昔々のウソ発見器…「湯起請」と「盟神探湯」
文亀四年(永正元年・1504年)1月11日、泉州大木の長福寺で行われた吉書始めで盗難が発生・・・九条政基が湯起請により犯人を割り出しました。
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文亀四年(永正元年・1504年)1月11日のこの日、関白や左大臣などを歴任した公家=九条政基(くじょうまさもと)が行って、事件の犯人を特定した湯起請(ゆきっしょう)とは・・・
「神に誓って熱湯の中に手を入れ、事の正邪を決定する方法」で、正しい者は無事なれど、邪悪なる者の手は焼けどでただれる・・・昔々のウソ発見器、というか裁判方法というか・・
今回の1月11日の出来事は、上記の通り、室町時代=戦国時代のの初めの頃の事ですが、もちろん、その裁判方法の起源は、記紀の時代にさかのぼります。
それは『日本書紀』の応神天皇の条に、盟神探湯(くかたち・くがたち)という名前で、文献に初登場します。
第12代景行(けいこう)天皇から成務(せいむ)→仲哀(ちゅうあい)→応神(おうじん)→仁徳(にんとく)の5代に渡る天皇に仕えた忠臣・武内宿禰(たけのうちのすくね・たけしうちのすくね)の弟・甘美内宿禰(うましうちのすくね)が、兄に取って代わろうと謀反を企んだ時、どちらの忠誠心が勝るか?を計るために盟神探湯を行い、兄の武内宿禰が勝利したという物です。
と言っても、この武内宿禰・・・本当に5代の天皇に仕えていたとしたら、その年齢は200歳を越えてしまうほどの長期に渡るであろう事から、飛鳥時代に権力を誇った蘇我馬子(そがのうまこ)主軸に、複数の蘇我氏の人物をモデルにした架空の人物の見方が強い人です。
ただ、盟神探湯を行った記述は、同じ『日本書紀』の第19代允恭(いんぎょう)天皇の条にも登場し、この時は
「諸(もろもろ)の氏姓の人等、沐浴斎戒(もくよくさいかい)して各(おのおの)盟神探湯せよ」
との、天皇の命令が出されたとあります。
当時、氏姓(うじかばね)が乱れまくっており、「これを正さねばならない」となって、味橿丘(うまかしのおか)の辞過岬(ことのまがえのさき)にて盟神探湯が行なわれ、正しい者は何ともなく、ウソをついていた者は傷つき、身に覚えのある者は怖がって参加できなかったのだとか・・・
この事は、平安時代初期でも、戸籍の誕生逸話として意識されていた事から、武内宿禰の一件にしろ、允恭天皇の一件にしろ、登場人物や細かな事件は別として、実際に、このような裁判方法が行われていた事は確かであろうというのが、一般的な見方です。
実際の作法としては、まずは、自分の言い分を神に向かって誓い、その後、熱湯の入ったカメの中に手を入れ、中にある小石を取るという物で、上記の通り、誓った内容がウソでなかったら、その手はヤケドせずに無事・・・って事なのですが、
「そんなもん、なんぼ、正直者でも、熱湯に手ぇ入れたらヤケドするやろ!」
と思いますが、上記の允恭天皇の氏姓のところにもあるように、「身に覚えのある者は怖がって参加できない」ってのが重要だったのだでしょう。
むしろ、それに参加する時の態度を見て、判断していたとも考えられますね・・・当時の人にとって「神に誓う」という事は、今より、ずっとスゴイ事で、ウソを言えば、必ず天罰が下ると、どんな悪人もが信じていた時代ですから・・・。
とは言え、この盟神探湯・・・いわゆる法のもとで罪が裁かれる律令制が確立した頃からは、ほとんど行われなくなります。
平安時代や鎌倉時代には、行われた記録がない(発見されていないだけかも知れませんが)にも関わらず、冒頭に書いた通り、なぜか室町時代頃から復活するのです。
今度は湯起請という名前で・・・
方法は、ほぼ同じですが、ちゃんとした神棚をしつらえて、巫女さんやら陰陽師やらがうやうやしくお祓いをしてから湯を沸かし、当事者が誓いの起請文を書いた紙を燃やして、その灰を飲み込んで熱湯風呂ならぬ熱湯カメに挑むという、ちょっとたいそうになってます。
とは言え、さすがに、この室町の頃には、証拠書類や証人などを交えて、散々吟味した後、どうしても真偽が確定できない場合の早期解決のために行われるので、実際に罪を犯している場合は、実施当日の前に自白をさせる方向に誘導する意味合いが大きかったものと思われますね。
結局、この室町時代に復活した湯起請は江戸時代頃まで行われますが、江戸も中期になると、徐々に、神の審判を聞くよりは、もっと科学的に・・・いわゆる、アリバイやら動機やら状況証拠やらを重視して、経験豊富な役職の人が、法に基づいて裁決を下すというのが一般的となります。
ただ、村の境界線争いなどの民事では、両者の言い分の食い違いによってなかなか決着がつかない事があり、村の代表者同志が湯起請を行って決着をつけるという事が、しばらくの間は行われていたようです。
現在では、奈良の明日香にある甘樫坐神社(あまかしにいますじんじゃ)にて・・・ただし、熱湯に浸けるのは手ではなく、笹の葉で、「その葉っぱに色が変わらなければウソをついていないとする」という形の盟神探湯の神事をはじめ、各地の湯立て神事として継承されています。
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