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2013年4月24日 (水)

柴田勝家自刃…福井・九十九橋の怨霊伝説

 

天正十一年(1583年)4月24日、越前北ノ庄城は炎に包まれ、柴田勝家とその妻・お市の方が自刃して果てました

・・・・・・・・・・

ご存じ、天正十年(1582年)の本能寺の変(6月2日参照>>)で亡くなった織田信長の後継者を巡っての争いで、信長の三男の神戸信孝(かんべのぶたか=織田信孝)を推す織田家家臣筆頭の柴田勝家(かついえ)と、謀反を起こした明智光秀(あけちみつひで)を倒して(6月13日参照>>)主君の仇を討った事で発言権を増したうえ、次男の織田信雄(のぶお・のぶかつ)を味方につけ、嫡孫の三法師(さんほうし)を推す羽柴(後の豊臣)秀吉・・・

事実上、勝家VS秀吉の覇権争いとなる中で、6月27日の清州会議(6月27日参照>>)で後継者は三法師に決定するも、納得がいかない勝家側・・・(10月15日参照>>)

やがてそれは、あの賤ヶ岳の戦いへと発展(3月9日参照>>)しますが、中国さながらの美濃の大返し(4月20日参照>>)で戻ってきた秀吉に、勝家は敗北・・・(4月21日参照>>)

本拠地の越前(福井)へと撤退して(2009年4月23日参照>>)北ノ庄城に籠城しますが、4月23日の夜に最後の酒宴を開いて(2010年4月23日参照>>)、翌日=天正十一年(1583年)4月24日妻のお市の方(信長の妹もしくは姪)とともに自刃して果てました(2007年4月24日参照>>)

・・・と、これらの一連の経緯は、上記のそれぞれの出来事のリンク先でくわしく見ていただくとして、本日は、その勝家自刃の後に起こった、、、こわ~~~いお話・・・(あくまで噂=都市伝説です)

・‥…━━━☆

ご存じのように、勝家亡き後、この北ノ庄城に入ったのは徳川家康の次男で秀吉の養子になっていた結城秀康(ゆうきひでやす=当時は羽柴秀康、後に松平姓)(11月21日参照>>)・・・

その秀康が大幅な改修工事を行って、北ノ庄城を巨大な城郭に変貌させたわけですが、3代め藩主となった松平忠昌(ただまさ)が、「北」は「敗北」に繋がって縁起が悪いとして、その名を「福居」、さらに「福井」と、城の名を改めたのです(4月11日参照>>)

しかし、異変は、この改名の頃から起こりはじめます。

毎年、勝家&お市の方の命日・・・つまり、旧暦の4月24日の丑三つ時(夜中の2時頃)になると、数百騎にもなる騎馬武者の行列が九十九橋を渡って南へと進んで行くのですが、なんと!その騎馬武者は全員首が無く、乗っている馬も首が無く、その傷口からは真っ赤な血がしたたり落ちているのだとか・・・

しかも、その翌朝は、決まって数人の死者が出るほか、夜中にその行列を見た者、あるいは、その話を誰かにしゃべった者&聞いた者も、ほどなく血を吐いて死ぬ・・・と噂されました。

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現在の九十九橋

九十九橋(つくもばし)という橋は、現在も、福井県内を走る北陸道が足羽川に交差する地点に架かっている、言わば交通の要衝となる橋なのですが、朝倉氏の時代からあったこの橋を、勝家が、南半分が石造、北半分が木造という半石半木に造り変えたと言われています。

これは、もし合戦があった時に、北半分の木造部分を壊して、敵の侵入を防ぐ意味があったとされていますが、この半分半分の橋は江戸時代にも、珍しい橋として有名だったのだとか・・

もちろん、現在の九十九橋は昭和六十一年(1986年)に架けられた物ですが、当時の雰囲気をイメージして再現された物が、「北ノ庄城址・柴田公園」に復元されています。

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柴田公園に再現された九十九橋

ところで、「見た者は死ぬ」なのに、なんで、騎馬武者や馬の首が無い事がわかるのか??

実は、それにはこんな話が・・・

享保十七年(1732年)、近くで表具屋を営む佐兵衛という者が、その好奇心から、「どうしても噂の首なし武者を見てみたい!」と思うようになりますが、絵も上手だった彼は、何とかその光景を絵に残せば、「万が一自分が死んでも絵が残る」と考え、死を恐れず、見る決意を固めたのです。

やがて、やって来たその夜・・・柳の影に隠れて見たその様子は、まぎれもなく首が無い噂通りの姿・・・しかも、柴田の馬印(決戦の時に大将の居場所を示す印)も確認しました。

まさに、勝家の亡霊・・・

慌てて自宅に戻り、見た光景を絵にしたためた左兵衛は、それを、ある武士から修理を頼まれていた桐の箱に隠しますが、案の定、彼は翌朝死体で見つかります。

佐兵衛の葬儀の後、箱の修理を依頼していた武士は、中に入っていた絵に気づきますが、「不吉な絵」だとして、すぐに庭先のたき火の中に投げ捨てます。

ところが、その途端に、火がついたまま宙に舞い上がった絵から、首なし武者の姿が浮かび上がったと思うと、絵はそのまま屋敷へと飛んでいき、武士の屋敷はもちろん、周囲の民家まで巻き込む大火事になったのだとか・・・

