大阪の史跡:天王寺七名水と亀井の尼の物語
本日は、大阪の寺社巡りのヒントとなる史跡=「天王寺七名水」と、そこにまつわる物語をご紹介させていただきます。
寺社巡りと言えば、遠方の方から見れば奈良や京都なんでしょうが、実は大阪の方が歴史が古かったりします。
たとえば、今回の七名水巡りの少し北にある生國魂神社(いくたまじんじゃ)や高津宮(こうづぐう)・・・(地図参照)
生國魂神社は、未だ現在の大阪の半分以上が海だった頃に、あの初代天皇となる神武天皇(じんむてんのう)が、その東征で瀬戸内海から上陸した場所に(2月11日参照>>)、日本列島そのものの神である生島大神と足島大神を祀ったのが始まりとされています。
(現在の生國魂神社は大坂城構築の際に移転された場所ですが、以前は現在の大阪城の大手門あたりにあったとされています。また、神武天皇上陸の地は特定されておらず、推定地は大阪天満宮の境内にもあります)
あの伊勢神宮の始まりが、第11代垂仁(すいにん)天皇(7月14日参照>>)の頃とされますので、由緒&伝承だけで見れば、いくたまさん(←生國魂神社の呼称です)の方が数百年古い事になります。
また、高津宮は、第16代仁徳天皇(にんとくてんのう)(1月16日参照>>)が政治の場とした難波高津宮(なにわたかつのみや)のあった場所・・・と言いたい所ですが、仁徳天皇の高津宮の場所は特定されていないので、あくまで仁徳天皇を主祭神に祀るゆかりの地という事になりますが、おそらくは、皇居があった場所も、この近くでは無いか?と推測されます。
もちろん、今回の七名水巡りの核となる四天王寺も、以前書かせていただいた通り(7月7日参照>>)、その歴史は飛鳥時代にさかのぼります。
←地図クリックで拡大します
「大阪市営地下鉄=夕陽ヶ丘駅」か「JR環状線:天王寺駅」が便利です。
とまぁ・・・神代の昔から大地だった上町台地には、奈良や京都に勝るとも劣らない神社仏閣がたくさんありますし、古き良き大阪を感じさせる「天王寺七坂」というのもあって、さすがに1度に全部をご紹介できませんので、今回は、題名通りの「天王寺七名水」に話題を絞らせていただきます。
…で、今回の「天王寺七名水」とは、有名な四天王寺の周辺に湧き出る湧水の事ですが、それは北から
1、有栖の清水
2、金龍の水
3、逢坂の清水
4、亀井の水
5、増井の清水
6、安居(安井)の清水
7、玉出の清水
の、7ヶ所ですが、このうち「有栖の清水」と「玉出の清水」は場所が特定されておらず、しかも、実際には「金龍の水」と「亀井の清水」以外は、水は枯れてしまっていますが、歴史遺産を記憶にとどめるべく、井戸枠を残したり、石碑を建てたりされています。
有栖の清水
途中で土佐藩が買収して庶民が使えなくなった事から「土佐清水」とも呼ばれましたが、現在の星光学院の敷地内にかつてあった「料亭:浮瀬」の前あたりに湧水があったとされています。金龍の水
星光学院の南西=清水坂を下った場所にあり、そのほのかな甘みがなんとも美味だった事から茶の湯として使用されたそうです。逢坂の清水
以前は一心寺の門前西…まさに逢坂(おうさか)の途中にありましたが、広い道路に拡張させるにあたって取り壊され、その遺構が四天王寺の境内の地蔵山に移されています。- 亀井の水(写真は下記の物語内に…)
四天王寺の金堂の地底にある池から流れ出ていると言われる水で、その上に建てられた亀井堂の中にある石造りの大きな桶に、現在も水が流れていて、お彼岸には、その桶に戒名を書いた「経木」という板を浸して、ご先祖様の供養をする善男善女が集まります。
また、この水が、この先、近くの清水寺の「音羽の滝(大阪市内唯一の滝=右上写真↗)」になるという噂も… 増井の清水
かつては高さ2mの岩の間から、2段に分かれた広さ8畳ほどの水溜めに溜められ、酒造にも使用されたとの記録がありますが、現在はその水も枯れ、下段の屋形のみが残されています。安居の清水
菅原道真が太宰府に赴任する時に、病を癒しながら舟を待ったという事で、その場所に建立された安居神社…その境内にあった湧水で現在は空井戸と玉垣が残ります。
ちなみに、この安居神社は、あの真田幸村の最期の地としても有名です。玉出の清水
かつて一心寺の西にあったとされる湧水ですが、残念ながら現在は枯れてしまい、その正確な位置もわかっていないのですが、推定値に石碑が建立されています。
