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2014年5月27日 (火)

アンケート企画:「イチ推しの大坂方の武将は?」の結果発表

 

お待たせしました!

本日は、最新アンケートあなたイチ推しの大坂方の武将は結果報告です。

改めて・・・
投票に
ご協力いただいた皆様、
ありがとうございました
o(_ _)o

・・・で結果は???
やはり、真っ赤なアノ方が終始ダントツの快走だったわけですが、その前に、大いなる反省~~(ノ_-。)

と言うのも、このアンケートの選択肢を決めるにあたって、速水守久堀田道空などの七手組頭たち、細川興秋(細川忠興の息子)北川宣勝(伊達政宗の家臣)などのおそらく二股要員であろう他家からのヘルプ、さらに活躍の記録が残る渡辺糺(ただす)毛利勝永(吉政)・・・などなど

特に、この勝永さんは、大坂城総攻撃の日に、かの赤い人とともに徳川家康の本陣まで攻め込んだうえに、撤退の殿(しんがり)を努めた武勇を持ち、『明良洪範』では自害する淀殿介錯をしたとされる人物ですので、選択肢に入れるか入れないか、かなり迷いながらも、もともと「知る人ぞ知る」タイプの武将ですから、知ってる方なら「その他」の項目で入れてくださるだろうという安易な考えのもと、悩んだ末に「未だ、このブログには主役として登場していない」という個人的な理由で、選択肢には入れなかったのですが・・・

ところがドッコイ、フタを開けてみると「毛利勝永に一票」の意見の多い事多い事・・・

「いつの間に、そないな人気者に?w(゚o゚)w」
と驚いていたところ、どうやら最近巷でハヤっている戦国を舞台にしたオンラインゲーム戦国ixaというらしいです)にて、勝永さんが、スキルの高い万能系の武将として登場していて、大人気を博しているのだとか・・・

まっこと、うかつでありました~m(_ _)m
とは言え、ゲームでもドラマでもマンガでも、とにかく人気が出るのは良い事・・・もはや時代の流れは幸村から勝永に移行するのか?
(ならば、一刻も早くブログに主役で登場させねば!!(A;´・ω・)アセアセ)

って事で、今回は特別に、「その他」ではありますが、コメント欄に「毛利勝永」と書いて下さった方の票数を、「その他」とは別の「毛利勝永」としてランキングに加えさせていただいておりますので、その点、どうぞよろしくお願いします。

ではでは・・・とりあえずは結果発表と参ります。

改めて投票募集のページをご覧になりたいかたはコチラからどうぞ>>(別窓で開きます)

・‥…━━━☆ジャ~

1位
66票
真田幸村(信繁)
やはり、本陣に迫った赤い彗星…さすがのぶっち切り1位であります
2位
16票
毛利勝永(吉政)
やホンマすんませんo(_ _)oペコッ…ここまで人気者になっているとは、つゆ知らず…堂々の2位!
3位
15票
後藤又兵衛基次
僅差の3位…この方の人気はなかなかの不動ぶりです
4位
11票
木村重成
ドラマではあまりお目にかかりませんが、そのカッコ良さで堂々の4位!
5位
5票
豊臣秀頼
長宗我部盛親
失礼ながら、ともにお父さんの人気も引き継いで…の二人かな?
7位
4票
明石全登(景盛)
燃える大坂城から脱出…その後に捕縛されたり自首したりが多い中、行方不明となったミステリアスぶりが魅力?
8位
3票
塙団右衛門直之
古田織部

ここに喰い込んだか!ってなお二人…なにげに人気アリです
10位
2票
薄田隼人兼相
個人的に推したい薄田隼人…残念ながら上位には届かず(ノ_-。)
11位
1票
大野治長
秀頼の子供たち
増田長盛

佐野道可

1票だったのは残念無念…今後の知名度上昇に期待です
15位
0票
大野治胤(道賢・道犬)
堀内氏久
堀内さんはともかく、『葉隠』絶賛の治胤さんが0だったのは、我ながらちょっと寂しい…もっとスポット当てたげて~~
その他 5票:下記のコメントでご確認を…

