「世直し大明神」佐野政言の田沼意知・刃傷事件
天明四年(1784年)3月24日、佐野政言が殿中において若年寄・田沼意知に斬りつけて重傷を負わせました。
・・・・・・・・・・・
『徳川実記』によれば・・・
この日、勤務が終わって帰宅しようと部屋を出た若年寄(わかどしより=旗本や御家人の管理支配役)の田沼意知(たぬまおきとも)が、中ノ間から桔梗の間へ差しかかった時、いきなり走り出て来た新番士(警備隊)の佐野政言(さのまさこと)なる者に斬りかかられ、脇差を抜いて応戦するも防ぎきれず、桔梗の間へ逃げ込んで倒れ込みます。
そばには、何人かの若者がいましたが、突然の出来事に動く事もできず・・・すると、遠くの方から大目付の松平忠郷(まつだいらたださと)が駆け寄って来て、何とか政言をくみ伏せて押さえこみました。
周囲の若者が何もできずにいるところを齢70になる忠郷が取り押さえたのはアッパレなれど、とにもかくにも重傷を負った意知を父の田沼意次(たぬまおきつぐ)の屋敷に送り、治療に専念するよう命じて、この日は終了となりました。
しかし、その意知は8日後の4月2日に死亡・・・そのため、翌3日に、政言は切腹を命じられ、獄中にて詰問を受けるも、ついに「狂気の致すところ」という事で、そのまま獄中にて切腹したのです。
・‥…━━━☆
とまぁ、上記の通り、公式記録では「政言の乱心による刃傷事件」となっていますので、それ以上の事は、あくまで、憶測を含む噂の話・・・という事になるのですが・・・
そもそも、本日の主役である佐野政言の佐野家は、上野甘楽郡(かんらぐん=群馬県)に400石の領地を持つ三河以来の徳川家の家臣で、大番(旗本で編制した常備兵力)や新番など、代々番士を勤める名門・・・政言は、その5代め=政豊(まさとよ)の大事な大事な一人息子でした。
しかも、この佐野家・・・実は、あの「いざ鎌倉!」でお馴染の鎌倉幕府第5代執権の北条時頼(ときより)の逸話『鉢の木』(3月23日参照>>)に登場する佐野常世(つねよ)の子孫であるとも・・・
世が世なら、今回、刃傷沙汰となった足軽あがりの田沼家なんてメじゃない家柄だったわけですが、もはや世は江戸時代・・・しかも、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの田沼一家・・・
そう・・・今回、被害者となった田沼意知は、ご存じの田沼意次の嫡男で、その田沼家は、意次の父である意行(おきゆき)が、病弱だった父(意次にとって祖父)に代わって養育してくれた紀州藩士の娘婿となって、それまでの足軽身分から藩士になった頃に、これまた、未だうだつの上がらない部屋住み(家を継がない次男以下の男子=くわしくは10月26日の冒頭部分参照>>)ニート時代だった紀州藩主の暴れん坊な息子=徳川吉宗(よしむね)に気に入られて側近に・・・
で、ご存じのように、その吉宗が、やがて紀州藩主となって、さらに第8代将軍にまでなっちゃう(8月13日参照>>)ので、当然の事ながら、紀州藩の側近組織は、そのまま江戸幕府の組織に組み入れられる・・・って事で、吉宗お気に入りの意行も、小姓から小納戸頭取(こなんどとうどり=奥向きの仕切り役)にまで大出世したわけで・・・
その後、第10代将軍の徳川家治(いえはる)の治世では、老中にまで出世した息子=意次の権勢は、もはや幕閣の中でも別格で、さらに、その息子である意知への七光り度もハンパない光り具合だったわけで・・・
なんせ、この事件の前年の天明三年(1783年)に、意知は若年寄に就任していますが、この時の意知は未だ世子(後継ぎ予定)・・・つまり、まだ家督は継いでない状態で若年寄に就任わけで、かなりの異例です。
しかも、そこには廩米(りんまい):5000俵がついていたと・・・
廩米とは、所領を持たない旗本や御家人に、幕府の米蔵から支払われる給料の事で、所領を持たない廩米取りの者が若年寄になるなんて事は、制度発足以来、初めての事だったのだとか・・・意次の権力がいかにスゴかったかがわかりますね~
・・・で、そんな田沼家を頼りにしたのが、名門なれど、江戸時代では、ただの旗本となってしまっていた佐野政言・・・
一説には、田沼はもともと佐野家の家来筋であったとも言われ、その縁を頼りに複数回に渡って賄賂を贈り、このままでは大した立身出世を見込めない自らを売り込んだわけです。
さらに
「なんなら、佐野家の系図にひと筆加えて、田沼家を由緒正しき家柄に…」と意次・意知父子に持ちかけます。
確かに、いくら権勢を誇っても、それにふさわしい家柄がついて来るチャンスはそうそう無いわけで・・・
で、この話に乗った意次父子・・・言葉巧みに、その佐野家の系図を借り受けますが、待てど暮らせど、出世に関する返事は無く、系図も返してもらえない日々・・・
しかも、この間・・・
将軍・家治の鷹狩りの席において、政言は1羽の雁を仕留めますが、なぜか意知が
