牛になった女房~田中広虫女の話
宝亀七年(776年)7月20日、讃岐国に住む田中広虫女が病死しました。
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と言いましても、この女性・・・歴史上の人物という事ではなく、『日本霊異記(にほんれいいき=日本国現報善悪霊異記)』 という説話集の下巻・第26話に登場する物語の主人公です。
まぁ、小さい頃には、
「食べて、すぐ寝ると牛になるで~」
てな事を母親から言われたもんですが・・・
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とにもかくにも、
その物語によりますと、田中広虫女(たなかのひろむしめ)は、讃岐((さぬき=香川県)は美貴(みき=三木)郡の郡司(ぐんじ・国司の下で働く地方官)・小屋県主宮手(おやのあがたぬしのみやて)の妻で、二人の間には8人の子供をもうけていました。
広大な田畑を所有していて、多くの使用人や牛馬を使い、何不自由ない裕福な暮らし・・・
ただ一つ・・・彼女には大きな欠点が・・・
それは、信仰心が無く、生まれながらにケチで強欲で、豊かな心を知らない・・・つまり、性格がメッチャ悪かったのです。
大きな農場の他にも、酒屋や金融業も営んでいた彼女は、水でうすめたお酒を高値で販売したり、稲やお酒を貸す時には小さい升で計って貸したくせに返す時は大きな升で返すように強要したり、その利息も他者の10倍100倍にて徴収したり・・・
とにかく、彼女の周囲では、路頭に迷って、一家で夜逃げする人続出だったわけですが・・・
そんな彼女が、宝亀七年(776年)の6月に入って、突然、病に倒れ、意識を失ってしまいます。
必死の看病にも関わらず、彼女は1ヶ月の間、昏睡状態が続きます。
やがて、訪れた宝亀七年(776年)7月20日・・・
この日、突然意識を回復した広虫女は、枕元に夫と子供たちを呼んで、昏睡状態の中で見た夢の話をします。
夢の中で、彼女は、閻魔大王の宮殿に連れていかれ、大王から3つの大罪を指摘されたというのです。
その3つの大罪とは・・・
●寺院の財産を使い込んで返却しない事、
●水増しのお酒を売った事、
そして
●貸す時には小さく、返済の時には大きな升を使って暴利をむさぼった事、
しかし、その事を語ってまもなく、広虫女は息をひきとってしまいました。
夫や子供たちは悲しみに暮れながらも、僧侶や祈祷師を呼んで、冥福を祈るのですが、そうこうしているうちの7日目の夜・・・なんと、彼女は息を吹き返すのです。
この世の物とは思えない異様な悪臭とともに棺桶のフタを開けて登場する広虫女・・・しかし、生き返った彼女の姿は、上半身が牛で額に角が生え、手足にはヒズメがあります。
しかも、草しか食べず、牛独特の反芻(はんすう=食べた物を再び噛みなおすアレです)もするのです。
またたく間に、この話を聞きつけた近隣・・・いや、遠く離れた場所からも、ひと目見ようという見物人が後を絶たなくなって、困り果てる家族・・・
彼女が亡くなる前に語った3つの大罪の話が頭から離れない夫は、抱え込んでいた宝物を、近隣の寺院や、奈良の東大寺に寄進して、すべてを変換・・・・人々の借金も帳消しにして、これまでの罪を償うのです。
このおかげで、牛となってから5日後、広虫女は、やっと、安らかに死ぬ事ができました。
・‥…━━━☆
と、こんな感じのお話です。
もちろん、「これは説話集にあるお話なので…」とことわらなくとも、内容がすべて事実だと思われる方はおられないでしょうが、かと言って、「架空の作り話だから、歴史には関係ない」と言ってしまえないのも、この類いの説話のオモシロイところ・・・
そうです。
例え、「生き返ったのどうの」という内容が作り話だったとしても、その物語の背景が、その時代を浮き彫りにしている可能性が高いのです。
物語の舞台となる宝亀七年(776年)は、奈良時代の終わり頃ですが、『日本霊異記』 が成立したのは、平安時代の初めとされています(弘仁十三年 (822年) の説あり)。
下巻に著者の自叙伝的な内容も含まれているところから、この物語を書いたのは、奈良の薬師寺の僧だった景戒(きょうかい・けいかい)だとされていますが、この景戒さんは、もともとは妻子を持つ俗世間に生きていた人・・・
つまり、根っから坊さんのエリート的な道を歩んで来た僧でない事が幸いし、もっぱら貴族や金持ち相手の平安初期の仏教界において、一段高い上から目線では無い、一般人とも深く交わる庶民のお坊さんだったようなんです。
・・・で、そんなお坊さんが書いた物語の背景・・・
この平安時代初期という時代は、地方豪族が、その裕福さと特権を良い事に、何かと私利私欲にばかり走り、挙句の果てに庶民を喰い物にして不当な利益をあげるという事が多々あった時代なのです。
少し後になりますが、以前書かせていただいた藤原元命(もとなが)が訴えられた事件(11月8日参照>>)なんか、まさにそうですね。
なんせ、その地を治めている人がワルサをするのですから、取り締まりもヘッタクレもなく、やりたい放題だったわけです。
そんな上層部に抑えつけられる庶民に対して、紹介する物語は、
「…故に過ぎて徴(はた)り迫(せ)むること莫か(なか)れ」
(欲の出し過ぎはアカンで~)
という言葉で、最後を締めくくっている事でもわかるように、結局は「悪い事をしてはいけない」という「教え」・・・
庶民に身近な、「あるある」的な題材を使って、仏の道&人の道を、わかりやすく伝える・・・それが、この物語のテーマだったという事ですね。
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コメント
はじめまして。ドイツの首都ベルリンからメールを出しています。こちらヨーロッパで話題となっているこの本で田中広虫女の話が出ていました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Debt:_The_First_5000_Years
この人物についてまったく無知だったのでネットで検索してみたら、このおもしろいサイトを見つけました。
投稿: 山口 善美 | 2014年10月23日 (木) 04時06分
山口 善美さん、はじめまして。
そうですか…ヨーロッパで話題に!!
日本でも、それほど有名では無い説話ですが、外国へと飛び出して…なんだかスゴイですね。
情報、ありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2014年10月23日 (木) 15時10分