モテモテ平中=平貞文の失恋話
延長元年(923年)9月27日、平安中期の貴族で歌人、中古三十六歌仙の一人でもある平貞文が亡くなりました。
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平貞文(たいらのさだふみ・さだふん=定文とも)・・・通称:平中(平仲) は、平安遷都で有名な桓武天皇の玄孫(やしゃご=孫の孫)にあたり、父の平好風(よしかぜ)とともに、平姓を賜って臣籍に下った人です(7月6日の『「八色の姓」を払拭…桓武平氏の誕生』参照>>)。
とにかく、この方は史実として・・・というよりも、物語として様々なエピソードを持つ方です。
彼の子孫が書いたとされる歌物語『平中物語』の主人公とされるほか、彼のエピソードは『源氏物語』にも引用され、『今昔物語』や『宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)』にも登場します。
『伊勢物語』の主人公とされる在原業平(ありわらのなりひら)(5月23日参照>>)もそうですが、その業平とともに「在中・平中」と並び称されるほどのラブロマンスの持ち主であります。
もちろん、史実というよりは、あくまで伝説上のお話ですが、本日は、そんな中でも最も有名なエピソードをご紹介させていただきます。
(有名なので、ご存じの方も多いと思いますが…m(_ _)m)
※このお話は、『今昔物語』と『宇治拾遺物語』に出て来ますが、本日は『宇治拾遺物語』を中心に・・・
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てな事で、宮中ではモテモテの平中は、宮仕えの女房どころか、身分高き令嬢まで、彼が声をかけてなびかなかった女子はいなかったわけですが、ここに一人だけ、何度も何度も「会いたい(*^.^*)」との手紙を送っているのに、どうしても落とせない女性がいました。
それは、村上天皇の母に仕える本院侍従(ほんいんのじじゅう)と呼ばれていた女性・・・この本院というのは、当時、「本院の大臣」と呼ばれていた左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)(4月4日参照>>)に由来する本院で、つまりは、彼女は時平の後妻だったとされているのですが・・・
実は、彼女もかなりの美貌で言い寄る男は数知れず・・・恋には手慣れた女性で、いくら平中の誘いが見事でも、そんじょそこらの箱入りお嬢さんのように、すぐには落ちないわけで、むしろ、見事に駆け引きを仕掛けて来るのです。
平中は、人恋しくなる夕暮れや、ロマンチックな月夜に、頃あいを見計っては、またまた「会いたいな」と手紙を送りますが、彼女は、思わせぶりな返事をよこしつつも、実際に会おうとはしません。
昼間に職場で会った時には、周りに人がいる中で気軽に声をかけて来て、仲良さげな会話を平中にして来るにも関わらず、あの「会いたいな」の手紙の返事では、毎度々々、適当にあしらわれるばかり・・・
「なんやねん!コイツ(≧ヘ≦)」と、ますます気持ちが高ぶる中、4月の末となったある夜、平中は、いよいよ決意します。
そう、その夜は、激しい雨が降っていました。
実は、ここのところの手紙には、「会いたい」だけではなく、「今度、家に行くゾ」「行くからな」ってなストーカーまがいの手紙を頻繁に送っていたわけですが、あえて、こんな激しい雨の降る気色悪い夜に彼女に会いに行けば、
「まぁ、こんな夜やのに、
会いに来てくれはるやなんてw(゚o゚)w」
と、きっと、彼女は感激するに違いないと・・・
こうして自宅を後にした平中・・・雨は思っていた以上に激しかったですが、それこそ、
「こんな雨の中に、わざわざやって来たこの俺を、会わずに追い返すてな事は無いはずや!」
と、ミョーな確信を持ちつつ、一路、彼女の家へ・・・
すると、身の回りの世話をしている女の子が対応に出て、
「ただ今、奥におりますので、お取り次ぎします~コチラへ…」
と、平中を部屋の奥へと案内します。
ふと部屋を見渡すと、そこには、寝巻とおぼしき着物に籠をかぶせて、薫香(香を焚きこんで衣類に香りをつける…2月25日参照>>) の真っ最中・・・
「なんやかんや言うて、メッチャやる気満々なんちゃうん( ̄ー ̄)ニヤリ」
と、密かにほくそえむ平中・・・
