生駒騒動を引き起こした?山口彦十郎の亡霊
今日のお話は、江戸前期の仮名草子『因果物語(いんがものがたり)』に登場するお話なのですが、日づけのわからない(私が知らないだけかも知れません)ので、納涼怪談話として、夏の盛りにご紹介させていただきます。
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時は、あの関ヶ原から約半世紀を過ぎた万治年間(1658年~1660年)・・・
当時、四国は高松城主を務めていたのは、先日、そのご命日に、人となりを書かせていただいた第4代藩主の生駒高俊(いこまたかとし)でした(6月16日参照>>)。
そのページにも、美少年好きの高俊さんが、少々ハシャぎ過ぎたところに、家臣同士のいがみ合いが重なり、結局、所領没収のうえ配流に・・・という話をさせていただきましたが、
実は、そのお家騒動を引き起こしたのが怨霊だったというお話が残っているのです。
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先のページにも書かせていただいたように、坊ちゃん育ちのうえに、未だ藩主など務まるはずもない年齢で藩主になってしまった高俊さんは、政治をかえりみず、美少年をはべらせて遊ぶ事に夢中・・・
たまに、政治の事に口出したと思えば、やりっぱなしで、あとの事は知らん顔・・・それなら逆に、「何もしてくれるな!」と言いたくなるような、中途半端な口出しばかり・・・
もちろん、いくら殿様と言えど、そんな高俊に苦言を呈する、ちゃんとした家臣もいたわけで・・・それが、山口彦十郎という侍でした。
ある日、たまりかねた彦十郎は、
「家臣たちの昇進や昇級に不公平が出過ぎだと思います。
このままでは、家臣の統率が取れなくなり、藩の体制が乱れますよ」
と進言・・・
しかし、当然の事ながら、
「何を、しょーもない事、言うとんねん!」
と高俊は取り合わず・・・
「どうか」「どうか」
と、さらに食い下がる彦十郎をうっとぉしく思った高俊は、これまで、藩に多大な貢献をして来た彦十郎の功績も一切無視して、いきなり左遷・・・重要な仕事など一切回って来ない窓際族へと追いやってしまったのです。
この処分に怒った彦十郎は、その日から登城を拒否・・・屋敷に引き籠ります。
この彦十郎の行動を、藩主に対する反抗=謀反と判断した高俊は、すぐさま彦十郎の一族を捉え、彦十郎本人を斬首にしたうえ、その妻子までも死刑にしたのです。
やがて、その処刑の日・・・彦十郎の斬首を担当したのは、横井四郎右衛門という侍でした。
右衛門にとっては、個人的恨みなど無い人物ですが、命令が下った以上、その任務は真っ当せねばならないわけで・・・彼が、おもむろに刀を振り上げると、
「藩の人事に異義を申し立てた以上、処刑されるのはしかたない事やけど、武士の1人として切腹で死ねないのは無念や!!!
まして、妻や子まで…」
と、彦十郎は嘆きます。
その声を振り払うように、刀を振り下ろす右衛門・・・
その瞬間にコロコロと転がった彦十郎の首は、右衛門をカッ!!と睨みつけ、更なる怨みの言葉を言った後、やっと目を閉じたと言います。
その夜から、右衛門は苦しみ出し、様子がおかしくなります。
「彦十郎よ・・・
お前の首を討ったのは、殿の命令なんや
俺は、命令に従うただけだけや・・・許してくれ!」
と、くりかえし口走り、さらに苦しみ抜いた後、7日後には死亡してしまったのです。
さらに、その後、彦十郎の亡霊は、高俊の居室の天井に住みつきます。
高俊が眠りにつこうとすると、毎夜毎夜、姿を現し、天井からは、奇妙な音が鳴り響きます。
果ては高俊の居室を飛び出て、城内の大木を倒したり・・・
やがて、このおかしな現象で、奇妙な死に方をする家臣が十数人にも昇ったのだとか・・・
そして、最終的に勃発したのが、かの生駒騒動・・・高俊は、所領を没収され、堪忍料1万石で出羽由利(由利本庄市)へ配流となってしまったのです。
当時は、
「彦十郎の亡霊が、ついには幕府をも動かした」
と噂されたのだそうです。
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