と、このような結果となりました~ご協力感謝します。

゜。°。°。°。°。°

続いて、投票コーナーにいただいたコメントを・・・
*いただいた順に表示「青文字」は管理人のコメントです

その他 毛利勝永数少ない豊臣譜代だし、大阪の陣での武功も立派。それなのにマイナー。これだけ応援したくなる要素があるんですよ。ほんとお願いします。(40歳代/男性/千葉)
「これまでは、私もマイナー武将だと思ってたんですが、今回の結果の通り、人気が出て来ているようですヨ!期待大ですね
木村重成 落日の豊臣方に咲いた一輪の華の如き若武者に、一票♪戦の徒花だとしても、その姿はさぞや勇壮で美しかったであろうと…。(40歳代/女性/神奈川)
「源平時代の貴公子のようです(゚▽゚*)」
真田幸村 やはり真田でしょう(60歳代/男性/千葉)
「日本一の兵ですからね」
豊臣秀頼 やはり大阪といえば豊臣(30歳代/男性/和歌山)
「総大将ですから…豊臣万歳!」
その他 「かかれ対馬、逃げ大炊、どっちかずの雅楽頭」と思えば、やはり大野治房でしょう。(40歳代/男性/【海外】)
「それもアリですね~兄貴のサポートしつつ国松を守って脱出!!
真田幸村 秀頼を神輿に担いで、幸村が全兵力を操ってユッタリと茶臼山に兵を進めたら…乱世が続いたでしょうね?!(40歳代/男性/埼玉)
「IFを考え出すと妄想は尽きませんね(*^.^*)
後藤又兵衛 今年の大河ドラマに便乗させて貰います(笑)ドラマでは想像出来ない長政との確執を乗り越えて(笑)負け戦と分かっていても最後まで武士の意地を貫いて華々しく散った事に感服します。(30歳代/男性/兵庫)
「散り方もカッコイイですしね~
その他 個人的には団右衛門が一番好きなのですが、あの毛利勝永が選択肢に無いのは寂しいので彼に一票!(20歳代/男性/大阪)
「アチャ…選択肢に入れなかった事、反省しておりますです」
その他 毛利勝永公です。選択肢になかったのが不思議でならないくらいです!(20歳代/男性/東京)
「同じく、反省しておりますm(_ _)m」
その他 毛利勝永(40歳代/男性/兵庫)
「やっぱり…ですね(;д;)」
木村重成 赤いお方は言うまでもなくですが 木村重成を思うと なんとも 潔く 清々しく また 胸が詰まり…(50歳代/女性/大阪)
「男前ですね~
塙団右衛門 樫井は地元!! 塙は格好良すぎます。(40歳代/男性/大阪)
「豪快さが際立ってますね~地元推し、大いにアリです」
真田幸村 有名だし、カッコいい。(50歳代/男性/静岡)
「再来年の大河が楽しみです」
後藤又兵衛 死に方がかっこいいので(20歳代/男性/滋賀)
「遅れた兵を待ちながらの善戦はさすがです」
真田幸村 …真っ赤なあの方に一票!なんといっても日本一の兵ですもの(40歳代/女性/宮城)
「ですね。。。やはりダントツ」
真田幸村 毛利勝永か幸村ですね。
「勝永さんが選択肢になく申し訳なかったです」
その他 毛利勝永大坂方にあって最後まで戦線を維持したのは勝永唯一人であった(50歳代/男性/岡山)
「同じように家康本陣に突っ込みながら幸村は討死となりましたからね~見事な撤退戦もカッコイイ」
木村重成 小学生のとき、木村重成の紙芝居を作った?記憶があります。筋書を思い出せないのですが、最後は燃える大阪城を望み、泣く重成にしたと思います。(60歳代/男性/東京)
「小学生の時にですか?スゴイですね~私は、たぶん小学生時代には重成さんを知らなかったかも(*´v゚*)ゞ」
その他 個人的には先祖が属した古田織部や、オイラもその血を受け継ぐ近江木村氏の出とされる重成を木村繋がりで押したいところだが、一人選べと云われたら。やっぱ『毛利勝永』しかいないよね。(50歳代/男性/静岡)
「やはり勝永さんですか~~」
その他 毛利勝永がいないのはおかしい(30歳代/男性/東京)
「やっぱおかしいですか~ホンマすんませんm(_ _)m
真田幸村 月並みですが。源義経や沖田総司なみにかっこよいから。
「あの活躍は、絵になりそうですよね~」
真田幸村 多分、ダントツと思うのですが、やはり幸村に投票せずにはいれない、カッコよさです。ちなみに家康は幸村に討たれた説、何気に信じてます。( ´艸`)(30歳代/男性/福岡)
「負組の豊臣ファンとしては、いつか勝組の言い分の崩れる日が来る事を願って」
塙団右衛門 男性ばかりですが、淀殿も女武将だったのでは?(50歳代/女性/神奈川)
