「西国の将軍」と称された池田輝政
慶長十八年(1613年)1月25日、信長・秀吉・家康の三英傑に仕えた戦国武将・池田輝政がこの世を去りました。
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織田信長の乳兄弟であった池田恒興(つねおき)の次男として生まれた池田輝政(てるまさ)は、当然のごとく、はじめは、その信長に仕えます。
しかし、ご存じのように、まもなく、信長は本能寺に倒れ・・・この時、輝政=18歳・・・
信長亡き後、羽柴(豊臣)秀吉に仕える事になった父=恒興とともに、彼も秀吉配下に・・・しかし、その後、天正十二年(1584年)に起こった小牧長久手の戦いで、父の恒興と兄の元助を同時に失ってしまいます(4月9日参照>>)。
父と兄の死を受けて、池田家の家督を継ぐことになった輝政・・・以前、この時の秀吉の手紙をご紹介した(4月11日参照>>)と思いますが、その手紙にもあるように、亡き恒興の功績を高く評価していた秀吉は、翌・天正十三年に、輝政に美濃(岐阜県)岐阜城を与え、その領地も10万石としました。
さらに、その3年後には、「豊臣」の姓を名乗る事も許されます。
続く小田原征伐(7月5日参照>>)でも活躍した輝政は、その戦後には東三河(愛知県東部)4郡をプラスされて、合計15万2000石を領し、吉田城(愛知県豊橋市)を居城としました。
さらに、文禄三年(1594年)には、秀吉の仲介で、かつて北条氏直に嫁いで(11月4日参照>>)、今は未亡人となっている徳川家康の娘・督(とく)姫と結婚・・・
と、この結婚が輝政の運命を変えたのか?
いや、あの石田三成(みつなり)襲撃事件(3月4日参照>>)の7人のメンバーにしっかり加わっているので、はなから、反三成派だったのでしょうが、とにもかくにも、秀吉亡き後に起こった関ヶ原の戦いでは、バッチリ、東軍として参戦します。
小山の陣でUターンを表明した(7月25日参照>>)家康に賛同して、その先発隊となって西上し(8月11日参照>>)、関ヶ原の前哨戦となる岐阜城攻防戦へと・・・
んん?岐阜城??
そう、今回攻めるその場所は、かつて自分が居城としていた岐阜城・・・その岐阜城は、ご存じのように、かつての主君である信長の、それも、トップクラスの重要な城であり、しかも、この時に岐阜城を守っていたのは、その信長の嫡孫である織田秀信・・・(8月22日参照>>)
そう、信長亡き後に行われた清州会議で(6月27日参照>>)、秀吉が後継者として担ぎあげた幼子=三法師です。
若き日に父とともに仕えた懐かしき場所・・・
その後、自ら政務をとった思い出の城・・・
そして、攻めるべき相手は、そのかつての主君の血筋を継ぐ、たった一人の嫡流・・・
おそらく、様々な思いが交錯した事でしょうが、そのぶん、勝手知ったる岐阜城下なわけで・・・
結局、輝政の家臣の池田吉左衛門が水門を破って突入し、岐阜城内への一番乗りを果たしたのでした。
この功績により、戦後は播磨(はりま=兵庫県南西部)姫路城52万石の大出世を果たします。
そう、現在、日本国内でも屈指の名城として世界遺産にもなっている、あの姫路城・・・
その原点は、正平元年(1346年)に播磨の豪族・赤松則村(あかまつのりむら)の息子・貞範(さだのり)が姫山に築いた小さな砦だったと言われていますが(7月22日参照>>)、それを、別名:白鷺城と呼ばれるような、現在の大城郭に造り上げたのが輝政です。
こうして、姫路藩の藩祖となった輝政・・・自身の所領と、次男&三男を合わせると、その所領は82万石に・・・さらに弟・長吉(ながよし)の因幡(鳥取県東部)も合わせると、合計で92万石・・・
それは「姫路宰相百万石」と呼ばれ、「西国の将軍」と称されるほどの権勢を誇る事になるのです。
♪人間五十年
化天(下天)のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり~♪
慶長十八年(1613年)1月25日・・・ちょうど50歳で、その人生を終えた輝政・・・
できれば、もう少し長く・・・とは思いますが、三英傑とともに駆け抜けた戦国の時代を走り終え、ちょっとばかり、ホッとしたのかも知れませんね。
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コメント
「日本の城」も、最初のは「姫路城」でしたね。
投稿: やぶひび | 2013年1月26日 (土) 15時51分
やぶひびさん、こんにちは~
やはり、現存の部分が多いですからね。
もちろん、見た目も美しいですし…
投稿: 茶々 | 2013年1月27日 (日) 11時46分