石山合戦・勃発~信長VS顕如の野田福島の戦い
元亀元年(1570年)9月12日、石山本願寺が、野田・福島の砦に攻撃を加えた織田信長に対して挙兵・・・信長の砦に鉄炮を撃ちかけ、第1次石山合戦となりました。
・・・・・・・・・
本日=9月12日は、奇しくも、元亀二年(1571年)に、あの織田信長が比叡山焼き討ち(2006年9月12日参照>>)を行ったと同じ日づけ・・・
この信長の比叡山焼き討ちは、信長の殺戮の代表格のように言われ、一般的には神仏をも恐れぬ魔王のごとき所業・・・と称されますが、このブログでも度々お話していますように、信長がやったのは、宗教を政治に介入させない=政教分離であって、宗教弾圧ではありません。
逆を言えば、信長がやる前の宗教勢力は、その武力で以って、ものすご~~く政治に介入していたわけですね。
ここのところの大河ドラマ「平清盛」で、
「賀茂川の水の流れと山法師とサイコロの目」
という、かの白河法皇でも思い通りにならなかった物を挙げたこの言葉が強調されていますので、すでに、皆さまもご承知かと思いますが、この「山法師」というのが宗教勢力です。
ただし、この平安の頃の仏教勢力の力は、主に武装した僧=僧兵・・・やがて室町時代になって、徐々にその勢力をつけて来た一向一揆などの中心となっていたのは、武装した信者=宗徒でした。
もちろん、そこには、宗教が政治に・・・という一方で、時の権力者や武将が、彼らの集団的な武力をアテにしたという背景もありますが・・・
そもそも、親鸞(しんらん)(11月28日参照>>)が開いた浄土真宗は、第8代法主=蓮如(れんにょ)の時代に大きく羽ばたき(2月25日参照>>)、信者によって寺を中心にした寺町が各寺の周りに出来上がり、彼らが、自らの信仰を守るために武装しはじめ、果ては、あの加賀一向一揆(7月26日のページ>>)のように、そこに守護大名の介入さえ排除して、自らの国のように、その町を運営していくようになるのです。
そうなると、そこを統治する武将にとっても、その勢力がうっとぉしいわけで・・・特に、それが天子様のおわす都となるとなおさら・・・
・・・で、天文元年(1532年)当時、山科(京都市山科区)にあった山科本願寺を本拠とする畿内の一向一揆勢力を恐れた細川晴元(はるもと)は、日蓮宗徒を中心とする法華一揆の力を借りて山科本願寺を焼き打ちしたのです(8月23日参照>>)。
こうして京都追われた第10代法主の証如(しょうにょ)は、かつて蓮如が隠居所としていた大坂御坊(3月25日の後半部分参照>>)に本拠を移し、ここを石山本願寺としました。
その後、やはり石山本願寺の勢力を恐れる晴元は、度々潰そうと試みますが、それこそ、武将の中には、彼らの勢力をアテにする者も多くいて、石山本願寺はさらに大きくなって行き、中央権力との深いつながりも持つようになっていきます。
やがて第11代法主=顕如(けんにょ)の代になると、もはや戦国大名に匹敵するほどの大きな勢力となっていたわけですが、そこに立ちはだかったのが信長です。
永禄十一年(1568年)9月、第15代室町幕府将軍=足利義昭を奉じて上洛した信長は、三好三人衆を撃ち果たし(9月29日参照>>)、またたく間に畿内を制圧します。
・・・で、制圧すると、その後に待ってるのは矢銭(やせん=軍資金)の徴収・・・これは、(新しくやって来た)統治者に対して「反抗する意思はありませんよ」って事を示す意味もあるわけですが、顕如はあっさりと5000貫もの大金を支払い、石山本願寺が武力だけでなく財力もあるところを見せつけています。
しかし、間もなく、ともに上洛した義昭と信長の関係がギクシャクし始めると(1月23日参照>>)、義昭は、かつてお世話になった越前の朝倉義景(よしかげ)(9月24日参照>>)をはじめとする各地の武将に打倒・信長を呼びかけはじめ、同時に、信長の上洛で追放されていた三好三人衆も動きはじめます。
そんなこんなの元亀元年(1570年)、信長は、顕如に対し、
「石山本願寺を破却して退去してちょ」
と言って来たのです。
それこそ、信長さんの本心はご本人に聞くしかありませんが、おそらくは、本願寺の勢力が・・・というよりは、信長にとって、この石山本願寺の建ってる場所が、ものすごく魅力的だった事にあるでしょう。
ここは、大阪湾と大和川と淀川を臨む上町台地にあり、摂津(大阪府北部)・播磨(兵庫県)・河内(大阪府南部)と接し、紀州(和歌山県)とも容易に行き来できるうえ、海運を使えば、瀬戸内から四国へも通じる交通の要所・・・もはや畿内を制した信長にとって、さらに勢力を西に伸ばすには、これほど良い拠点となる場所はありません。
そうです・・・皆様、ご存じのように、現在、大阪城が建ってる、あの場所ですから・・・
とは言え、「退去してちょ」って言われた側にとっちゃぁ、「はい、そうですか」と言って、簡単に出て行くわけにはいかないわけで・・・
いや、むしろ、ここで顕如は、いよいよ立ちあがり、かの義昭が呼びかけた打倒・信長の包囲網の一翼を担う事を決意したのです。
「信長が上洛してから、こっちはエラい迷惑かけられとんねん!