「総大将の生母として、見事な采配をふっておられたのではないか?と…」
真田幸村 木村重成と迷ったんですが、僅差で信繁さんにしました。とにかくかっこいい。名言とか散り際とか。とにかくかっこよい!戦は勝たなきゃ意味ないけど、この人には例え負け戦でもついていきたくなる。
「ハイ、カッコイイですヽ(´▽`)/」
その他 「片桐且元」 山岡荘八の小説で「家康」での中で桐の片桐という場面があります。方広寺鐘銘事件で家康との交渉がむなしく手切れとなって大坂の陣へとなりますが、賤ヶ岳七本槍の一人。小説とはいえ忘れられません。(60歳代/女性/石川)
「且元さんも選択肢に入れるかどうか迷ったんですよね~あの交渉は大変だったと思います」
真田幸村 いつも楽しく拝見しております。これからもよろしくお願いします!(40歳代/男性/福井)
「うれしいお言葉…ありがとうございますm(_ _)m
真田幸村 やはり。ですね。(50歳代/男性/神奈川)
「ですね~( ̄ー ̄)ニヤリ」
長宗我部盛親 大阪に馳せた「一領具足」のシンボルとして一票・・・。それにしても、花を咲かせてやりたかった盛親です。(60歳代/男性/長野)
「今も高知では山内より長宗我部が人気?だったり…」
真田幸村 順当に(40歳代/男性/兵庫)
「人気ですからね~
真田幸村 我が故郷の英雄さ。(60歳代/男性/大阪)
「信州ですか??」
真田幸村 豊臣方の作戦面は、このお方にすべてを任せておけばよかったのに・・(40歳代/男性/大阪)
「初めの勢いがそのまま続いていたら…と残念ですね~
後藤又兵衛 玉手山(30歳代/男性/兵庫)
「小さい頃に遊園地に遊びに行ってた時は、あそこに慰霊碑がある事も知りませんでした
長宗我部盛親 やっぱり地元贔屓で(*^^*)いつか姫ワコ元親含め、どこかの局でドラマ化して欲しいものです♪(40歳代/女性/高知)
「私も…父子2代のドラマはオモシロイと思います」
その他 小笠原権之丞です。家康の落胤といわれている彼が大坂方に参加して天王寺の戦いで戦死。初めて知ったときは、結構衝撃でした。親子で敵味方で対決だよなと思いました。(40歳代/男性/兵庫)
「ひょっとして彼も二股要員なのでは?(結城秀康の家臣も大坂方にいるので…)と妄想させてくれる人物…今度じっくり調べたいです
真田幸村 ブログ、いつも楽しませていただいております ありがとうございます(50歳代/女性/神奈川)
「ありがとうございますm(_ _)m励みになります」
真田幸村 家康の首に一番近かった武将であり、「真田十勇士」で身じかに感じられるこの方で。(50歳代/女性/埼玉)
「大河に十勇士出ますかね?楽しみです♪
後藤又兵衛 TVで見ましたが、武士としての最期の活躍場所として参戦した…とか今、大河で可愛らしく官兵衛様に可愛がってもらっていますが、此れから長政と反発し合っていくのですね。(50歳代/女性/熊本)
「私は黒田家の二股要員ともみてるんですが、大河ではどのように描かれるのでしょうね~楽しみです」
後藤又兵衛 司馬先生の軍師二人を読んで,大ファンになりました。無骨な男の生き様が素敵ですな。(30歳代/男性/香川)
「無骨…まさに戦国武将の褒め言葉ですね~」
その他 毛利勝永 かな? 何か凄く退却戦(撤退戦)の戦巧者のイメージがある。勿論普通に戦上手ですが・・・戦術家としての能力は一流と思っています。(40歳代/男性/埼玉)
「やはり…これから上昇する人気に期待ですね~」 
長宗我部盛親 四国出身の友人が熱く語ってくれて以来のファンです。幕末が好きで、裏話等々いつも楽しく拝見しています。(40歳代/女性/千葉)
「四国統一を果たした男の息子ですからね~もっと注目されても良いのでは?」
真田幸村 真田十勇士として有名だから。(10歳代/女性/大阪)
「十勇士を主役に据えた新しいドラマも見てみたいですね~」
真田幸村 官兵衛のドラマの影響を受けて、又兵衛も気になりますが、やはり幸村を外せないですね。生まれ育ちは、摂津の国です。(50歳代/男性/滋賀)
「摂津…今まさに、大河ドラマの中心地ですね~」
その他 毛利勝永を押します!彼なしではあんなに華々しく散る最期は無かったのではないでしょうか!(20歳代/男性/神奈川)
「やはり、人気なのですね~」
古田織部 地元が近いので…笑
「ウラで画策してた感がハンパ無いです」
その他 秀頼の介錯をした毛利勝永。もっと知名度/人気が上がってもいいと思うのですが。。(40歳代/女性/兵庫)
