たいな」と思う反面、周囲は大混雑でよく見えない・・・
「それならば…」
と群衆の最後尾に立って、アゴをグッとひねると・・・なんと、みるみるうちに顔が細長くなっていき、最終的に2尺(1尺=30.3cm)ほどの長さになって、上や下へと移動して無事に薪能を観賞・・・
「60cmて…デカッ!」てか、横で、そんなんされたら、もはや、周りの観客は、薪能どころやありませんがな!!!
「なんちゅー化け物や!」
「あの世への土産話ができた!」
と周囲は大騒ぎ・・・今ならさしずめTwitterの嵐、あの「バルス」の1
「こうなったら、楽しまれへんし、もう、飽きたし…」
と、掻き消すように姿を隠して、その場を去ったのだとか・・・
また、以前、広島にて借金を踏み倒していた商人に、京の都でバッタリ出会った時は、
「こら、金、返さんかい!」
と迫られるやいなや、自らの顔を、まったく別人の顔に変え、
「人違いですやん」
と言って逃げ切ったり・・・
また、ある時、無双の猛者と称する武士と兵法の話で盛り上がり、
「ならば、その腕を見せてくれ」
という話になり、四方に戸を立てた、いわゆる、密室となった十二畳ほどの座敷に、その武士の弟子7人が果心居士を取り囲む中、いきなり、その姿を消します。
驚いて
「果心居士!」「果心居士!」
と、その名を呼べば
「ここに、おるで~」
と声がする・・・
「縁の下か?」
と、畳をあげて床板はずして確認するも、そこにはおらず・・・
もちろん、周囲は密閉されたままで、座敷にはチリ一つなく・・・
「不思議やなぁ」
と、周囲があきれ返っていると
「…で、さっき、僕の名前呼んでたけど、何か用?」
と、座敷のドまん中に突然登場・・・
「こら、千人おっても、一万人おっても、どうもならんな」
と、その猛者も平伏したとか・・・
そんな果心居士が、有名人と接触する事になるキッカケは、あの奈良の名所=猿沢の池・・・
興福寺の参拝者で賑わうこの場所で、巧みな口上で見物人を集めた果心居士は、皆の目の前で、手に持った木の葉を池に向かって投げいれます。
すると、あら不思議・・・その葉っぱは、またたく間に鯉に姿を変え、池を泳ぎ始めたのです。
驚愕する見物人一同ですが、当然、中には、難クセつけるクレーマーもいるわけで・・・
「どんなトリック、つことんねん!」
と、その顔近づけて詰め寄る男の口に、持っていた楊枝を差し出し、そっと前歯をひと撫で・・・すると、男の前歯は、今にも抜け落ちんばかりにブラブラ状態になり、男は慌てて口を押さえます。
と、この様子を見ていたのが、主君=三好長慶(ながよし)(5月9日参照>>)から、大和(奈良県)一国を与えられて、多門城なる城を構築したばかりの松永久秀(12月26日参照>>)・・・
「これは戦術に使える!!」
と思った久秀は、即座に果心居士に声をかけ、自らの多門城に招き入れます。
以後、度々、果心居士を呼び寄せては、その幻術の話やら、兵法の話やらに興じる久秀が、ある時
「数々の修羅場をくぐって来た俺には、怖いもんなんかない!
そんな俺が、本気で怖いと思う物を見せる事できるか?」
と、果心居士に問いかけます。
なんせ、久秀は、あの織田信長から、
「俺より悪人」
と言われた人(10月10日参照>>)ですから・・・
すると、なにやら、「ちょっとゴソゴソするヨ」と、中国は広島生まれのゼンジー北京よろしく、準備にとりかかった途端、にわかに辺りが暗くなり、久秀の目の前に、1人の女・・・
「今夜は、他のオナゴのところにお泊りでしょうか?」
なんと、それは、久秀の浮気を悩みつつ、すでにこの世を去った彼の正室だったとか・・・
って、秀吉のパターンとかぶっとるがな!
・・・で、そんな噂が噂を呼んで、冒頭の秀吉からのお呼び・・・となるわけです。
幻術師とも忍者とも言われる果心居士・・・彼は、この術で、どこかの大名のもとに仕官する事を夢見ていたとも言われますが、どうやら、その夢だけは、彼の術を以ってしても叶えられなかったようで・・・
残念ながら、果心居士の存在は、正式な場には登場しない謎の人という事で、歴史の闇の中に消える事となります。
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コメント
こんにちは。
果心の名前は聞いたことありますが、こんな人だったんですね。
中国だったら三国志の于吉や水こ伝の羅心人みたいなのがようけいますから、珍しくないですが。日本にもいたとは。
便利だから仕官できそうだけど、こんな人を食ったことばかりやってたから駄目だったのか…
できる人だし、案外、実際は仕官なんてアホらしい、と思っていたのかも?
投稿: おみ | 2012年6月21日 (木) 12時25分
おみさん、こんにちは~
何やら、戦国ゲームとかでは重宝されるキャラのようです。
不思議な魅力ありますからね~
意外にサッパリした人のような気もします。
投稿: 茶々 | 2012年6月21日 (木) 17時12分
「果心居士の幻術」
司馬遼太郎さんの短編集にありますね。(新潮文庫)
初めは重宝され、やがて疎んじられ、歴史の闇に消されてゆく幻術師や忍者の姿を司馬さんが愛情深く描いています。
投稿: レッドバロン | 2012年6月22日 (金) 14時35分
レッドバロンさん、こんにちは~
司馬遼太郎さんの小説に登場する事は知っておりましたが…
>愛情深く描いています。
という事は、良い作品だという事ですね。
投稿: 茶々 | 2012年6月22日 (金) 15時17分