以来、江戸時代の福井の人々は、勝家の命日である4月24日の夜は、決して外出せず、灯りを消してうずくまり、万が一外でくつわの音がしても、決して外を見ないでやり過ごすようにしたのだそうです。

1度、その日が4月24日であった事を忘れて外出した老婆が、やはり首なし武者に遭遇・・・しかし、老婆は翌朝死ななかったので、「これは迷信だ」と思って家族に話した後、結局、1年後に水死体で発見されたなんて話も・・・

Dscf1118ab600 そんなこんなの九十九橋も、明治になって木造トラス橋(←写真)に架けかえられてからは、首なし武者が出現する事はなくなったとの事なので、ご安心を・・・

ただ、未だに噂があり、都市伝説として語られているこのお話・・・

・・・で、一つ、回避方法を・・・
もし、あなたが、福井で、この「首なし武者」に会い、武者から「何者か?」と問われたら、「勝家公の家臣にて…」と答えると、命までは奪われないとの事・・・

信じるか信じないかは、あなた次第ですm(_ _)m
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コメント

相変わらず、深いですね。
しかし、記録を残した目撃者も急死なのに、ここまで、話が残るのも不思議です。

投稿: ジラルデリ | 2013年4月24日 (水) 23時26分

ジラルデリさん、こんばんは~

まぁ、都市伝説ですから~
ツッコミどころ山の如しは…致し方ないでしょうね~

投稿: 茶々 | 2013年4月25日 (木) 01時37分

勝家と福井の話がすごく地理的に伝わる話ありがとうございました?住んでられたんですか?海外に住んでいるので日本が懐かしいです。福井は行ったこと無いな~

投稿: minoru | 2013年4月25日 (木) 10時48分

恐ろしい…読んでいたらなんだか光景を想像してゾーっとしてしまいました、真冬じゃなくてよかったですこの話が…(笑)

投稿: poem | 2013年4月25日 (木) 11時16分

minoruさん、こんにちは~

福井に住んだ事はありませんが、大阪からは日帰りでも行けるので、昔から何度か訪れています。

特に、カニの季節はたまりませんね~

投稿: 茶々 | 2013年4月25日 (木) 13時24分

poemさん、こんにちは~

光景を目に浮かべてしまうと、怖いですよね~(@Д@;

投稿: 茶々 | 2013年4月25日 (木) 13時29分

茶々様、おはようございます・・・
見た者全てを死なせるとは・・・恐ろしいですね・・・
しかし、老婆だけ何故1年後なのか疑問なんですが・・・
これは怨霊も最初は余生少ない老婆くらいは見逃そうとしたのに、老婆が「コレは迷信だ!!」と吹聴した事で逆鱗に触れてしまい、怨霊に「無礼討ち」されたのでしょうか?

投稿: キスケ | 2013年4月26日 (金) 08時23分

キスケさん、こんばんは~

>無礼討ち…

そうかも知れませんね~
相手は怨霊ですからね。。。

投稿: 茶々 | 2013年4月27日 (土) 01時35分

読んでいて鳥肌が立ちました・・・。
幽霊話は数あれど、武者のみならず馬まで首なしというのは初めてです。言葉が変ですが独創的ですね。こういう類話は聞いたことがないです。
平家蟹みたいなものだとは思いますが、幽霊話のタイミングからして、愛着ある城の名を変えられたことで幽霊さんか地元の人々かの堪忍袋が切れたのかも。

投稿: momo | 2013年4月27日 (土) 18時47分

momoさん、こんばんは~

落武者の幽霊はメジャーですが(この言い回しも変ですが…)、騎馬武者というのは珍しい気がしますよね~

投稿: 茶々 | 2013年4月28日 (日) 03時14分

 すみません。「享保十七年(1732年)、近くで表具屋を営む佐兵衛という者が、その好奇心から、「どうしても噂の首なし武者を見てみたい!」と思うようになりますが、(後略)」の話をはじめて知りましたので、この話が載っている本などがありましたらご教示いただけないでしょうか。無理をいってすみません。

投稿: 多摩川 | 2016年5月14日 (土) 10時46分

多摩川さん、こんにちは~

今、手元にあるのは洋泉社の『知られざる戦国残酷史』という書籍ですが、以前、福井に行った時に、
この話は「怪談」というよりは、「享保十七年(1732年)に起こった火事の原因として福井藩の出来事を記した書物に記録されているらしい」という話を聞きました。

それ以上の事は、なかなか調べる機会が無いので、そのままになってますが…頼りない回答で申し訳ありません。

投稿: 茶々 | 2016年5月14日 (土) 17時40分

 ありがとうございます。調べてみます!

投稿: 多摩川 | 2016年5月24日 (火) 21時37分

多摩川さん、こんばんは~

お返事、ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2016年5月25日 (水) 01時29分

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