「氏家行広(荻野道喜)・速水守久とともに介錯人の一人であった事は確か…やはり今後の人気上昇ぶりに期待ですね」
明石全登 幸村さんは別格とすれば、この人かな。(50歳代/男性/高知)
「行方不明はキリシタンなればこそのワザかも知れません」
明石全登 個人的には毛利勝永だが先祖が明石とともに戦ったから。
「おぉ、ご先祖様ですか~それは推しますな」
真田幸村 赤備えの人がどれくらいの得票率をとるか楽しみです。次は結果を予想するのが難しいアンケートをお願いします。(60歳代/男性/神奈川)
「予想が難しいアンケートを作るのが難しい…いやいや、次も考えますよo(*^▽^*)o」
その他 毛利勝永。一番豊臣家の為に戦った武将だと思う。(30歳代/男性/沖縄)
「やっぱり…ですね」
その他 やっぱ淀君でしょう:)茶々さま、ご自分を忘れてはいけません(笑)茶々さまの説私もあってると思います♪30万人を巻き込んだ失恋の成り果てのゴタゴタだったんですね? 大阪の陣...(20歳代/男性/千葉)
「おぉ、そうであったな(笑)ただ、わらわは戦場には出ておらぬゆえ~て、そうなると秀頼も出ておらぬな…と、ちょっと乗っかってみました(゚▽゚*)」
その他 毛利勝永を入れとかないと歴史オタが騒ぐのでは…(40歳代/男性/東京)
「ハイ、時代の波に乗り切れていなかったです(*´v゚*)ゞ」
真田幸村 唯一活躍した武将
「やはり有名かつ人気ありますから…」
真田幸村 どうしたってこの人以外にいない。(60歳代/男性/東京)
「今回も序盤から快走でした(゚▽゚*)」
真田幸村 一推し二推し。。三、四が無くて、全部無いから負けたのでござるよ。涙(50歳代/女性/奈良)
「時代を超えて、その名は残ったでござる」
その他 毛利勝永
「やっぱり…」
その他 毛利勝永…ないのね(40歳代/男性/広島)
「反省しきりでおます(ノ_-。)」
真田幸村 毛利勝永
「やっぱり選択肢に無いと投票し難いですか?すんません」
木村重成 毛利勝永は?(10歳代/男性/宮城)
「やはりコチラもそうですねm(_ _)m」
薄田隼人 おれんじー
「だいだい~ヽ(´▽`)/って隼人君は見かけ倒しじゃないっすよね?」
木村重成 まっすぐな生き方が大好きです!もっと評価されてもおかしくない武将だと思います。(30歳代/男性/新潟)
「戦果の記録が少ないからでしょうか…もっと評価してほしいですね」
秀頼の子供 生き残っていたなんて!それだけでヒーロー!(30歳代/女性/岐阜)
「イロイロと妄想させられますね~
その他 毛利勝永(30歳代/男性/京都)
「やはり…ですね」
大野治長 色々な噂か流れる中、頑張った人じゃないかなあと。(女性/千葉)
「おっしゃる通り、イロイロ頑張ってはります」
木村重成 又兵衛さんと迷いましたが、青年武将に一票。戦国最後を飾る人として赤い人と同じくらい有名になってもいいのではと思う方です。若いけど、誇りや志は老練な武将と同等に持ち合わせていた人です。茶々さんのブログで初めて知りました。有難うございます!(10歳代/女性/千葉)
「先ほど、戦果の記録が少ないと書きましたが、よくよく考えれば幸村も少ないんですけどね~やっぱり重成さんを評価してほしい!」
真田幸村 家康が恐れた戦国武将!(40歳代/女性/兵庫)
「ビビリまくりでしたからね~」
真田幸村 九度山に道の駅が出来て(エエとこですよ)、大河ドラマも決まったらしいので(堺雅人さん?)この方で(^▽^)(40歳代/男性/大阪)
「おぉ、ご当地も準備万端整えはじめていらっしゃるようで…楽しみ~
真田幸村 後藤又兵衛基次と言いたい所ですが、大坂の陣といえばやはり、真田信繁に一票になってしまいますね。(40歳代/男性/群馬)
「1番の…と言えば、やはり真田ですかねぇ
その他 真田大助(幸昌)。お父さんの方が有名だけど、息子の事も忘れないで下さい?!(40歳代/女性/兵庫)
「再来年の大河では脚光を浴びる事でしょうね~
豊臣秀頼 究極の「ぼんぼん」で人柄も良さそう…(40歳代/女性/大阪)
「身長が2m近い巨漢だったとのお話もあるので、意外にマッチョなぼんぼんかも…
真田幸村 彼しかいない!!(40歳代/女性/愛知)
「いないですねぇ~(*^-^)
ここからは ブログコメントからの投票です
(コメントの内容はアンケート募集のページでご覧くださいm(_ _)m)
真田幸村 (エアバスA381さん)
佐野道可 (圭さんさん)

