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2012年9月 8日 (土)

壮絶な夫婦ゲンカで改易処分…安中藩主・水野元知

 

延宝八年(1680年)9月8日、上野国安中藩の第2代藩主・水野元知が38歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・・・

上野(こうずけ=群馬県)安中(あんなか)の初代藩主=水野元綱(もとつな)の次男として生まれた水野元知(みずのもととも)が、父の隠居にともなって家督を相続したのは寛文四年(1664年)の22歳の時でした。

その時、すでに結婚していた元知・・・彼の悩みは、この奥さんにありました。

30ilal03b100 この奥さん、出羽山形(山形県山形市)の水野氏の一族である野監物忠善(けんもちただよし)の娘なのですが、元知と同族と言えど、格式では嫁さんの家が上位・・・父・忠善の威光をそのまま婚家に持ち込み、事あるごとに夫を見下すような態度で、とにかくキツイ・・・

そんな中で、藩主となれば、当然、妻子は江戸屋敷に住み、藩主は江戸と領国を行ったり来たりの生活になるわけですので、元知としては、江戸での生活がうっとぉしくてたまらない・・・

そんな元知の気持ちを癒してくれたのが、安中城(群馬県安中市)の奥女中だった八重という女性でした。

何事も包み込むようなやさしさと包容力と穏やかなな物腰・・・当然のなりゆきと言え、元知は八重に夢中に・・・

この先、「領国に帰れば八重がいる」と思うと、重苦しい江戸での生活も、嫌な政務も、なんとかこなせそうな気になる元知でした。

しかし、二人の関係は、間もなく、江戸上屋敷にいる奥さんの知るところとなります。

もともと例のごとく、上から目線の高飛車奥さんですから、八重の事を知った後は、ますます嫉妬深くなっていました。

やがて、元知が江戸に戻る時がやって来ます。

憂鬱な気持ちを背負ったまま、江戸に向かう元知・・・しかし、どうしても、奥さんのいる上屋敷には行きたくない!!!

そのため元知は、まずは、奥さんのいない下屋敷へと向かいました。

この態度に奥さんは激怒!!
「江戸に戻ったのに挨拶が無い!」
「正室をないがしろにしとるんか!」
「バカにすな~~い」

と怒り爆発です。

もう、怖くて上屋敷には行けない元知・・・もちろんそうなると仕事にも支障をきたすわけで・・・

やむなく、元知は気鬱(気分の落ち込み)を理由に幕府に届け出を出し、100日間の有給休暇をもらい、そのまま、安中へと帰国しました。

・・・と、またこれが奥さんの気持ちにさらに火をつける事に・・・

「何、勝手に帰っとんねん!」
という怒りとともに、
「帰ったら、また、あの女とイチャつくんちゃうんかい!」
という嫉妬が絡み・・・

とうとう奥さんは、八重の殺害を計画するのです。

藩お抱えの医師と親しかった彼女は、医師に命じて八重を拉致させ、昼夜をいとわぬ折檻を繰り返したあげく、縫い針を夫の布団に仕込み、
「八重が、藩主・元知を殺傷しようとしている」話をでっちあげます。

そして、その殺傷疑惑を理由に、八重を生きたまま箱詰めし、九十九川に沈めて殺してしまうのです。

やがて、100日経って、休暇明けの夫の江戸出仕を待っていた奥さん・・・

江戸に戻った元知を見るなり、
「わかってるやろ!」
と言いながら、懐に持っていた守り刀を抜き、元知に斬りかかったのです。

さすがに、元知は武士ですから、とっさに身をかわし応戦しますが、もみ合ううちにお互いがお互いを傷つけ、ともに重傷を負うという壮絶な夫婦ゲンカとなってしまいました。

その事件の1カ月後・・・
「もはや耐えられない」
と感じた元知は、自ら刀を取って自害を図るのですが、失敗・・・

夫婦ゲンカで刃傷沙汰となったうえに、武士とあろう者が自刃を失敗・・・こんな話が、幕府に知れるのは時間の問題だと判断した藩の重鎮は、自ら
「藩主の発狂」
として幕府に届けます。

寛文七年(1667年)5月28日領地没収の改易処分・・・元知の身柄は、信濃松本藩(長野県松本市)水野忠職(ただもと)の預かりとなり、奥さんも実家に戻されます。

速やかに届け出たおかげか、息子の元朝には、少しばかりの禄が許され、子孫も旗本として存続する事になった事が、せめてもの救い・・・

しかし、当の元知さんは、そのまま心身ともに病んでしまい、延宝八年(1680年)9月8日、配所にて、38歳という若さで、この世を去りました。

とは言え、この事件・・・
「藩主の乱心を理由に改易となった」事は、記録として残っていますが、実際には、その理由も諸説あり、細かな事は、あくまで噂の域を出ない物でありますので、そこのところは、ご理解いくださいませm(_ _)m
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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

赤の他人ならともかく、同族で格上のお嫁さんというのは男にとっていちばん耐え難いものかも。将軍や御三家の娘は嫁いでもずっと「姫様」扱いを受けたそうですが、中小大名のあいだでもそういう傾向があったのでしょうか?奥さんは奥さんで威張る理由があるのでしょう。

ところで今読んでいる『ドン・キホーテ』の作中小説『愚かで物好きな話』(岩波文庫版の2~3巻)には、新妻の貞淑さを試したいばかりに親友に妻を誘惑させる若者が出てきます。作中でも「フィクションだろう」と言われてしまうお話なのですが、こんなアホな夫は世の中にいるものでしょうか?

投稿: りくにす | 2012年9月12日 (水) 23時00分

りくにすさん、こんばんは~

>こんなアホな夫は…

さぁ、どうでしょう?
夫婦の事は夫婦にしかわかりませんからね~
他人には理解できない事もあるかも知れません。
創作としては、オモシロイ展開の作品になると思いますが…

投稿: 茶々 | 2012年9月13日 (木) 01時58分

「封建時代」に対しては勝手な思い込みや誤解が数多くあります。当時は「個人」で生きていたのではなく、その人の属する「家」の力や格でほぼ全ての関係性が決まりました。性別よりもそっちのほうがはるかに重く、男尊女卑なんてのは嘘っぱちです。

妻を大事にしないということはその実家を蔑ろにするということで、場合によってはとんでもないことになります。オマケに武家の家計はいずこも火の車ですからね。妻の実家からの援助や借金に頼っているケースが多かったのです。

江戸時代の武家の離婚率は高かったそうて、裏返せば実家はいつでも戻っておいで状態?…そこまででは無いにしても、女性の立場がそれだけ守られていた、とも言えると思います。

水野さんの奥方は、なんぼ何でもやり過ぎですが。

投稿: レッドバロン | 2012年9月14日 (金) 13時07分

レッドバロンさん、こんばんは~

特に江戸時代は、女性の人口が少なかったですからね~
良いところのお嬢様は貴重です。

結婚が家と家ではなく、個人と個人になったのは、ごくごく最近の事ですね。

投稿: 茶々 | 2012年9月14日 (金) 19時45分

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