以上、本日は「天王寺七名水」をご紹介しましたが、この七つの場所を巡るだけなら小一時間もかかりませんので、史跡巡りをされる場合は、是非とも、「天王寺七坂」や周辺の寺社へも訪れてみてください。
くわしくは・・・手前味噌ではありますが、本家HP:大阪歴史散歩の「上町台地を歩く」>>を参照してみてくださいませ(モデルコースの関係からブログの地図とは番号などが違っていますのでご注意ください)
最後に、今回の「亀井の水」にまつわる『亀井の尼』の物語を・・・
・‥…━━━☆
京都は東山の一角に建つボロ屋に、一人の女性が住んでおりました。
彼女は、非常に控えめでおとなしく、色っぽい噂一つ無いマジメは女性ではありましたが、やはり、そこはうら若き乙女・・・年頃になれば、「恋の一つもしてみたい」と思うもの・・・
とは言え、人も寄りつかぬ荒れた家では何とも・・・月を見てはため息をつき、花を見ては涙する日々を送っておりましたところ、ある時、清水寺に参拝すると、何やら手引きする人物が・・・
その人に誘われるまま、ある男と夢のような一夜を過ごすのですが、なんと、そのお相手は時の帝・・・
それからしばらくは、「もう一度、あの夢のような一夜を…」と待ち続けていた彼女でしたが、なんせ相手は帝ですから、やがて時が経つにつれ、「やっぱり、相手が相手やし…無理なんやろね」と、諦めムードに傾いていきます。
さらに時が経ち、彼女はふと、
「ひょっとしたら、これは『それをキッカケに世を捨てなさい』という仏様の思し召しかも知れない」と思うようになり、心を決めて、あの手引きしてくれた人物に手紙を送ります。
♪なかなかに 訪(と)はぬも人の うれしきは
憂き世をいとふ たよりなりけり ♪
「あなたが来られない事が、むしろ良かったかも知れんわ~
せやかて、それで世を捨てる決心ができたモン」
と・・・
しばらくして、使者を通じて、その手紙を手にした帝・・・
「うかつやったわ!忘れたわけでも嫌いなわけでもなく…たまたまやねん。
すぐに、また逢いに行くつもりやってん」
と、帝の気持を知った使者は、早速、東山の彼女家を訪ねますが、もはや、そこには留守を預かる老婆ひとり・・・
その老婆によると、
「なんや事情はよぅわかりませんが、今は四天王寺にお参りに行ってはります」
との事・・・
慌てて使者は四天王寺へ・・・
寺の境内で、あちこち聞いて回ると、霊水の湧き出る亀井の付近に、2~3人の尼僧が住んでいるのを突きとめ、訪ねてみると・・・ビンゴ!
その尼僧は、若い彼女とその母親でした。
使者の顔を見て、たまりかねて泣きだす彼女・・・
そばにいた母は
「出家は以前から決めていた事で、決して帝のせいやおまへん…そんな畏れ多い事…」
と言いながらも、二人とも言葉にならず泣き崩れるばかりでした。
もはやどうしようもなく・・・使者は、空しく、都へと戻って行ったのでした。
・‥…━━━☆
この物語は、鎌倉時代に成立(作者は藤原信実が有力)したとされる『今物語』にあるお話ですが、肉食系女子が多数な今日このごろの恋に比べると、平安の雅な恋は、「待つ恋」だったのだなぁ~とつくづく・・・
.
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コメント
お久しぶりです。昔の恋事情...切ないですね。『私待~つぅわ、いつまでも待~つぅわ♪』て歌が頭の中で流れてしまいました。
最近...と言っても1、2年、中々の忙しさで茶々様の徒然日記を見ることが出来ず、夜な夜なスマホをいじって過去の記事から、やっと追い付きました♪大好きな戦国時代や好きな人物、地元佐賀で起こった出来事等々。本当に読んでいて楽しいです。そして、遅くなりましたが、9周年おめでとうございます‼10周年、20周年...その先まで迎える事が出来ますように、応援してます。これからの徒然日記も楽しみにしてますね☆
投稿: 佐賀の田舎者 | 2015年3月13日 (金) 00時45分
佐賀の田舎者さん、お久しぶりです。
私めの方も、ここのところはなかなかに忙しく、週1~2回の更新頻度になってしまっておりますが、これからもよろしくお願いします。
お祝いのコメントありがとうございましたm(_ _)m
いつも励みになります。
投稿: 茶々 | 2015年3月13日 (金) 03時28分