・‥…━━━☆

以上、
たくさんの投票、ならびに、楽しいコメントをありがとうございました~

これからも、不定期ではありますが、オモシロイ投票のお題を思いつきましたら、投票コーナーを設けてみたいと思いますので、その時は、ぜひぜひご協力いただけますよう、よろしくお願いします。
 .

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コメント

茶々様 こんにちは

集計並びにそれぞれへのコメントお疲れ様でした。
やはりの結果でしたね。
快心の想いです。
でも、毛利勝永は、私もついうっかり。
史料から言えば二位に入って当然の人でした。
後藤又兵衛基次とほぼ互角の票数。
人は知ってる。
ゲームだけの影響では無いですね。
でも、これから幸村を追い越されたら、それはちょっとですね。

投稿: エアバスA381 | 2014年5月27日 (火) 17時18分

エアバスA381さん、こんにちは~

もちろん、昔から「知ってる人は知ってる武将」なので、ゲームだけの影響ではないのかも知れませんが、少なくとも、専門書ではない、いわゆる情報系の書籍に、これまで秀頼の忠臣として名を連ねているのは木村・長宗我部・後藤・真田ら、四天王がほとんどでした。
なので、ここに来て知名度が上がった事は確かだと思います。
それこそ、もともと知名度さえ上がれば文句無しの武功の持ち主ですから、今後は、そういった書籍にも引っ張りだこなんじゃないでしょうか?

