延暦寺・中興の祖&おみくじの元祖…慈恵大師良源
永観三年(985年)1月3日、比叡山延暦寺の中興の祖で慈恵大師の名で知られる良源が74年の生涯を閉じました。
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上記の、朝廷から賜った正式な諡号(しごう・おくりな=生前の功績を評価する死後に贈られる名)である「慈恵大師(じえだいし)」の他にも、「元三大師(がんさんだいし)」「角大師」「豆大師」など・・・多くの呼び名を持つ良源(りょうげん)は、それだけ、その伝説が数知れない事を物語っています。
実際の良源は、近江国浅井郡虎姫(滋賀県長浜市)に根づく地元豪族・木津氏の生まれで、10代の前半に比叡山に上って仏門に入ったと言います。
とは言え、天台宗の開祖である最澄(さいちょう)(6月4日参照>>)の直系の弟子ではないうえに、実家の身分も低い事から、入門当時は、あまり注目を浴びるタイプでは無かったそうですが、17歳で出家した後、ほどなく、その才能が芽生え始め、徐々に一目置かれる存在となっていきます。
それが決定的となったのが26歳の時・・・奈良の興福寺にて行われた法華八講(ほっけはっこう)での事・・・
この法華八講というのは、法華経を対象とする法要の一つで、左右の講座に上った読師(どくし)役の高僧がお経を読み、講師(こうじ)役の高僧が、その注釈を行い、その後、その注釈の内容について門者(もんじゃ)が質問し、講師がそれに答える論議の時間が設けられているという、言わば勉強会みたいな物ですが、ここで、良源は、南都(奈良)の高僧と論議を交し、論破しちゃった・・・
これで、その名が一躍有名になるのです。
さらに、28歳の時に、時の権力者・藤原忠平(ふじわらのただひら=関白だったとも)に認められて、一門のお抱え祈祷師となりますが、そこで、中宮(天皇の妃)となっていた忠平の娘の安産祈願をすれば無事に生まれ、その子の守護を祈祷すれば、その子がライバルを蹴落として皇太子に選ばれ・・・てな事が立て続けに起こり、霊験あらたかな僧として注目を浴びるようになり、
やがて、55歳の時に天台座主=比叡山延暦寺のトップとなるのです。
以後、永観三年(985年)1月3日に亡くなる、その日までの19年間・・・上りつめた良源は、荒廃していた延暦寺の堂塔を次々に復興し、現在の比叡山の伽藍の基礎を造ったのです。
また、学問の振興にも力を注ぎ、僧の規律を正すとともに、お得意の論議の場を頻繁に設けて、僧たちのレベルアップに尽力し、多くの弟子を育て上げました。
まさに、比叡山延暦寺の中興の祖・・・なわけですが、
以前、あの浄土真宗の中興の祖である蓮如(れんにょ)さんのページ(2月25日参照>>)でもお話させていただきましたが、この中興の祖というのは、ある意味商売上手でないと、中興の祖にはなれません。
ヤラしい話ですが、お金が無いと伽藍の再建もできませんし、学問僧の教育だってできません。
つまり、この良源さんも、かなりの商売上手・・・もともとの霊的能力もあるうえに、そこをウマくアピールして貴族のお気に入りとなっては、巧みに、その荘園を延暦寺に寄付してもらい、寺の持つ荘園をどんどん増やしていったのですね。
なので、そういうやり方を嫌う僧もいて、そのぶん敵も多く・・・敵に対抗するため、また、多くの荘園を守るため、やがて比叡山も武装していく事になるわけですが・・・
しかし、輩出した多くの弟子たちからは、新たなる思想を生みだす者も現われ、それが、鎌倉の新仏教へも繋がるのですから、良源の残した功績は計り知れないです。
また、後世には、良源自身が如意輪観音(にょいりんかんのん=苦を解いて利益を与える救世観音とも)の化身と言われたり、また、あの平清盛の全盛期には、「清盛は良源の生まれ変わりだ」と称されたりするほど、その死後も、特別視された僧だったのです。
伝説では、2本の角を持ち、骨と皮だけにやせ細った鬼の姿となって疫病神を退治したと言われ、その姿を絵にした「角大師」→のお札が、魔よけの護符として庶民の家々に貼られて信仰されたりしました。
ちなみに、この疫病神というのは、今では、「悪い事を起こさせる神様一般」みたいな感じに扱われれますが、もともとは、その字の通り、疫病をもたらす神で、それは、怨念を残したままこの世を去った人物がなるものとされていたので、その対策は=怨霊を鎮める事・・・
各地に残る御霊神社や、京都の八坂神社も、そのために建てられた神社ですが、庶民は、怨霊を鎮める霊能力を持つ良源さんの護符に、疫病退散の願いをかけたという事ですね。
ちなみのちなみに、現在も、琵琶湖東岸にある玉泉寺(滋賀県長浜市三川町)には、室町時代から続く「元三大師みくじ」というのがあり、これが全国の「おみくじの元祖」と言われています。
ここのおみくじは、参拝者が引くのではなく、代々のご住職が参拝者の話(主に悩みなど)を聞きながら引いて、その解決策を講和のごとく話して聞かせるという物なのだとか・・・
おみくじ、というより占いみたいな感じですが、それこそが、逆に、元祖っぽい気がしないでもないです。
残念ながら、現在は、そのご住職さんが高齢のため、おみくじも堂内の一般公開もされていないのだそうですが、そのお寺の堂内には、バッチリ、あの「角大師」の絵が鎮座しています。
今なお続く庶民の信仰・・・これも、あの延暦寺復興と並ぶ、慈恵大師良源の偉業ですね。
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コメント
延暦寺に、修学旅行で1回だけ行った事があります。日蓮上人が修行されたので。
投稿: やぶひび | 2013年1月 4日 (金) 14時31分
やぶひびさん、こんにちは~
比叡山に行かれた事あるんですか?
私は、中学の林間学舎と、その後1~2回ですが、大昔過ぎて記憶も曖昧なので、行って無いも同然です(笑)
投稿: 茶々 | 2013年1月 4日 (金) 16時14分