「お前が射止めたんちゃうやろ!」
と言い張り、褒美が帳消しになったり・・・
つまり、賄賂や系図を受け取っておきながら、見返りを提示しないでほったらかしどころか、嫌がらせ的な事までやり始めたと・・・
かくして、数々の田沼の仕打ちにブチ切れた天明四年(1784年)3月24日、佐野政言が殿中での刃傷に及んだというわけです。
また、上記の『徳川実記』では、意知の抵抗空しく・・・となってますが、実際には、ほぼ無抵抗のヤラれっぱなしだったのを、「それでは武士として恥ずかしい」と、名誉のために、抵抗した事にしたとか、
政言を取り押さえた松平忠郷も、彼が本懐を遂げるまで=つまり、政言が何度も斬っているのを止めずにしばらく見ていて、致命傷を与えてから「もう、ええか?」という感じで取り押さえたなんて噂もあります。
そこには、権勢を誇る一方で、囁かれる意次の評判・・・という微妙な、田沼と幕府との関係がうかがえるのです。
そう、この事件の前年に噴火した浅間山(7月6日参照>>)に、その噴火の影響で起こった天明の大飢饉(12月16日参照>>)・・・不安にかられた民衆に襲いかかる打ち壊しの嵐・・・
で、結局、事件から3年後の天明七年(1787年)、将軍・家治の死去を受けた形で、田沼意次は政治家の座を追われる事なるのですが、以前、「意次さんの汚名を晴らしたい」と題してご紹介させていただいた(10月2日参照>>)ように、彼の後を引き継いで『寛政の改革』を行う松平定信(まつだいらさだのぶ)(6月19日参照>>)は、自らの清廉潔白さを際立たせるために、田沼政治の悪口言いまくり・・・
天変地異や政治批判に晒された田沼意次の評判はガタ落ちとなったわけですが、そんな意次の息子を斬って、結果的に意次失脚の口火を切ったとも言える今回の刃傷事件・・・
おかげで、西浅草の徳本寺(東京都台東区)に建立された政言のお墓には多くの参拝が訪れ、人々は「世直し大明神」として崇めたのだとか・・・
まぁ、そんな定信の政治もまもなく行き詰まり
♪白河の 清き流れに 住みかねて
もとの田沼の にごり恋しき ♪
(定信は白河藩主)
なんて狂歌が詠まれる事になるのですが・・・
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コメント
こんにちは、茶々様。
相変わらず面白い歴史の記事をありがとうございます。
今日も感謝です
投稿: DAI | 2014年3月24日 (月) 22時33分
DAIさん、こんにちは~
いつもありがとうございますm(_ _)m
励みになります。
投稿: 茶々 | 2014年3月25日 (火) 10時55分
こんにちわ♪茶々様。おもしろかったです。日本史で習った印象で、田沼意次はけっこう強烈でした。こんな裏話を知ると、結局、歴史って人間の感情とか業とかの綾なす出来事なんですかね。でもやはり悪知恵の狡いヤツはいつの時代も嫌われますね。労せず七光りのヤツも、恩義をスルーするヤツも嫌われますね。昔の人達だけど何か親近感覚えます。
投稿: マリーゴールド | 2014年3月26日 (水) 15時38分
マリーゴールドさん、こんにちは~
でも、田沼意次の政治手腕はスゴイですよ~
特に経済に関しては…
私は、好きです(*^-^)
投稿: 茶々 | 2014年3月26日 (水) 17時05分
茶々様、夜分失礼致します。あれから田沼意次と松平定信をいろいろ調べました。意次すごい!と思いました。定信との評価は最近では逆転してるとか。茶々様の意次好きが分かった気がします。
投稿: マリーゴールド | 2014年3月26日 (水) 23時09分
マリーゴールドさん、こんにちは~
でしょでしょ?
おっしゃる通り、最近では名誉回復しつつあります!
投稿: 茶々 | 2014年3月27日 (木) 10時34分
田沼意次は、田中角栄みたいな感じがします。日本史の教科書では、賄賂政治と書かれていましたが。
投稿: やぶひび | 2014年4月 8日 (火) 07時45分
やぶひびさん、こんにちは~
>田沼意次は、田中角栄みたいな…
私もそう思います。
倹約一辺倒の改革より意次の采配の方が、よほど良かったのではないか?と…
投稿: 茶々 | 2014年4月 8日 (火) 13時05分
来年の大河ドラマでは田沼意知役は宮沢氷魚くんですね。
昨日、新キャストが発表されました。その中で中村隼人くんが長谷川平蔵役に決まりました。
もしかすると長谷川平蔵が時代的に見ると登場するのでは?と見ていましたが、大河ドラマで長谷川平蔵が出るのは時代劇ファンへのサービスの一環とも言えます。
あわよくば秋山大治郎と佐々木三冬の登場も期待したいです。
投稿: えびすこ | 2024年7月15日 (月) 09時22分
えびすこさん、こんばんは~
楽しみですね~
投稿: 茶々 | 2024年7月16日 (火) 03時27分