投稿: 茶々 | 2014年5月27日 (火) 17時52分

茶々様 こんにちは

私の書き方が悪かったようです。
大真田ファンとしては、後代になって、幸村がトップから落ちると、やだなと思っただけです。
申し訳ありません。

投稿: エアバスA381 | 2014年5月27日 (火) 18時19分

茶々さん、こんばんは♪

「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」と言われたのも今は昔、かつてはディープな戦国ファンが「俺こんなスゲェ奴知ってるんだぜぃ」と自慢する程度の知名度と思っていた勝永にこんなに票が集まるとは。

再来年の大河では、幸村の盟友としてかっこよく描いて欲しいなぁ。彼の活躍があればこそ、家康の本陣をぶっ壊せたわけだし。

投稿: 圭さん | 2014年5月27日 (火) 19時49分

毛利勝永は有名になる前から「この設定はオカシイだろー」と、信長の野望の非公式有志のシナリオ「大坂の陣」で勝手に高能力にして遊んでいましたネ
しかし、大坂城の耐久も書き換えてシステム上最大の6万5千まで増やしても、けっきょく守り切れなかった思い出があります。

投稿: ほよよんほよよん | 2014年5月27日 (火) 22時06分

いつも興味深く読ませていただいております。
木村重成の投票にコメント返しいただきありがとうございました。月刊の小6雑誌に載っていた物語をそっくりうつしたように思い出します。重成討ち死にの時には、大坂の城は未だ燃えていなかったはずで、史実と違います。クラスの友たち、ごめんなさい。
戦国のふるさとには、大野家源内という棟梁がいました。壬申の乱で敗れた蘇我赤兄の子孫で、一族には壇ノ浦で能登殿に殉じた安芸の太郎、次郎もいる安芸国虎が長宗我部に降った後、源内は残る土佐安芸郡の諸勢を率い長宗我部軍に奇襲戦などをしかけ、元親は胆を冷やしたことがあったようです。頭にきた元親は源内の一揆勢の全滅を命令して1575年3月、わがふるさとを侵略しました。7日間戦闘は続きましたが、源内が討ち死にすると地元勢は総崩れ、老人と子供のみ僅か20人ほどが遺され壊滅しました。その戦いの非道さは土佐平定の過程の唯一、と思われます。
十数年前京都の長宗我部盛親公の墓前にうかがったとき、無常の感がしました。

投稿: 樹美 | 2014年5月28日 (水) 12時39分

エアバスA381さん、こんにちは~

いえいえ、幸村のトップはなかなかに揺るぎない物だと思いますよ。
私も豊臣派なので、幸村大好きです(*゚▽゚)ノ

投稿: 茶々 | 2014年5月28日 (水) 14時57分

圭さん、こんにちは~

ですよね~
私も、こんなに知名度が上がっているとは思ってもみませんでした。
確かに、これならイイ役でドラマに登場しそうです。

投稿: 茶々 | 2014年5月28日 (水) 14時59分

ほよよんほよよんさん、こんにちは~

「信長の野望」で…
そうなんですか。
ゲームは、スーファミあたりでストップして、しばらくやって無いので知りませんでした。

投稿: 茶々 | 2014年5月28日 (水) 15時01分

樹美さん、こんにちは~

紙芝居の方ですね…コメントありがとうございます。

そうですね。
戦は常に諸行無常…負けた側から見れな悲惨極まりない行為ですが、その時勝った側も、やがて、おごれる者も久しからずですからね。

しかしながら、それらの物語を紡ぎながら、とうとうと大河の流れのようにつながっていく…私たちも歴史の1コマですね。

投稿: 茶々 | 2014年5月28日 (水) 15時36分

茶々さんのこのブログを訪問してる方は歴史好きだから毛利勝永も名前があがったのではないでしょうか?
私も歴史は好きですがあまり知らないのでこのブログ楽しみに読んでいます。読んでいたところ毛利勝永の名前を知って調べて好きになりました。

