山姥はサバが好き?~「さばの日」にちなんで…
3月8日は「3(さ)8(ば)」の語呂合わせから、青森県八戸市が制定した『さばの日』という記念日だそうで、本日は、そのさばにまつわるお話を・・・
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もはや、日本人には身近過ぎるくらい身近な魚=鯖(サバ)
語源は、その歯が小さい事から「小歯」と書いてサバと呼んだ事にはじまると言われますが、古くは、奈良の終わりか平安の始め頃から献上品や食べ物として文献の中に登場し、都では、鯖売りの行商も行われていたとか・・・
日本海に面した小浜から京都の大原口まで、♪京は遠ても十八里♪と唄い、励まし合いながら、行商人が行き来した道は、現在は『鯖街道』→と呼ばれて、古道ファンに親しまれています。
(京都の終着点=大原口の場所は本家HP:京都歴史散歩「御所周辺」でどうぞ>>別窓で開きます)
ちなみに、皆さまもご存じだとは思いますが、年齢や数をゴマかす時に使う「サバを読む」という言葉は、一説には、魚を取引する時に、サバは腐りやすいため、キッチリと数を数えず、大急ぎで大雑把に数を読んで取引したから・・・なんて事も言われてますよね。
ところで、そんなサバが大好物なのが、ちょっと前に渋谷あたりに出没(もとい!)山の奥深くに棲む老女の姿をした妖怪=山姥(やまんば)です。
・‥…━━━☆
昔々、ある牛飼い(牛方)が、サバを積んで、ある峠道を越えようとすると、いきなり山姥が追いかけて来ます。
驚いた牛飼いが、あわてて、荷物のサバを1匹放り投げると、山姥は、そのサバをムシャムシャ・・・
すぐに食べ終わって、また追いかけて来るので、牛飼いは、また1匹、サバを投げ・・・とやってるうちに、とうとうサバはなくなり、しかたなく、最後に牛を置いて逃げました。
すると山姥は、その牛もガリガリ・・・
そのスキに、やっとの思いで山へと逃げ込んだ牛飼いは、1軒の家を見つけ、中に逃げ込んで、囲炉裏の上の棚に身を隠します。
しかし、実は、その家は山姥の家だったのです。
しばらくして、お腹いっぱいになった山姥が家へと戻って来ます。
山姥とは言え・・・
満腹になったら一眠り・・・となるのは誰しも同じ・・・
山姥が、釜の中で寝ようと(なぜ?釜の中で寝る?)釜へと入ったところで
「チャンス!」
とばかりに、牛飼いは、その釜に蓋をしてデッカイ石を重石として乗せ、下から火をつけて、山姥を焼き殺しましたとさ。
・‥…━━━☆
・・・て、なんだか、最後がかわいそうな終わり方ですね~
まぁ、昔話は、意外に残酷な物ですが・・・
これは、『牛方と山姥』という、けっこう全国ネットなお話なので、ご存じの方も多いかと思いますが、
まぁ、これ以外にも、ほとんどの場合、昔話の山姥は、人間を食べる恐ろしい妖怪として登場し、このお話のようにやっつけられて終わるのですが、中には、福をもたらしてくれる福の神や、山の女神として登場する昔話もあり、
おそらくは、迷って抜け出せなったり滑落したりする怖さと、山の幸などの母なる恵みをもらたらしてくれるという、山の持つ二面性を象徴したのが山姥という事なのでしょう。
もちろん、丸々の空想ではなく、山の神に仕えていた巫女、あるいは、人との関わりがイヤで山奥にひっそりと住んでいた老人など、実際に、山に住んでいてモデルとなったような人物がいた可能性もありますしね。
・・・で、この山姥のサバ好きですが・・・
全国に分布する、この「牛方と山姥」の話の中には、牛で運んでいる積荷が、ブリだったりタイだったり、昆布だったりする事もあるそうですが、数の上では、サバというのが圧倒的に多い・・・なので、「山姥はサバ好き」という事になるのですが、
実は、これは、魚のサバの事ではなく、仏教で言うところの「散飯(さば)」の事ではないか?という説もあります。
この仏教の散飯というのは、僧が食事をとる際に、ご飯を少しだけ取って庭先などにまいて、「餓鬼(死んで餓鬼道に落ちた者)にほどこす」事なのですが・・・
古来より、漁村から山村へと物を運ぶ行商人は、山を通る時に山の神に供物を捧げるという習慣があったらしいのですが、それが、生米や炊いたご飯などを通る道にまいて、お供えとしていたらしい事から「散飯を捧げる」と言われていたのだとか・・・
で、いつしか、その「散飯」が、魚の「鯖」と変化したのではないか?との事・・・
って事は、
山姥はご飯好き?って事なのかしら?(←普通やん)
おもしろいのは、山の神にしろ、山姥にしろ、日頃は山に棲む神様や妖怪が、人と接したり、山から下りてきたりという昔話は、ほとんど農作民の間で語られる昔話だそうで、逆に、山仕事に従事している人たちの間では、このような昔話は語り継がれていないのだとか・・・
一説には、山の神は田の神で、農耕を守護するために、春先になると山から下りて来るなんて言い伝えもありますので、意外に山姥も良い神様なのかも知れませんね。
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コメント
山の神は田の神~悪いイメージは持ちたくない私です^^
散飯~仏教では衆生の飯米の意で餓鬼や鬼子母神に供えるため、食膳に向かうときに少量取りわけた飯を言い、屋上や地上に投げ散らす。民俗儀礼としては神や尊者に捧げる米や飯のことでお初穂の意味である。神の前にまいたり供えたりする。関西地方で盆や正月に健康でいる両親や親方に塩鯖・刺鯖を贈る習俗があり、目上の人に散飯(生飯)を贈ることが転じて鯖になったものである。
なんていうのも見つけちゃいました^^
関西では鯖は…!?そうなのですか?!
投稿: tonton | 2013年3月 9日 (土) 10時06分
tontonさん、こんにちは~
>関西地方で盆や正月に健康でいる両親や親方に塩鯖・刺鯖を贈る…
どうなんでしょう?
私の周りでは、あんまり聞きませんね…普通に、お中元&お歳暮です(*´v゚*)ゞ
ちょっと昔の風習なのか?
関西でも、鯖が豊富な京都の北部地方の風習なのかも知れませんね。
やっぱり「散飯」が「鯖」に変化というのがるんでしょうね。
投稿: 茶々 | 2013年3月 9日 (土) 15時17分