清盛・秀吉の夢を実現させた田辺朔郎
昭和十九年(1944年)9月5日、琵琶湖疏水や北海道の鉄道建設に尽力した土木工学者・田辺朔郎が83歳の生涯を閉じました。
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すでに5年前の4月7日のページで、本日主役の田辺朔郎(たなべさくろう)が手がけた最も有名な事業である琵琶湖疏水の完成について書いておりますので(4月7日参照>>)、内容が重複する箇所が複数あると思いますが、どうかおつきあいくださいm(_ _)m
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文久元年(1861年)に江戸で生まれた朔郎は、様式砲術家だった父の影響を受けて、理工系の学問に興味津々の少年となり、できたばかりの工部大学校(現在の東京大学工学部)に入学しました。
明治十六年(1883年)に、無事、その学校を卒業するわけですが、その時の卒業論文が『隧道(ずいどう=トンネル)建築=琵琶湖疏水工事計画』だったのです。
琵琶湖と京都を水路で結ぶ・・・その水は京都から伏見へ流れ、さらに淀川を経て大阪へ・・・
これは、古くはあの平清盛が構想し、豊臣秀吉も夢見た一大プロジェクト!
つい先日の京極高次(きょうごくたかつぐ)さんのページで(9月3日参照>>)、「交通の要所である大津を任された」てな事を書かせていただきましたが、大型トラックという物が無い時代、大量の物資をいち早く、少ない労力で運べるのは、何たって船です。
若狭湾の豊富な海の幸や米どころ北陸の農産物など、琵琶湖の北岸から船で運び、大津で荷揚げする・・・これが、そのまま京都まで運べたら、こんなにすばらしい事は無いわけで・・・
とは言え、清盛も秀吉も考えていたのなら、おそらくは、この明治の頃までに、何人もの人物が、その構想を練ったはず・・・しかし、これまでは、いずれも実現不可能となっていた・・・
現に、この時も、何人かのお雇い外国人技師は、「日本の今の技術水準では無理だ」と言っていたのです。
しかし、時の京都府知事=北垣国道(きたがきくにみち)が、前代未聞の人材登用をはかったのです。
それが朔郎・・・想像ですが、朔郎の卒業論文を読んだ国道が、この21歳の若き工学士に、清盛以来の夢を託そうと思えるほど、具体的かつ実現可能なプランだったという事なのかも知れません。
とにもかくにも、こうして一大プロジェクトはスタート・・・
果たして朔郎は、国道の期待に応える・・・いや、その期待以上の働きをします。
琵琶湖側の浜大津で水を取り入れた水路は、山に向かって流れ、複数のトンネルを越えて京都東山の蹴上(けあげ)に到着しますが、この間の水の高低差は、わずかに4mと言いますから、見事な設計です。
ただし、その蹴上から、鴨川経由で京都市街の中心に船が出るためには、高さ35mの急こう配を越えなければならず、そのために工夫されたのがインクライン(傾斜鉄道)・・・滑車とワイヤーを使って、船を乗せた台車を引っ張るという、言わばケーブルカーなわけですが、朔郎が国道の期待以上の働きというのココです。
この疏水工事の最中に、アメリカの鉱山を視察した朔郎は、もともとは、水力利用のつもりだったインクラインを、蹴上に水力発電所を設けて、電力で作動する事に計画変更したのです。
日本初の水力発電、日本初の電車(電力ケーブルカー)・・・この見事なプロジェクトは明治二十三年(1890年)4月7日、ついに完成しました。
●琵琶湖疏水の場所については、本家HP:京都歴史散歩「疏水沿いの哲学の道を銀閣寺から南禅寺へ…」でどうぞ>>(インクラインのしくみ図や疏水の地図もあります)
さらに明治二十七年(1894年)には、疏水が伏見にまで延長され、琵琶湖と淀川が結ばれて滋賀から大阪が舟によって直結・・・事実上、北陸から大阪への夢のラインが完成したのです。
その後、一大プロジェクトを終えた朔郎は、帝国大学の教授という職についていましたが、またもや国道から声がかかります。
明治二十九年(1896年)、北海道庁長官に転任していた国道が、道庁が直接、鉄道の建設&運営をする事を決意して、その技術者として朔郎を呼んだのです。
すぐさま大学教授の座を辞職して北海道に向かう朔郎・・・机上で物を考える学者より、現場に立つ事を優先するその姿に、朔郎の心意気を感じます。
やがて、彼の手によって、函館本線・宗谷本線・根室本線など、今も残る北海道の主要幹線の原型ができあがるのです。
その後、50歳に差し掛かろうという頃には、京都帝国大学工科大学長に就任・・・大正七年(1918年)に大学を退官した後も、大阪市営地下鉄などの鉄道建設に携わったと言いますから、そのエネルギーたるや、底知れぬものが・・・
明治の人の大きさを感じます。
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