物議をかもしだした北条早雲の手紙
永正三年(1506年)9月21日、北条早雲が小笠原定基宛てに手紙を書きました。
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神奈川県足柄下郡の箱根湯本にある早雲寺に現存するその書状は、越前勝山(福井県勝山市)の藩主だった小笠原家に代々保管されていた北条早雲(ほうじょうそううん)直筆の手紙と言われています。
内容は、小笠原の家臣であった関右馬充春光(せきうまのじょうはるみつ)と自分が、その出自が同じである事を語り、
「なので、これから仲良くしてくれたらウレシイな(≧∇≦)」
と、プレゼントの太刀とともに、信濃の小笠原定基(おがさわらさだもと)にお願いしているというものです。
手紙には、「九月廿一日」という日づけだけで年紀は入っていませんが、手紙の後半部分に・・・
「今橋の要害を陥落させようと、本城の間際まで来てます…こないだの19日には端城を攻めて乗っ取ったったよって、こっちも、もうすぐですわ」
てな事が書かれてあります。
これは、三河田原(愛知県田原市)城主の戸田憲光(とだのりみつ=田原弾正)が、三河の国人領主であった松平長親(まつだいらながちか・徳川家康の高祖父=爺ちゃんの爺ちゃん)に攻め込まれた時に、駿河(静岡県)の今川氏親(いまがわうじちか)に援軍を要請した事から、
その氏親の配下(氏親の母が早雲の妹)である早雲が、1万とも言われる大軍を率いて東三河に出陣して、永正三年(1506年)の8月の終わり頃から、松平方の牧野古白(まきのこはく)が守る今橋城を攻めているので、おそらく、手紙のこの部分は、その事を言っているのだろうという事で、この書状も永正三年(1506年)9月21日付けであろうとされているのです。
・・・で、実は、この書状が、後世に物議をかもしだす事になるのです。
それは、手紙の前半部分の記述・・・
ここに、
『関右馬充の事、我等と一躰(いったい)に候(そうろう)。伊勢国関と申す所に在国に依(よ)って、関と名乗り候。根本は兄弟従(よ)り相分かるる名字に候』(画像の線を引いた部分です)
とあります。
この部分を、国史学者で東京帝大の教授であった田中義成(たなかよしなり)先生が、大正時代に、
「これは、伊勢の関氏と同族、兄弟から枝分かれした家柄であるという意味であろう」との解釈のもと「北条早雲素浪人説」を唱えたのです。
この説は、長らく支持され、北条早雲は氏素性を持たない戦国大名で、一介の浪人から国盗りで出世を果たした、戦国下剋上の申し子のように思われていたのです。
しかし、ご存じのように、最近では、早雲は備中高越山(岡山県井原市)城主・伊勢盛定(いせもりさだ)の息子で、はじめは新九郎盛時(しんくろうもりとき)と名乗り、室町幕府第8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の弟である義視(よしみ)(1月7日参照>>)に近士(きんじ)として仕えた事もあったと人だったと言われています。
もちろん、その後、義視が京に戻った時に、早雲は義視と分かれて伊勢に留まるので、その時点で、主君を持たない浪人の身になった事は確かですが、それでも、まったくどこの馬の骨かわからないというのではないわけですし、すでに、この時点で京都の地や将軍家に太いパイプを持っていた事になりますからね~
・・・で、そのあとに、妹が駿河の今川義忠(よしただ・氏親の父)の奥さんになっていた縁で、駿河に招かれるというわけですが・・・
・・・で、では、いつから、その「北条早雲素浪人説」から、今のように変わり始めたのか??
それは、先ほどの手紙の引用部分・・・ここの後半の青い線のところ・・・
『根本は兄弟従り相分かるる名字に候』の部分・・・
歴史学者で、現在、静岡大学名誉教授の小和田哲男(おわだてつお)先生らが、この部分を
「単に、同じ伊勢平氏だというような軽い意味だ」
と解釈された事から、現在では、コチラの見方が定説となっています。
とは言え、これも、いち時は歴史学界を二分する大論争になっていたとか・・・
歴史において、答えが二転三転するのはよくある事・・・もちろん、今の定説だって100%ではありませんからね~(そこがオモシロイ)
専門家の方でも論争になるのですから、素人には判断できる物ではありませんが、もしかしてドラマになるのであれば、一介の素浪人からのし上がるパターンがワクワク感満載でイイかも・・・です。
*北条早雲についてのなんやかんやについては【北条・五代の年表】>>でどうぞm(_ _)m
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コメント
いつも大変楽しく拝見させて頂いております。
歴史の敗者や愚将として伝えられてる人らを平等な視線で観てはる所がとても好きです。
今後も楽しみにしております。
投稿: お主 | 2012年9月21日 (金) 21時56分
お主さん、こんばんは~
元気が湧いてくるようなコメントをいただいて…ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2012年9月22日 (土) 01時33分
茶々さん、こんばんは!
どれが真実で、何が虚実なのか、それを探るのが楽しいって醍醐味があるんですよね(笑)
でも、色々な仮説がまかり通るから、物語りが多々描ける訳で、そこが物語り好き(小説好き)にはたまらないですけどね!
投稿: 御堂 | 2012年9月25日 (火) 19時31分
御堂さん、こんばんは~
答えが無いからオモシロイ、
様々な想像が許されるからオモシロイんですよね~
投稿: 茶々 | 2012年9月26日 (水) 02時17分