せやのに、さらに“破却せぇ”やと…
もう、おとなしゅーしてられへん!
今こそ、開山・親鸞聖人の恩誼(おんぎ)に報いる時や!
その命惜しまず忠節を見せてくれ!
けぇーへん者は破門にすんぞ!」
と全国の宗徒に向けて檄文を発したのです。
そんな石山本願寺の挙兵を知ってか知らずか・・・この時の信長は、ここ来て反旗ののろしを挙げたあの三好三人衆が野田・福島(大阪市福島区)に築いた砦に対して、信長も砦を築いて応戦中・・・(8月26日参照>>)
すでに8月下旬に始まっていたこの戦いでは、信長軍の勢いに押された三好軍が、もはや風前の灯となっていたところに・・・
元亀元年(1570年)9月12日夜・・・突然、鐘が響き渡ったかと思うと、またたく間に数え切れぬほどの人数が集まり、驚く信長軍の砦に対して鉄砲を撃ちかけ、一気に襲いかかったのです。
なんと、この時、顕如自ら鎧を着て、信長の本陣に迫る場面もあったとか・・・
そう・・・ここに、この後、約10年に渡る石山合戦の幕が上がったのでした。
*その後、信長VS石山本願寺の激戦となる天王寺合戦については5月3日のページでどうぞ>>
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コメント
茶々さま こんばんは
実家の宗派が浄土真宗ですが、
いまだに、お経が今の家(嫁ぎ先)よりも
耳慣れているし
あと、実家が檀家になっているお寺の
ご住職もとてもいい方なので
私は浄土真宗の方が好きなのですが、
歴史をひもとくと、微妙ですね~
個人的に信長さんが大好きなので、
さらに微妙・・・(^_^;)
聞くところによると、
浄土真宗のご住職は坊主頭にしなくていいそうです。
それって、浄土真宗だけらしいです。
また、ご住職のお話を聞いてると、
割とフリーダムな印象を受けることが
ちょいちょいありました。
そういう個性的なところも、
何か歴史的な背景があるんでしょうかね?
投稿: hana-mie | 2012年9月12日 (水) 20時52分
hana-mieさん、こんばんは~
浄土真宗に限らず、この頃の仏教は、今の仏教とは違いますからね~
「信長に焼き討ちされた」と騒いでる比叡山も、他の宗徒を焼き討ちしてますから…
今は、武力とは無縁の物となっているので、当時の雰囲気は想像し難いですが…
投稿: 茶々 | 2012年9月13日 (木) 02時06分
ども、お久です。
今日、壺阪寺と高取城行ってきましてん。
神社名跡等を観光する時は茶々様ブログを参考にさせて頂いてますが、この場所についての記載ありましたっけ…?
壺阪寺も良かったけど、高取城…期待して無かったからか、スバラシイ!!
一度行ってみて下さい。
(茶々様の考察もお伺いしたいかな、と…)
次はおススメの竹田城にしよかな~。
その前に茶々様HPからの「京都祇園散策コース」を参考にさせてもらって京都散策するつもりですネン!!(いつもアリガトウゴザイマス。感謝致します。)
おススメなどありましたらまた教えてください。
では
投稿: azuking | 2012年9月13日 (木) 18時55分
茶々さま
>浄土真宗に限らず、この頃の仏教は、今の仏教とは違いますからね~
そうですよね~ありがとうございます。
大河ドラマでも、それ以外でも、
分からないことがあったら、
茶々さまのブログを検索しています。
ファンの皆さんのコメントも勉強になります)^o^(
投稿: hana-mie | 2012年9月13日 (木) 21時03分
azukingさん、こんばんは~
おぉ…高取城は、以前から行きたい行きたいと思いながら、未だ行けてない場所です。
壺坂寺も、小学生の頃に行ったきりですね~
暑いのが苦手なので、涼しくなったら、イロイロと散策してみたいと思ってます。
祇園散策へ行かれるのですか?
もし、何か新しい発見があったら、ぜひ、お知らせくださいね。
投稿: 茶々 | 2012年9月14日 (金) 01時51分
hana-mieさん、こんばんは~
いつもありがとうございます。
堅苦しくならず、なるべく間違いのないようにと心がけておりますが、なにぶんオッチョコチョイなもので…
何か、間違いに気づかれましたら、また、お知らせください。
投稿: 茶々 | 2012年9月14日 (金) 01時53分