小田原攻めで最も悲惨~八王子城の怖い伝説
天正十八年(1590年)6月23日、豊臣秀吉による小田原征伐にて、八王子城が陥落しました。
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天正十八年(1590年)3月より開始された豊臣秀吉による小田原征伐・・・(3月29日参照>>)
その中で、前田利家を総大将とする上杉景勝(かげかつ)・真田昌幸(さなだまさゆき)らの北国連合隊は、天正十八年(1590年)6月23日に、小田原城の支城である八王子城に猛攻を加え、その日の内に陥落させてしまうわけですが、
この八王子城攻略戦が小田原征伐の中でも、最も悲惨な戦いとなった事は、2009年6月23日のページ>>で書かせていただきましたので、戦いの敬意についてはソチラでご覧いただくとして、
本日は、その後日談・・・というか、
あまりにも悲惨な戦いであった故に語られる様々なウワサ・・・
ちょっと早い、初夏の怪談話という事になるのかも・・・
・‥…━━━☆
もちろん、合戦に、悲惨で無い合戦なんて無いわけで、いつの時も、多くの血が流れるわけですが、この八王子城が特別だったのは、そこに籠城していた人たちの中に、多くの非戦闘員の婦女子が含まれていたという事と、それらの人が、ほぼ全員死亡したという事でしょう。
以前のページでも書きましたように、この小田原征伐の時、八王子城を含む、各支城の城主や精鋭たちは、皆、本城の小田原城を死守すべく、ソチラで籠城していたために、この八王子城に籠城するメンバーも、わずかに残った城兵と、それだけでは足らないために急きょ集められた領民や、その家族で形成されていたのです。
まぁ、以前、【価値観の相違】に関してのページ>>でチョコッと書かせていただいた通り、戦時下では、たとえ女子供であっても、いつでも戦闘員に成り得るのですから、命賭けて戦ってる当事者にとっては、籠城してる以上、全員が戦闘員という考え方もある事は確かですが・・・
とにもかくにも、急きょ集められ、はなから、豊臣側のプロの戦闘員とは、到底、まともに戦える状況では無かったと思われる八王子城内の籠城組・・・
押し寄せる大軍の中で、落城も間近になった時、この八王子城の城主・北条氏照(北条氏政の弟)の正室はじめ、多くの婦女子たちは、
「敵方に捕えられて生き恥をさらし、夫や息子たちの迷惑になってはいけない」
とばかりに、屋敷の建っていた御主殿曲輪の南東に位置する滝へと、次々と身を投げたのです。
その、あまりの人数の多さに、滝から、城下に向かって下って行く城山川の水は、その日から三日三晩、血で赤く染まったとか・・・
それでも死に切れず討ち取られた者は首をはねられ、その首は、小田原城に籠る父や夫の戦意喪失を図るべく、これ見よがしに小田原城外に晒されたと言います。
やがて、それから12日・・・ご存じのように、本城・小田原城が開城されます(7月5日参照>>)
しかし、その後まもなく、いや、すぐに・・・
様々な噂が語られはじめる事になります。
あの日、三日三晩、血で真っ赤に染まった城山川も、いつしか以前の清流となって、また新たな時をきざみます。
しかし、どうした事か・・・
領民が、この川の水で米を研いで焚くと、なぜか真っ赤なご飯ができあがる・・・以来、領民たちは、毎年6月23日になると、赤飯を焚いたと言います。
もちろん、祝いではなく、亡くなった人への鎮魂の意味を込めて・・・
また、陥落後しばらくしてから、この城山川には大量の蛭(ひる)が発生したと言います。
しかも、その蛭は、領民たちが川に入っても何事も起こしませんが、加賀や越後や信濃の出身者が入ると、一斉に足に吸いつき、その血をを吸うのだとか・・・
また、川べりの草むらでは蜘蛛をよく見かけるそうですが、この蜘蛛の中に、子持ちの蜘蛛が多数いて、それは、幼いわが子を抱いて滝へと身を投げた、氏照の側室・お豊の方の生まれ変わりであると言われ、見つけても、決して、殺してはならないのだと言います。
北条の後にこの地を治めた徳川家康によって、八王子城は廃城となりますが、これらの伝説は21世紀になった今も語り継がれ、現在でも、八王子城跡は、何やら不思議な事が起こる心霊スポットとされているそうです。
そんなオドロオドロしいイメージを払拭させるべく任務を負って登場したのが、八王子城の宣伝部長「うじてるくん」→
明るく楽しく八王子城をPRしてくれる、いわゆる「ゆるキャラ」です。
私も、城跡や古戦場は大好きで、よく出かけますが、多くの武将たちが命を落としたその場所に立っても、そこが心霊スポットだとか、怖いとかってイメージを抱く事はありません。
以前、京都の養源院で、関ヶ原の時の伏見城攻防戦で壮絶な死を遂げた鳥居元忠(もとただ)(8月1日参照>>)らの血で染まった「血天井」を見学させていただいた時のお話をしましたが(7月19日参照>>)、まさに、それです。
明日をも知れない戦国の世で、大事な物を守るために散っていった彼らの霊は、尊敬の対象でこそあれ、怖がる存在ではなく、国を守るために命を賭ける事は、誇りでこそあれ怨みではないような気がするのです。
一つ歯車が違えば、彼らが勝者となったかも知れない・・・戦乱にあけくれた時代の人々は、勝つ事、負ける事を、もっと冷静に、したたかに見ていたような・・・
そこには、恨みつらみより、もっと大事な、彼らの思いがこもっているような気がしてなりません。
まぁ、苦しい言い訳&勝手な思い込みかも知れませんが・・・
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コメント
行ったことはないのですが(聞いた話です)
八王子城跡地には水の流れる場所があり
~そこは茶々さまのおっしゃられる通り
怖いイメージはないそうです。~
だけど多くの女性と幼子(の御霊)が今もって戯れれいる!?そういう場所だそうです。
何度聞いても惨い話で胸が痛みます。
今の時代に生まれ来て良かった!!です?^^
投稿: tonton | 2012年6月24日 (日) 11時12分
>6月23日に赤飯を炊く
これは今でも供養としてやる所がありますか?そうなると昨夜の夕飯で赤飯を食べた人が八王子のあたりにいるかも?
