屈しない男=チーム旗本奴の水野十郎左衛門成之
寛文四年(1664年)3月27日、歌舞伎やお芝居で有名な幡随院長兵衛の敵役として知られる水野十郎左衛門こと水野成之が切腹しました。
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「お若けぇの お待ちなせえやし」の名ゼリフで、歌舞伎やお芝居でお馴染の幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべえ)・・・
と言っても、最近では、いわゆる勧善懲悪の痛快娯楽時代劇も、すっかり少なくなった事で、「お馴染って言われても…?」「幡随院長兵衛って何?誰?」という方も多いかと・・・
その場合は、まずは以前にご紹介した【幡随院長兵衛さんのページ=2010年7月18日】>>を、先にご覧いただくとありがたいです。
そのページでも書かせていただいたように、戦国の世も終わりとなって、天下泰平の兆しを見せ始めると、それまでの、槍1本で出世の糸口をつかめた時代とは大きく異なり、出世の仕方も様変わりするようになります。
外様であれ旗本であれ、武士として生まれ、うまく幕府や大名家で事務的官僚の仕事にありつければラッキーですが、基本、そういう仕事を引き継ぐのは長男ですから、ある程度の家に生まれたとて、次男・三男なら、する仕事も無い・・・
そんな不満を持った若者たちが、長髪に大脇差、カラフルな着物をマントのようにはおるといった派手ないでたちで怒涛を組んで、町を闊歩・・・
社会に不満を持つ彼らは、夏に「寒い!」と言っては鍋をつつき、冬に「暑い!」と言っては裸になってソーメンをすする・・・もちろん、それぞれのグループによるモメ事&ケンカは日常茶飯事・・・
いわゆるツッパリ、チーマー、カラーギャング・・・そんな感じの彼らは、やがては、旗本の坊ちゃんだけに限らず、商人のボンボンなどもチームを組むようになり、旗本の息子たちは旗本奴(はたもとやっこ)、町人の息子らは町奴(まちやっこ)と呼ばれ、ある意味ブームのようになっていきます。
・・・で、お芝居などの場合は、どうしても、権力に対抗する町人のヒーローとして町奴をかっこよく描くのがウケが良く、そのリーダー的存在が幡随院長兵衛・・・一方、そうなると、当然、そんな町奴とモメ事を起こす旗本奴は敵役となって、そのリーダー的存在が水野成之(みずのなりゆき)=通称:水野十郎左衛門です。
とは言え、先のページでも書かせていただいたように、旗本奴と町奴が抗争を繰り返していた事は事実で、幡随院長兵衛が誰かに殺害されたのも事実のようですが、その犯人が誰なのかも、動機や原因も不明で、実際には、どっちが悪いとは言えないもの・・・
しかも、現在でもそうであるように、ちょっと不良っぽい、流行の先端をいってる彼らは、意外と若い女の子にモテモテで、お芝居では敵役の旗本奴にも、実際には、それなりのヒーロー伝説があるのです。
現に、今回の主役=水野十郎左衛門のお父さん=水野成貞(なりさだ)も旗本奴のリーダーでしたが、その奥さんとなって十郎左衛門を生むのは、名君と言われた蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)の一人娘ですから・・・
もちろん、水野という苗字でお察しの通り、この水野家も、徳川家康譜代の家臣で、十郎左衛門の祖父の水野勝成(かつなり)は、家康とともに戦場を駆け抜け、備後(広島県東部)福山藩10万石の初代藩主となっていますから、家柄はなかなかのものですが、何たって父の成貞は、その三男ですから後を継ぐわけでもなく、小姓から寄合(旗本で役職が無い)になって加増されても3000石だった人・・・
そこに、阿波(徳島県)25万7000石のお姫様=萬の方が嫁いだのですから・・・
一説には、このお萬の方が、町で闊歩する旗本奴リーダー成貞を見かけて「カッコイイ~゜.+:。(*´v`*)゜.+:」と一目ぼれして押しかけ女房になったなんて話もあるくらいの格差婚・・・もし、それが本当だとすると、やっぱ、旗本奴はモテてたのかも知れませんね。
・・・で、そんな不良リーダーを父に、阿波のお姫様を母に持つ十郎左衛門のヒーロー伝説が『及聞秘録』なる文献に残っています。
