余呉の羽衣伝説
実は旅に出ておりました~~ って事で、本日は、撮って来た写真とともに、湖北は余呉湖に伝わる羽衣伝説をご紹介します。
余呉湖は、滋賀県長浜市にある湖で、日本一大きな琵琶湖の北東に位置しています。
正式には余呉湖と書いて「よごのうみ」と読みます。
天正十一年(1583年)4月21日には、亡き織田信長の後継をめぐって、羽柴(後の豊臣)秀吉と柴田勝家が雌雄を決した賤ヶ岳の戦い(4月21日参照>>)の舞台となったところ・・・ 以前upした賤ヶ岳の合戦のページの図→をご覧いただければ一目瞭然ですが、この合戦は、まさに余呉湖の周りを囲むように展開されました。
そんな血生臭い戦国とはうらはらに、一方で残る羽衣伝説は、やはり、その余呉湖の美しさに魅せられた天女が舞い降りるというもの・・・
内容は、全国に残る羽衣伝説と良く似た王道を行くものですが、実は、この余呉湖の羽衣伝説が日本最古(近江風土記に登場)の伝説なのです。
・‥…━━━☆
昔、余呉湖のそばの川並という村に伊香刀美(いかとみ)もしくは桐畑太夫という漁師が住んでしました。
もともと、腕の良い漁師でしたが、その日は、ことのほか大きな魚を網に捕えて大喜び・・・しかし、大漁に喜んで、とりあえず休憩しようと、舟を岸に近づけて気を許したすきに、魚はピョンっとはねて、再び湖の中へ・・・
「なんや、ついてないなぁ」
と、苦笑いしながら、そばにあった柳の木を見上げると、枝の先の方に五色に光輝く、美しい羽衣が掛けてある・・・
あまりの美しさに、ちょっとした出来ごころで、その羽衣を手に取り、網に巻きつけて持って帰ろうとする男・・・
しばらく歩いて行くと、道端で美しい娘がしくしく泣いています。
「どないしはったんですか?」
と、男が聞くと
「私は天に住まう者ですが、余呉湖の美しさに魅せられて、毎年、年に一度だけ天から降りて来て水浴びをしているんですが、さっき、柳の木に掛けておいたはずの羽衣が、いつの間にかなくなってますのや。
日が西に傾けば天へ帰らねばなりませんが、あれが無いと帰れませんねや。
どうか、網の中の羽衣をお返しください」
「知ってたんかい!」
と思いつつ、まだ、出来ごころ止まぬ男・・・
「帰られへんねやったら、俺の嫁さんになってぇや」
と、鬼畜のごとき発言をのたまう彼・・・
「天の者が地上で夫婦などなれませぬ~~お返しください」
と、強引に取ろうとしますが、男の太い腕に阻まれ、天女は泣く泣く、嫁になる事を承諾・・・(って、昔話とは言え、DVはなはだしい内容やな(# ゚Д゚) )
やがて、二人の間には玉のような男の子が生まれますが、そんなこんなのある日・・・天女が子供に添い寝をしながら、うつらうつらしていると、どこからともなく子守唄が聞こえて来ます。
♪いましの母は天女様 お星の国の天女様 ♪
♪いましの母の羽衣は 千束千把の藁(ワラ)の下♪
ハッと気づいた天女は、裏庭に積んであるワラの下を手で探ります。
すると・・・
「あったわ!やれうれしや、わが羽衣!!」
喜んで羽衣を身にまとった天女は、空高く舞い上がり、天へと帰っていきました。
・‥…━━━☆
・・・で、余呉湖の羽衣伝説では、主人公の伊香刀美が、近くにある伊香具(いかぐ・いかご)神社(長浜市木之本町)の祭神である伊香津臣命(いかつおみのみこと)の事とされ、生まれた子供が、後に、この地方の有力豪族となる伊香氏の祖先であるというのが一般的ですが、
一方で、昔話として口伝えで残っている物語では、主人公の男は桐畑太夫という名前で、残された子供が母恋しさに毎日泣いていたところ、その泣き声が法華経に似ているとして近くの菅山寺の僧に引き取られた後、その優秀さを見込んだ貴族・菅原是善(すがわらのこれよし)に養子として引き取られ、なんと、あの菅原道真になったという話になっています。
現在は人口の導水路が造られた余呉湖ですが、もともとは3万年前に閉鎖となった独立湖…ゆえに波がほとんど立たず、別名:鏡湖とも呼ばれます
ところで、羽衣伝説のほとんどがそうですが・・・
天女をムリヤリ嫁さんにする男も男ですが、生まれた子供という存在があるにも関わらず、ちゅうちょせず天女が帰ってしまうところが、個人的にはちょっと悲しいんですが・・・
実は、これには一つの説があります。
余呉湖の周辺は、古代より大陸とのつながりが強く、多くの渡来人が住んだと言われ、近くには新羅崎神社(現在は跡のみ)という名前の神社があったり、今も長浜市にある鉛練比古(えれひこ)神社の祭神の天日槍神(あめのひぼこのかみ)は垂仁天皇の時代に渡来した新羅の王子だとされています。
もちろん、全国的によく知られている羽衣伝説の舞台=三保松原のあたりも、渡来人との関係が深い土地とされ、そのような土地に羽衣伝説が伝わっている事が多いのです。
つまり、遠く異国からやって来た渡来人の女性たち・・・姿や立ち居振る舞いが少し違う彼女たちを、地元の男たちは天女のごとく愛し、ともに暮らしていたものの、何らかの事情で、幼い子供を残して帰国しなければならなかった・・・あるいは、故郷に行ったまま、日本に戻れなくなったというような出来事があったのではないか?
という事・・・
それが、いつしか、羽衣伝説として語り継がれるようになったのではないでしょうか。
慣れない異国で、体調を崩して亡くなってしまう女性も多くいたのかも知れません。
でないと、例え天女と言えど、母たる者、自分の意思で可愛い子供を残して去って行ってしまうという事は無い気がしますね。
羽衣伝説は、美しいというよりは、悲しいお話だったのかも知れません。
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コメント
神が御子を置いてけぼり!?にして去って行く話は古代より多々ありますが…私には出来ませんね^^
それよりも菅原道真が天女の御子であったというのは、それも有りかなって笑って納得?!です。
何せ神社に神として祀られるほどのお方ですから!(我が県に防府天満宮があります)
琵琶湖のある滋賀県~1度は行ってみたいものです。
投稿: tonton | 2012年9月 3日 (月) 09時41分
tontonさん、こんばんは~
>私には出来ませんね^^
やはり、そうですよね~
物語にはありませんが、やはり幼子を置いていかねばならない事情があったのだろうと、私も思います。
投稿: 茶々 | 2012年9月 3日 (月) 19時48分
>慣れない異国で、体調を崩して亡くなってしまう女性も多くいたのかも知れません。
こっちのほうが自然かな?→子供を置いて天に帰る
出産は命がけですからね。
そういえば、雪女も子供を置いて出て行ったような気が...
ほんとに多そうですね、こういうお話。
投稿: ことかね | 2012年9月 5日 (水) 11時56分
ことかねさん、こんにちは~
>子供を置いて天に帰る…
まさに、そういう事かも知れませんね。
>雪女…
昔話としての雪女は、地方によって様々で、中には、子供を連れた雪女もいるそうですが、小泉八雲の雪女では、やはり、子供を置いて帰りますね。
別れを告げなければならない悲しさがこみあげてきます。
投稿: 茶々 | 2012年9月 5日 (水) 14時06分