庚申の夜の昔話~彦八ばなしin京都
今日2月23日は庚申(こうしん)の日です。
庚申とは・・・
「庚=かのえ(十干)」の日であって「申=さる(十二支)」の日であるって事で、古くから「庚申講(こうしんこう)」あるいは「庚申待ち」という行事が行われていた「寝てはいけない日」だったわけですが、その由来etcのお話は、以前の庚申待ちの日のページ(3月6日参照>>)で見ていただくとして、本日は、その庚申待ちにちなんだ京都の昔話を一つ・・・
・‥…━━━☆
昔、丹後地方(京都府北部)のある村に、とても話上手な彦八という男がいました。
その話のおもしろさから、あっちこっちの村から
「彦八っさん、ウチの村に話しに来てぇな」
「ウチらも彦八さんの話、聞きたいわぁ」
との誘いがかかり、何かの集まりがある時など、少々のお小遣いをもらって、遠くの村まで出かける事もありました。
そんな中で、特に彦八のファンだったのは、町の三上屋という造り酒屋のご隠居さん・・・
しょっちゅう彦八さんを呼び寄せては、すべらな~い話を聞き、そして、話の最後に、
「彦八…そら、ウソやろ!」
と、笑いながらツッコミを入れるのが口グセとなっていました。
そんなこんなのある庚申の日・・・
やはり、その日も、ご隠居さんの使いの者が彦八のところにやって来て
「今夜は庚申さんやさかい、きっとウチんとこに来てくれなアカンで~」
と、ご隠居はんが言うてはります・・・と、
庚申の夜は、「寝ると体に虫が入って来るので寝てはいけない」=「一晩中起きて宴会やら寄り合いをする」という習慣でしたから・・・
しかし、彦八は・・・
「わしは、よー行きまへん」
と、今夜に限って、ご隠居さんの誘いを断ります。
「なんで??」
と、ちょっと困った様子の使用人・・・
「せやかて、ご隠居はんは、いっつも、わしが話をすると、『彦八…そら、ウソやろ!』と笑いはります。
せっかく、話した事を、いっつもいっつも『嘘』て…そんなん、わしかてショックですわ~」
と、
今回ばかりは、使用人が何度説得しても、彦八は、首を縦に振りません。
しかたなく使用人は一旦帰って、ご隠居さんに、その話を・・・
それを聞いたご隠居さん・・・
「そうか…そら、わしが悪かった。
もう2度と『嘘やろ!』てな言い方はせぇへんさかいに来てくれと頼んでおくれ。
もし今夜、わしが一言でも『嘘や』って言うたなら、ウチの銘酒を一斗樽でプレゼントするさかいに…って言うて説得しておくれ」
と頼みます。
「そら、おもしろい!ほな、行きまっさ」
と彦八・・・
早速、ご隠居さんのところへ駆けつけると、すでにご隠居さんはほろ酔いの上機嫌で、
「おぉ、彦八…よう、来てくれた。。。ささ、まずは飲め、飲め」
と・・・
「ご隠居はん、相変わらずのご機嫌で…
ほな、早速…今夜は、庚申の日でっさかいに、とっておきの、『とんびと殿様』の話をさしてもらいます~」
と・・・
チャカチャンリンチャンリン・・・
「昔昔…、宮津の殿様が参勤交代の途中で、大江山の麓に差し掛かった時、どこからともなく1羽のトンビがピィヒョロロ~って飛んできて、殿さんのお駕籠に、ビッとフンをひっかけたんですわ。
ほんだら、すぐに、家来たちが、
『お駕籠のお乗り換え~』
っちゅーて、用意してあった新しい駕籠に乗り換えはりましたんや」
「ほほぉ、さすが殿さん…大したもんやな」
「ほんで、いよいよ山のてっぺんに着いて、ここで行列を止めてひと休みしてから、頃合いを見計ろうて、さぁ出発!とばかりに、殿さんが駕籠に乗ろうとした時、またまたトンビがピィヒョロロ~って飛んできて、今度は、殿さんの刀に、ビッとフンをひっかけたんですわ。
ほんだらすぐに、今度は
『お刀のお取り替え~~』
っちゅーて、新しい刀と取り替えですわ」
「こら、いよいよ大したもんやなぁ」
「ほんで、殿さんが、『なんや知らんけど、えらいトンビが多い山やなぁ』って言いながら、ふと空を見上げとったら、またトンビが舞い降りて来て、
今度は、殿さんのデコに、ビコッってフンをかけよったんですわ~
ヒドイこってす。
ほんだら、なんと、すぐに
『お首のおすげ替え~』
っちゅーて、家来が殿さんのお首をスコンと抜いて、新しいのんとすげ替えたんですわ。
ほんで、殿さんはな…」
「おい、彦八…、ちょぉ、待ちぃな。。。
殿さんのお首すげ替え~~って…そら、ウソやろ!」
と、ご隠居さんが思わず言ってしまいます。
「へぇ、まいどおおきに~
ほな、お酒、いただいて帰りま~す(◎´∀`)ノ」
と、彦八は酒樽をかつぎあげて、とっとと帰っていったそうな。。。
これで、むかしのたねくさり(←丹後地方の昔話の締めくくりの言葉です)・・・
・‥…━━━☆
というお話なのですが・・・
実は、私=茶々の地元・・・大阪の生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)では、毎年9月に「彦八まつり」なる落語のイベントがあります。
(生國魂神社への行き方は「本家HPの大阪歴史散歩:上町台地」へどうぞ>>)
それは、江戸時代、この生國魂神社の境内で多くの芸能の披露されていて、その中でも特に人気を博した上方落語の元祖とも言われる米沢彦八(よねざわひこはち)にちなむ物なのですが、
果たして・・・
昔話の彦八さんが先か、落語家の彦八さんが先か・・・
昔話を知っていた落語家さんが、それに因んで彦八と名乗ったのか?
落語家の彦八さんが有名だったので、村のオモロイ人の代名詞が彦八だったのか?
それとも、まったくの無関係なのか???
さすがは庚申の夜・・・今夜も眠れない(≧m≦)
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