やがて、平中が待つ部屋にやって来た彼女・・・
「まぁ、こんな雨の日にどうして??」
と、案の定の驚き&感激の表情・・・
「こんくらいの雨で、あきらめてしまうようなヤワイ気持ちやないんやで」
と、ここはかっこよく言い放ちながら、そばに引き寄せて髪をなでると、これが、頭から氷を浴びたかのように冷たくて、何とも言えぬ、ええ感じのさわり心地・・・
なんやかんやとムード満点の会話を続けながら
♪なんだか、今日、イケそうな気がする~~♪
(あると思います…by天津木村)
と、気持ちも最高潮になったところで・・・
が、しかし、ここで彼女・・・
「あっ!しもたΣ(`0´*)…引き戸を開けっぱなしにしたまま、来てしまいましたわ。
そのままにしとったら、アノ女、戸開けっぱなしで帰りよったで、って誰かに見られるかも知れませんから、ちょっと、閉めて来ますわ」
と、退出・・・
とは言え、彼女は上着も置いたまま、身一つで出て行ったので
「さすがに、戻って来るだろう」
と、平中は気を許して送り出します。
ところが・・・
確かに、戸を閉める音はしましたが、彼女の足音は、途中で奥の部屋へと消えてしまい、いっこうに平中のいる部屋には戻って来ず・・・
「しもた!やられた!」
と、思いつつも、そのまま朝まで待ち続けましたが、結局、彼女は朝まで戻って来ませんでした。
明け方、空しく自宅へと戻る平中・・・
家に戻っても心は晴れず・・・
「俺を騙して置き去りにしたやろ!」
と、そのくやしい思いと愛しい思いが交差する手紙を書きつづり、彼女に送ると・・・
「そんな!!騙すやなんて…
あの時、戻ろうとしたタイミングで、急なお召しがあって、そっちを優先してる間に朝になってしまいましたんです~
なんせ、これでも宮仕えの身でっさかいに…」
と、軽くかわされてしまいました。
その後も、なんやかんやとうまくすり抜けられる平中・・・しかし、逆に恋しい思いはどんどんつのって行きます。
「アカン!こうなったら、何とかして、あの人を嫌いになるしかない」
と、考え
「そや、100年の恋もさめるような、彼女の醜態を目の当たりにする事にしよ!」
と、決意した平中は、従者を呼んで命じます。
「彼女のオマルを掃除する係の下女から、彼女の使用済みのオマルを奪って来い」
と・・・
以前、平安時代の“寝殿造”にはトイレがない(12月7日参照>>)事を書かせていただきましたが、そのために平安時代の女性は“樋箱(まり箱)”と呼ばれるオマルのような携帯トイレにしてから川に捨てたのですね。
そう・・・
いくら恋しくてしかたがない彼女でも、出たばっかりの臭い満点のウ●コを見たなら、その気持ちも萎えるに違いない!と・・・
翌日、自らの従者が、逃げる下女から奪い取ったオマルを受け取る平中・・・
おもむろに中を開けてみると・・・
「クッサー!えげつなー」
ではなく、何とも言えないかぐわしい匂い・・・
「そんなアホな」
と、よく見ると、それは排泄物ではなく、生薬を練った練香を、それらしい形の団子にし、さらに香水で煮込んだ物・・・
「くそー、もし、この中に、そのまま、汚く散らかされたアレを入れといてくれたら、愛想も尽きたやろに、なんちゅーこっちゃ」
まさか、平中がオマルをのぞき見する事まで予測して先手を打って来るとは・・・
さすがのプレイボーイ・平中も、見事ノックダウン・・・ますます、彼女への恋心がつのりますが、結局最後まで願いは叶わず・・・
後々も、
「アノ女にだけは、この俺も手玉に取られたわ」
と友人に話していたとか・・・
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と、『宇治拾遺物語』では、こんな感じの思い出話的な終わり方になってますが、『今昔物語』は、なんと、このまま彼女にこがれ死にした事になっています。
史実としての平中=平貞文さんは、おそらく55歳くらいで延長元年(923年)9月27日にお亡くなりになるので、この時代、さすがに50歳を過ぎて、ここまで若者っぽい恋愛したとは思い難いので、事実だったとしても、やはり、若い頃の話だったように思いますね。
あー、でも老いらくの恋ほど燃えるかも知れませんから、そこンとこは、わかりませんけどね~
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