八王子城は日本の名城100選の1つになっています。
「曳橋」が復元されています。
投稿: えびすこ | 2012年6月24日 (日) 16時14分
tontonさん、こんばんは~
私も、行った事が無いので、感想的な事は言えませんが、一歴史ファンとしては、心霊スポットより、名城として知名度upになってほしいなと願っています。
投稿: 茶々 | 2012年6月25日 (月) 01時51分
えびすこさん、こんばんは~
>6月23日に赤飯を
そうなんです。
私も、今でも赤飯を焚く地域があるのかどうか…知り合いがいたら聞いてみたいのですが、残念ながら…(;ω;)
投稿: 茶々 | 2012年6月25日 (月) 01時53分
こんにちは~
私は怨念のようなもの、あるかもなぁと思います。
まず、それこそ駆り出された領民が多かっただろうこと、更に攻撃側は容赦なく子供も撫斬りにしていたかもしれないこと、などを考えると…。武将同士の理屈は、領民や武士の妻子供にはあまり関係ないと思います。
被害者側は強く想像以上に恨みを持つものですしね。例えば会津では未だに長州に深い遺恨があるらしく、山口県出身者との結婚はタブーらしいです。
以上から、やはり何かあっても不思議はないと思います。
まあ、自分も数多くの古城に行きましたが、実際に戦場になった所でも怨念や霊気を感じたことはないです(ちなみに霊感はあるほうです)。だから、実際行ってみないとわからないですが…。
とりあえず、スポットかどうかはともかく、面白がって夜肝試しに行くのはやめてほしいですよね。
投稿: おみ | 2012年6月25日 (月) 09時52分
おみさん、こんにちは~
同感です。
その場所に立って、怨念や霊気を感じるかどうかは、人それぞれだと思いますが、心霊スポットとしておもしろ半分に取り上げられる事には、非情に抵抗があります。
命を賭けて戦った人々への敬意を以って、そこに訪れたいと思っています。
投稿: 茶々 | 2012年6月25日 (月) 15時09分
怪談は嫌いではないですが、非業の最期を遂げられた方々を闇雲に仇なす存在扱いして、面白がったりいたずらに怖がったりすることは、事件の犠牲者に対して二次被害を与えることと同じことなのではないかと思うようになりました。
また、敗者側について語る時に多くの人が使用する、「滅びの美学」という言葉に対しても違和感を感じる時があります。もちろん、勝算がかなり少なくても意地を昇華させたり筋を通したりするためにあえて戦うという場合もあると思います。しかし、むしろ当人たちは、最後の最後は潔く散る覚悟はできていても、そこに至るまでは置かれた状況なりに打てる手は打って打開しようとしていたのではないかと思うのです。
投稿: おぺりん | 2012年7月 4日 (水) 00時33分
おぺりんさん、こんにちは~
そうですね。
平和な時代の私たちが、合戦にあけくれた時代の人々の心情を知るのは、なかなか難しい事でしょうね。
確かに、「滅びの美学」という言葉は、死にゆくその人よりも、それを見るコチラ側の感情が、かなり入った言葉だと思います。
いずれにしても、その時代の人々が真剣に考え、命を賭けて起こした行動には、敬意を以って接したいと思います。
投稿: 茶々 | 2012年7月 4日 (水) 15時21分
こんにちは、超~お久しぶりで(o・ω・)ノ))
近いうちに八王子城へ行こうと検索していたら茶々様発見o(*^▽^*)o
お城や戦場には人柱伝説や、首塚、川が血で赤く染まったとか怖い話がいっぱいありますが、私はその場に行くと知恵を絞って守りの城を築き、砦を構え、いざ決戦の地として真剣に戦った人々の声が聞こえるような気がして、とっても敬虔な気持ちになれます。
足腰鍛えて、いろいろ見てみたいです。
投稿: エコリン | 2013年6月 2日 (日) 10時59分
エコリンさん、お久しぶりです。
今度、行かれるのですか?
なぜか、このページは、ずっと一定の、しかも、けっこう多くの方が見に来てくださるようで…
やはり人は、なにか不思議な物に魅かれるのでしょうか?
楽しんで来てくださいm(_ _)m
投稿: 茶々 | 2013年6月 2日 (日) 18時14分
勝手な思い込みだな
ゆるキャラなんぞで恐怖回避や払拭させようなんて ばかなことはヤメテ もっと違う方法を考えるのにアタマを使うべきだな
投稿: | 2014年3月29日 (土) 15時27分
はい、おっしゃる通りです。
ゆるキャラの登場で、ちょっとイメージが変わるかな?なんて思ってるのは、私の個人的な思い込みです。
投稿: 茶々 | 2014年3月29日 (土) 17時44分
うーん、八王子城しかり、関東武士の生々しい顛末を学べてとても勉強になりました。そうですよね、じわじわと進められる領地侵攻など、こんなドロドロした具合なんでしょうね。。。
よい記事ありがとうございます!
投稿: クロカジ | 2014年6月 2日 (月) 02時34分
クロカジさん、こんばんは~
世は戦国ですからね~
キレイ事では生き残っていけませんね。
投稿: 茶々 | 2014年6月 2日 (月) 02時48分