投稿: たい | 2014年5月28日 (水) 23時21分

たいさん、こんにちは~

>茶々さんのこのブログを訪問してる方は歴史好きだから…

ありがたいお言葉です。
そのぶん、心してかからねば…とも思います。

確かに…その経歴からして、出るべくして出てきた武将という感じですね。

投稿: 茶々 | 2014年5月29日 (木) 11時52分

こんばんわ毎日とはいえませんがお気に入りに登録して月に数回拝見させていただいております。私は真田氏発祥の地上田の者でございます。大阪方の皆様には昔からかなり優しくされている気がいたします。やっと大河ドラマ決まり良かったと思っています。みなさん上田に是非遊びにきてみて下さいね(きっと慌てて観光地つくるから)

投稿: げん | 2014年5月29日 (木) 22時27分

げんさん、こんばんは~

九度山はそろそろ準備に入っているようですよ!
最期のの地となった大阪の上町台地の界隈も、いつの間にやら幸村通りと呼ばれる通りもできていて盛り上がってます。
楽しみですね~

投稿: 茶々 | 2014年5月30日 (金) 01時07分

はじめまして。いつも楽しく拝見しております。
真田家では信幸が一番好きな歴史オタです。胃にいくつ穴が空いても足りない境遇で家を残し、90歳以上まで生きただけでもたいしたものです。
大河では、父や弟を引き立てるだけの小物にはして欲しくないんですが…正直不安です。

投稿: タロベエ | 2014年6月 3日 (火) 21時03分

タロベエさん、こんばんは~

そうですね。
真田家が生き残るのはお兄ちゃんのおかげ…今度こそ、お兄ちゃんの雄姿を見たいです!

投稿: 茶々 | 2014年6月 4日 (水) 02時36分

ご無沙汰しております。

遅ればせながら、やはり毛利勝永です。

功名第一の幸村と違い、派手な演出もせず幸村隊が壊滅した後の困難な撤退戦を見事采配しし、最後は右府(秀頼)様と共に果てたところが特に。

誰か江戸時代の人で「惜しきかな。幸村を語って、勝永を語らず」みたいなこと言った人がいたような。

やはり、真田家が大名として存続した幸村には伝承が残ったことと、滅亡して伝承家も望めなかった勝永の違いでしょうか。

そもそも本人が功名を残したかったわけではなく報恩が全てだったと想像しているので、そんなこと望んでなかったかもしれませんが。

それにしても戦国IXAですか。
なんにせよ、人に知られる機会を得られたことはよかったと思います。

投稿: よっすぃー | 2014年7月14日 (月) 19時07分

よっすぃーさん、こんばんは~

>幸村を語って、勝永を語らず…

そうですね。
私としては、後々語られるか否かの差は、「討ち取られたか?」「自刃か?」という差にも、一つの要因があるような気がします。

よく言われる『真田日本一の兵』というアレ…ブログにも書かせていただいたように、あのフレーズは島津忠恒が手紙に書き残した>>物ですが、彼以外にも複数の武将が「真田は強かった」と書き残しているので、結果的にその「強かった」事が、後々語られるようになったと思うんですが、そもそも、それらは合戦に勝った武将の戦勝報告です。
つまり彼らが言いたいのは「そんな強い真田を討ったんだぜ」って事なんじゃないか?と…

逆に、幸村と同じように本陣まで迫り、見事に殿を努めあげて無事、城に帰還した勝永の事を書き残してまうと、自分たちの失態を書き残す事になるのではないか?と…

なので、城に帰還した後に自刃した勝永の事は、後世には、あまり語られなかったのかな?と思っています。

それこそ、ここに来て、そんな勝永さんに注目が集まるのはウレシイ事です!

投稿: 茶々 | 2014年7月15日 (火) 01時01分

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