徳川綱吉に寵愛された喜多見重政の末路
元禄六年(1693年)7月28日、5代将軍・徳川綱吉の寵愛を受けながらも悲しい末路となった喜多見重政が亡くなりました。
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と言っても、正式には喜多見重政(きたみ しげまさ)の生没年は不明となっていて、今回の日づけは、あくまで一説には・・・という事なのですが、とりあえず、本日の日づけで書かせていただきます。
旗本の石谷武清(いしがいたけきよ)の次男として生まれた重政は、母方の祖父である喜多見重恒の養子となって寛文十二年(1672年)に1120石の家督を継ぎました。
はじめは、御書院番や進物役などをこなしていましたが、延宝八年(1680年)に、江戸幕府第5代将軍に徳川綱吉(つなよし)が就任した事から、一気に出世の道をたどる事になります。
貞享二年(1685年)には御側用人になり、翌年には1万石を加増されて、旗本から、計2万石の大名に出世・・・
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綱吉が重政を寵愛した要因は、重政が、あの生類憐みの令の忠実な実行者であったから・・・と言われています。
以前も書かせていただいたように、この生類憐みの令は、最初に発令された時にはそれほどでも無かったのが(1月28日参照>>)、度重なる発令の追加により、徐々に範囲も広がって、その罰も厳しくなっていき、途中からは、動物を保護するために人が死刑になるなど、ワケのワカラン展開になって(1月10日参照>>)、今でも「天下の悪法」と言われたりなんぞします。
この法令は元禄七年(1694年)頃に最高潮に達しますが、その頃に、重政は犬大支配役という役職に任命されていたのです。
この役職が、実際にどんな任務をこなしていたのかの詳細な記録は無いそうですが、おそらくは、犬を保護すると同時に、違反者を摘発する役目であったろう事は想像できますので、生活に不自由をきたすほどの法令に悩まされた庶民からは、煙たがられる役職だったでしょうね。
『竹橋余筆(ちっきょうよひつ)別集』によれば、少なくとも元禄の始め頃には、重政は自らの領内に野犬を保護するための犬小屋を設置していて、後に、綱吉自身が、おそらく、この重政の犬小屋をヒントに自らも野犬の収容施設を造っていますので、そりゃ、寵愛しますわな。
ところが、ドッコイ・・・元禄二年(1689年)、突然、所領を没収され、桑名藩主=松平定重(さだしげ)に預けられるのです。
『寛政重修諸家父譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』によれば、その原因は・・・
「抜群の重恩をこうむりながら 近来しばしば御むね(綱吉の意思)に背き 勤務おろそかなり」
と・・・
つまり、「綱吉に寵愛されてるのを良い事に、天狗になって仕事をサボってた」という事のようですが、このあまりの突然の改易に、様々な憶測も飛んでいます。
ちょうどその頃、重政の一族の喜多見重治という者が、自宅にて、自身の妹のダンナと口論になったあげくに殺害した事で、逮捕されて死刑になったという事件があったのですが、その事件が綱吉の逆鱗に触れ、事件に連座する形で、重政も改易になってしまった・・・とか、
あるいは、重政が綱吉に対して、何らかの諌言をした事を逆ギレされて改易となったとか・・・
はたまた、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)(11月2日参照>>)による陰謀説なんかも出ています。
もちろん、ほとんど史料が無いので、あくまで憶測ですが、それまで絶好調で寵愛されていただけに、何やら、謎めいた部分が残る、突然の失脚です。
結局、重政は、その、預かり先の桑名にて、元禄六年(1693年)7月28日にお亡くなりになるのですが、
かの『徳川実記』には、
「物狂いしさまにて、あらぬことどもいいつづけ没した」
と・・・
そう、乱心の末に亡くなったと書かれているのです。
なんだか、こういう最期だったと聞くと、より、その失脚にのウラに、彼が心を病んでしまうほどの大きな何かが隠れているように思ってしまいますね。
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コメント
出没年不明ですか?大名にまでなったのだから、官位もあったはず。柳沢吉保の陰謀で、失脚?
投稿: やぶひび | 2012年7月28日 (土) 23時53分
やぶひびさん、こんばんは~
なんか、謎が多いですね~
本文にもあるように改易になった理由については『寛政重修諸家父譜』に書かれている事がすべてなので、正史としてはそれが理由となるのでしょうが、それでは納得がいかないので様々な説が出るんでしょうねぇ。
なんか、「柳沢吉保が新参者の重政を排除したのでは?」という噂があるみたいです。
投稿: 茶々 | 2012年7月29日 (日) 01時46分