魔界へ訪問…太平記の「雲景未来記」
あぁ、今日も暑い暑い~
こう暑いと頭が回らなくなって、ついつい、恒例の「真夏の夜の怪談話」を、ご紹介したくなるんですが…
そんな中で、そう言えば、今週の大河ドラマ「平清盛」で、思う存分の怨みつらみを口走り、生きながら鬼となったあの崇徳(すどく)上皇(8月26日参照>>)がお亡くなりになられたなぁ・・・
という事で、本日は、怪談ではないかも知れないけれど、ちょっと不思議なお話・・・『太平記』巻二十七に登場する「雲景未来記(うんけいみらいき)」のお話をご紹介したいと思います。
・・・・・・・・・
貞和五年(1349年)と言いますから、あの足利尊氏(あしかがたかうじ)が征夷大将軍に任ぜられて(8月11日参照>>)から11年・・・後醍醐(ごだいご)天皇もお亡くなりになり(8月16日参照>>)、ぼちぼち、尊氏と弟の直義(ただよし)、執事の高師直(こうのもろなお)らの間に、少々の亀裂が生まれ始めた頃(10月21日参照>>)でしょうか・・・
明けて間もない正月に、まずは凶兆の星が空に現われ、その後、各地で異変が起き始めます。
2月には将軍塚(京都市山科区)から異様な音が鳴り響き、清水寺が炎上し、6月には石清水八幡宮(京都府八幡市)の神殿が鳴動し・・・
同じ6月には、関白の二条良基(よしとも)や将軍・尊氏が観覧する田楽の大興行が、四条河原にて催されましたが、そこに設置された上下二四九間(約450m)もの巨大な観覧席が倒壊して、多くの死者を出す大惨事がありました。
あまりの出来事に、これは・・・
叡山のある僧が謎の山伏に連れられて、田楽の貴賓席に瞬間移動し、尊氏から、ご丁寧にお酌まで受けたところ、その謎の山伏が「熱狂した頭、冷やしたる!」と、観覧席の柱を押して倒壊=つまり、天狗倒しだったのだ・・・てな噂が、まことしやかに囁かれました。
そんなこんなの6月20日、出羽の羽黒山の山伏・雲景(うんけい)が都に立ち寄った時、「1度、噂の天龍寺を見てみたい」と、西に向かって歩いていると、以前、太政官庁があったあたりで、1人の山伏に出会います。
年の頃なら60歳過ぎ・・・
「どこへ、行きはりますのん?」
と、聞かれたので、雲景が
「天龍寺を見に行こうと・・・」
と言うと、その山伏は
「ワシらが修行してる山は、日本一の霊地やで!君も、修行の思い出に、いっぺん来たらどうや」
と言います。
雲景も山伏のはしくれ・・・日本一の霊地と聞けば興味が湧き、ついて行く事にします。
山伏に案内されながら、どんどんと山道に入り、やがて愛宕山の山頂に・・・そこには白雲寺という、金銀を散りばめたような、それはそれは美しいお寺があり、その建物を見ただけで、「ここで修業したい!」と思うほどでした。
「ささ…奥へ、堂内を案内いたしましょう」
誘われるままに着いて行くと、奥には立派な住居があって、部屋の上座には金色に輝く鳶(とび)が羽をつくろい、その右側には弓や太刀を持った大男がいて、左側には、高貴な人が着るような美しい装束の人たちがズラリ・・・
「これは、どなたのお集まりで???」
と、雲景が聞くと・・・
「金色の鳶は崇徳上皇であ~る」
なんと、彼らは、生きながら鬼と化して死後は悪魔王の棟梁となった崇徳上皇を中心とした御霊(ごりょう)会談・・・
崇徳上皇の右にいる大男は、
源為朝(みなもとのためとも)(3月6日参照>>)で、
左には淡路廃帝(あわじはいたい=淳仁天皇)(10月23日参照>>)や井上皇后(10月1日参照>>)、
さらに、後鳥羽上皇(7月13日参照>>)などなど、
いずれも、この世に怨みを残して亡くなった高貴な人ばかりで、あの後醍醐天皇も大搭宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう・もりながしんのう)(7月23日参照>>)の姿も・・・
そんな方々が、今、ここに集まり、
「どうやって天下を乱してやろうか」と相談しているのだと言います。
「えらい所に来てもた…( ̄○ ̄;)!」
と雲景が驚愕していると、そこに一座の長老っぽい山伏=実は天狗界の重鎮が現われ、雲景に
「最近の京の都の事について、教えてちょ」
と言うので、雲景は、つい先日起こった、あの田楽興行での観覧席倒壊事件や、将軍兄弟が執事のために、何やら不穏な空気になっている事などを話すと、長老は、その事に答えるかのように、出来事の解説を始めます。
まずは、田楽での観覧席倒壊・・・
これは、天狗の仕業ではなく、本来は国政に尽力すべき、関白や将軍が、その職務を忘れ、群衆とともに遊興にふけったので、神仏がお怒りになったのだと・・・
さらに、足利将軍兄弟と執事の高兄弟の不和については・・・
臣下の将軍が君主である天皇を軽視すれば、当然、将軍の臣下である執事も将軍を軽視する・・・
そうして天下の道に背いた執事も、やがて滅び、不和は大乱を招いて平和が訪れる事は難しいであろうと予言しました。
続けて・・・
そもそも、政治は仁・・・仁とは国中に恵みを与えて国民を養い、慈しむ事である。
しかし、今の政治は、これを忘れている・・・
今の政治は、時代の流れと個人の欲が渦巻いて、何かと言えば下剋上・・・因果業報(いんがごうほう=前世にやった事が原因で現世の結果ある事)を知らず、それを、単なる運だと思っている・・・と、
さらに、後醍醐天皇の世が長く続かなかった事については・・・
後醍醐天皇は古の天皇にならって良い政治を行おうとしたけれど、結局のところ民衆を慈しむ心が無く、途絶えた伝統行事を復活させて神仏に篤い信仰を寄せたけれど、真心が無かった・・・なので、幕府を滅ぼしたものの、北条高時にも劣る尊氏に政権を奪われてしまったのた、と・・・
もはや、武家なくしては政治が行えない時代になった現状を理解せず、仁徳で導く親政を目指したものの、結局は国を支配したいという欲だけが先走ってしまった・・・
んん??(・_・)....?