この頃・・・というか江戸時代を通じてそうですが、幕府に仕える医者という輩は、その権威をかさにきて、何かと態度がエラそうで傲慢で、好き勝手やって、一般市民からは煙たがられる存在だったわけで・・・
そこで、リーダー十郎左衛門が、仲間と結託して、近所の島田卜庵(ぼくあん)というエラそうな医者に一泡ふかせる事に・・・
ある日の朝、いつものように卜庵が、十郎左衛門の自宅の前を通りがかると、家来の一人が声をかけます。
「すんまへん、ウチの主人が、どーも具合が悪いみたいなんで、みてもらえませんやろか?」
卜庵も医者、しかも、相手は旗本ですから、何となく気分は乗らないものの、断わるわけにもいかず、とりあえずは家の中へ・・・
すると、座敷の中央にド~~ンと構えた十郎左衛門・・・いつもにも増して派手派手な衣装に、その気合の入りようも見てとれる雰囲気の中、周囲には5~6人の、これまたコワモテのオニイサン方がズラリ・・・
おもむろに
「脈とってヨ」
と、十郎左衛門が腕を差し出します。
もともと、病気では無いのですから、脈をとっても「何」という事もなく、
「すぐに、よくなりまっしゃろ」
と、空気の気まずさにそそくさと帰ろうとする卜庵・・・
「なぁ、薬、出してちょーだいや」
「そやそや、薬調合してもらわんと、治るもんも治らんがな」
と、十郎左衛門のセリフに合わせて、回りの手下たちもはやし立てますが、その道具として持って来たのは一升マス・・・
そんなモンで薬を調合できるはずもなく、卜庵がオロオロしていると、
「そや、先生!まだ、朝飯食べてはりませんやろ?
用意しましたさかい、どうぞどうぞ」
と、とてつもなく豪華なおかずに、デカイ茶碗にてんこ盛りご飯を差し出します。
「いや、もう朝は済ませてます」
と卜庵は断わるものの
「なんでや?こんなメッチャおいしそうな料理、食べな損やで!」
と、またまた周囲のコワモテが半ば脅すようにまくしたてます。
「ほな、ちょっとだけ…」
と、たまらず卜庵・・・
「先生、エライ小食やないかい!」
と言いながら、十郎左衛門はお酒を飲み始めます。
「このままやったらヤバイ!!」
もはや、たまらず・・・卜庵は
「また、明日、様子見に来ますさかい」
と、逃げるように屋敷を飛びだして帰っていったのだとか・・・
もちろん、その後、卜庵が十郎左衛門の家の前の道を通る事は2度と無かったとの事・・・
この話を聞く限り、まさに痛快時代劇の主人公ですね。
ただ、やはり、その素行の悪さが問題となり、母の実家の蜂須賀家にお預けとなったあげく、幕府からのお呼び出しにも、例の派手派手の衣装のまま出頭し、屈する事の無い大胆な態度を改め無かったため、寛文四年(1664年)3月27日、とうとう切腹を言い渡されます。
十郎左衛門、時に35歳・・・「35歳でまだツッパるか?」「大人になれよ」とも思えなくもないですが、自由や基本的人権の守られた現代と、封建社会の江戸時代とでは、一律には比較できないもの・・・
現代での反社会ならアウトサイダーって感じですが、封建的な中での反社会ならレボリューションとも言えなくもないですからね。
それこそ、彼には彼なりの社会に対する不満があり、その思いを曲げる事はできなかった・・・それこそが、1番のヒーロー伝説なのかも知れません。
幡随院長兵衛が主役のお芝居では、敵として、卑怯な騙し討ちをする十郎左衛門ですが、一時代前の勧善懲悪時代劇ならともかく、近頃では、ガンダムに登場する赤い彗星=シャア・アズナブルのごとく、ある意味、主人公よりも魅力的な敵役が登場する作品も多いです。
次の時代劇では、カッコイイ十郎左衛門さんも見てみたいものですね。
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コメント
茶々様、こんばんは~
現代と違い、地位の有る人間を大っぴらに批判出来ない昔に、偉ぶっている人間をブルらせたというのは町民にとって痛快な出来事だったんでしょうねぇ・・・
社会制度故に自由に生きられない昔、自由故に生き方を定めるのが難しい現代・・・本当に自由に天寿まで生き抜くというのは難しいモンですね・・・
投稿: キスケ | 2013年3月27日 (水) 23時56分
キスケさん、こんばんは~
確かに、自由であるが故に、どう生きるかが難しいところもありますね~
投稿: 茶々 | 2013年3月28日 (木) 02時59分