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2013年3月 2日 (土)

黒田騒動を起こした栗山大膳

 

承応元年(1652年)3月2日、江戸三大お家騒動の一つ、黒田騒動で知られる栗山大膳が配流先の盛岡で亡くなりました。

・・・・・・・・

豊臣秀吉の名軍師として活躍した黒田如水(じょすい=官兵衛孝高)(3月20日参照>>)と、その息子=長政(ながまさ)の、父子2代に渡って仕えた重臣=栗山利安(善助)の息子=栗山利章(くりやまとしあきら)・・・ですが、一般的には栗山大膳(だいぜん)の名前で知られていますので、本日は大膳さんで・・・

元和九年(1623年)に、その長政が没し(8月4日参照>>)筑前(福岡県西部)福岡藩の2代め藩主となったのは、長政の長男=忠之(ただゆき)・・・

Kuriyamadaizen500 この忠之に禄高1万5000石という大身で、家老として仕えていたのが大膳・・・

ところが・・・
寛永九年(1632年)6月、重臣の中の重臣であるはずの大膳が・・・

実は、生前の長政は、この長男の忠之の器の小さい性格を嫌い、後に秋月藩の初代藩主となる弟(三男)長興(ながおき)に家督を譲ろうと考えていたらしいのですが、それに真っ向から反対し、体を張って阻止したのが大膳だったという逸話も残っているくらいの忠臣ぶりだったのですが・・・

その大膳が、突如として、「わが藩主に謀反の疑いがある!」と言いだして幕府に訴えたのです。

確かに・・・
その少し前に忠之は、豪華絢爛な船=鳳凰丸(ほうおうまる)を建造してみたり、何のためなのか?新たに200人ほどの足軽を召し抱えるなど、いわゆる『武家諸法度』(7月7日参照>>) に違反する行為を行っていたようで、幕府からも目をつけられていたのです。

で、そうなると、当然の事ながら、両者は公儀のもとで全面対決する事となり、幕府の幹部による尋問等が開始されます。

これが世に言う「黒田騒動」・・・大膳が起こした事から「栗山大膳事件」とも言われる騒動です。

寛文十一年(1671年)の「伊達騒動」(3月27日参照>>) 、寛延元年(1748年)頃からはじめる「加賀騒動」(6月26日参照>>)と並んで、江戸の三大お家騒動の一つに数えられています。(三大騒動の中に仙石騒動(12月9日参照>>)が入る場合もあります)

しかし、他の二つの騒動が、実際に死者が出て血生臭さ満載のドロドロなのに対し、コチラはなんとなくスッキリ!!

なんと、幕府の調べにより、「忠之の幕府転覆計画は事実無根」という結果が出されたのです。

つまり、今回の「謀反の疑い」は大膳のでっち上げ、まったく、その形跡が無かったと・・・

なので、当然、黒田家はお咎め無しで、所領も何もかも安堵・・・訴えた大膳が、陸奥盛岡(岩手県盛岡市)に配流で、盛岡藩の預かりとなる事で、すべての事が決着したのです。

さらに・・・
大膳を受け入れた盛岡藩は、かなり好意的で、配流の身ながら150人扶持(1人=1日当たり米5合:女性は3合)が与えられていたとか・・・

おかげで、流人暮らしの晩年も、なんだかんで平穏無事で、趣味の世界に生き、盛岡の文化の向上に尽力したと言われます。

承応元年(1652年)3月2日大膳は配流の地で62歳の生涯を終えますが、その子孫も家臣も、そのまま盛岡に定着したとの事・・・

こうして、お家騒動を起こしたにも関わらず、黒田家は安堵され、張本人の大膳も流罪にこそなれ、配流先で優遇された事から、この黒田騒動は、大膳がわざと起こした騒動・・・つまり、大膳=忠臣説が囁かれます。

幕府転覆なんて大それた考えが無いものの、父=長政が予想した通りのチョイとボンボンだった藩主=忠之が、安易に暴走しちゃった事で幕府に目をつけられたため、幕府から咎められる前に、大膳が先手を打って、自ら幕府に訴え、藩主の行為はちょっとした見栄で、謀反の気持ちが無い事を明白にして、黒田家を守る・・・という一か八かの賭けだったのではないか?という事・・・

幕府の幹部たちは、取り調べの途中で、その事に気づき、大膳の忠臣ぶりに感激し、黒田家をお咎め無しとし、大膳を形ばかりの流罪にしたと・・・

あの森鴎外(もりおうがい)の小説『栗山大膳』は、この説を取って、大膳を忠臣として描いていますし、ドラマなどでも、大抵、そのような感じ・・・まぁ、小説&ドラマになるなら大膳が主役でしょうから、そういう描き方のほうがオモシロイです。

ただし、歴史家の方の中には、「そんな美談では無い」とお考えの方も・・・

なんせ、実際に福岡藩の記録には、藩主=忠之と大膳が度々ぶつかり、この騒動以前から反目し合ってた事を臭わせる記述が複数あるとか・・・

なので、度重なるトラブルの末、最終的に、藩主から知行を召し上げられそうになった大膳が、自らの保身のために幕府に訴えたとの見方もできるのです。

まぁ、その藩の記録だって、後世の私たちをミスリードするためのトラップかも知れませんし、逆に・・・と、これはまだまだ、謎が解けそうにありませんな(゚▽゚*)・・・
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