何じゃ? これは、怖い話なのか??
いや、怪談話or不思議話ではなく、完全に政治批判になってまっせ・・・しかも、意外に公平な立場に立って、南北朝の両方ともを批判してる?・・・
しかも、ところどころ、平成の現代でも、耳が痛いようなフレーズが・・・
そう、軍記物である『太平記』は、そのほとんどが血生臭い戦いの話なのですが、この「雲景未来記」に関しては、不思議話のポーズを取りながら、結局は、現在の政治批判をしているのです。
確かに、1人の人間の手による短期間の作品ではなく、複数の人物(10人以上)によって長期間費やして書かれたとおぼしき『太平記』ではありますが、正平二十五年・応安三年(1370年)頃には、すでに全40巻が成立していたと考えられていますので、天皇家や幕府どころか、未だ南北朝合一も成されていないうちでの政治批判とは・・・なかなか大したものです。
・・・で、結局、お話の流れは、このあと、雲景は、さらに、天下泰平の事について長老に聞きたい!と思うのですが、その途端に、あたりが猛火に包まれたので、雲景が急いで逃げようとした瞬間・・・・ふと気がつくと、最初に、あの不思議な山伏に出会った太政官庁跡に戻っていたのです。
雲景は、この魔界での貴重な体験を後世に伝えたいと思い、『未来記』(預言書)としてまとめ、朝廷に献上したという事です。
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コメント
足利尊氏が北条高時より格下であるとか、後醍醐天皇には真心がないとか、ずいぶん辛らつですね。
政治の世界で何かするには権力を持たなくてはなりませんが、権力を取ることが自己目的化してしまうのはいつの時代も同じなんですね。
朝廷に提出されたという「雲景未来記」ですが、実際に存在するのでしょうか。それとも「太平記」作者によってでっちあげられたのか。そんなことより白雲寺にお集まりのあのメンバーが仲良く会議をなさっているというのがなんか不思議だし、怖い・・・
投稿: りくにす | 2012年8月 3日 (金) 21時23分
北朝から書かれたものでしょうか?太平記はリレー小説的な所もありますから。室町幕府は朝廷と結構上手くいったようだし。
投稿: やぶひび | 2012年8月 3日 (金) 23時02分
りくにすさん、こんばんは~
「未来記」と言った類いの物で、1番有名なのは、四天王寺にあるとされる「聖徳太子の未来記」で、源義経が見たとか楠木正成が見たとか言われますが、結局、現存は確認されてませんから、おそらく、この雲景の未来記も、それ自体は現存しないでしょうね~
むしろ、その(天狗が言ってるという)テイで政治に物申してるって感じじゃないでしょうか?
投稿: 茶々 | 2012年8月 3日 (金) 23時26分
やぶひびさん、こんばんは~
>北朝から書かれたものでしょうか?
う~ん?
でも、尊氏も批判してもすもんね~
おっしゃる通り、複数人によるリレー方式なので、その時々で、少し変わった感じの書き方になるのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2012年8月 3日 (金) 23時28分
二四九間(約450m)もの高さの巨大な観覧席????
長さと違うノン???
投稿: 大阪ジジイ | 2015年8月10日 (月) 07時45分
大阪ジジイさん、こんにちは~
『太平記』の原文に「上下二百四十九間」とあるので高さかと思ってしましたが、「上と下?」「上手から下手?」という事かも知れませんね。
原文ママの表記にしておきますww
投稿: 茶々 | 2015年8月10日 (月) 14時56分