信長の命で行われた法華宗VS浄土宗の安土宗論
天正七年(1579年)5月27日、安土城下にて法華宗と浄土宗による宗論・・・世に言う『安土宗論(あづちしゅうろん)』が行われました。
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昇り調子の織田信長(おだのぶなが)が、琵琶湖畔の安土に城の構築をしはじめたのが天正四年(1576年)の2月(2月23日参照>>)・・・
翌・天正五年(1577年)には、完成した城のある安土山周辺の事をイロイロと決めた掟書を発行たり、家臣たちを続々と安土へ引っ越させたり(1月29日参照>>)、人が多く集まるであろう人気イベント=相撲大会を頻繁に安土で行ったり(2月29日参照>>)・・・と、
まさに安土という町が発展しつつあったド真ん中の天正七年(1579年)、関東から霊誉玉念(れいよぎょくねん)なる浄土宗の長老が上方(関西)にやって来ていて、ちょうど5月頃から、安土にて説法の会を開いたりなんぞしてました。
この説法会に、法華宗の宗徒であった建部紹智(たけべしょうち)と大脇伝介なる者が参加し、霊誉に向かって疑問を投げかけて問答勝負を仕掛けたのです。
・・・と、さすがは長老の霊誉さん・・・
「君ら、まだまだ若いから、仏法の奥深~い所はワカランかも知れんよって、法華宗のエラ~イお坊さんを連れて来ておくなはれ。
そしたら、御返答しますよって…」
と、その場を軽く交わしますが、
当然、その話を聞いた法華宗側は
「それならば、宗論(しゅうろん=教義論争)をやろう!」
という事になり、問答は正式な討論会へと発展・・・
法華宗側は、京都は頂妙寺(ちょうみょうじ=京都市左京区)の日珖(にちこう)、常光院の日諦(にってい)や妙国寺の普伝(ふでん)をはじめとするそうそうたるメンバーを揃えて、浄土宗との宗論に備えます。
そうなると
「なんや、ごっつい討論会あるらしいで!」
と、噂が噂を呼んで、京都をはじめ、近隣から多くの僧が見物に押し寄せて、だんだん騒ぎが大きくなり、やがて、それが信長の耳に・・・
そして、信長が、
「ウチの家臣にも法華宗の宗徒がようけおる事やし、僕が何とかウマイ事収めるよって、大げさな事にならんようにしてな?」
と両者に通達したところ、浄土宗側は「ほな、信長さんにお任せします」と納得したものの、すでにやテンションMAXの法華宗側は気持ちが収まらず、結局、宗論を行う事になりました。
そうなると、信長も、
「ほな、ちゃんとした審判を派遣するよって、討論の経過と勝負を、僕に報告するように」
と、京都五山のうちでも屈指の博学と評判の南禅寺の長老=景秀鉄叟(けいしゅうてつそう)をはじめとする審判者を招いて、安土の町はずれにある浄厳院(じょうごんいん)の仏殿にて宗論が行われる事になったのです。
天正七年(1579年)5月27日・・・その日、煌びやかな法衣をまとって現れた法華宗側は日諦や普伝に記録係を含めた5人・・・
一方の浄土宗側は、黒染めの質素な衣で、かの霊誉に、安土は西光寺の聖誉貞安(せいよていあん)らに記録係を加えた4人・・・
まずは霊誉長老が、
「私が言いだしっぺなんで、まずは私が発言しましょか」
と言うのをさえぎるように、貞安がウーマンラッシュアワーの村本バリの早口で、第1問をまくし立てます。
(以下、浄土宗=貞安と法華側のやり取りを…)
- 貞安:法華経八巻の中に念仏はあるんですか?
- 法華:念仏はあります。
- 貞安:念仏があるのでしたら、なぜ法華宗では念仏を唱える者は無間地獄に落ちると説くんですか?
- 法華:法華宗の阿弥陀と浄土宗の阿弥陀は同じ物か?別物か?
- 貞安:阿弥陀は、どのお経に書かれているのも同じものです。
- 法華:それなら、なぜ?浄土宗では法華宗の阿弥陀を「捨てろ」と言うんですか?
- 貞安:阿弥陀を捨てろって言うてるんやなくて、念仏を唱える時は念仏以外の事は捨てなさいって言うてますねん。
- 法華:念仏を唱える時は法華経を捨てろという経文はあるんですか?
- 貞安:法華経を捨てろという経文はあります。浄土経には人それぞれの適切な方便(ほうべん=悟りに近づく方法)で以って法を説けば、それぞれの悟りに到達する事ができるし、阿弥陀仏を一心に念じなさいとも書かれてます。
- 法華:法華宗の無量義経では、方便で以って40年余りも法を説いたけれども、未だに到達できないて言うてます。
- 貞安:40年余り法を説いても到達できへんかったら以前の経は捨ててええって言うんやったら、君は方座第四の「妙」の一字を捨てるんか?捨てへんのか?
- 法華:何て?それは40年余りの説法のどこにある妙の事ですか?
- 貞安:法華経にある「妙」やがな、君、知らんのかいな?
と、ここで法華宗側が返答に困った様子を見て貞安が、すかさず・・・
「捨てるか?捨てへんか?て尋ねたのに、返事なしかい!」
と、まくし立てた事で、会場からドッと笑いが起き、そのドサクサで聴衆の一部が法華宗の僧がまとっている袈裟を剥ぎ取ると同時に霊誉長老が扇を持って立ちあがった姿は、まるで舞いを舞うかの如く見え、そばにあった法華側の教典は破られ、僧や宗徒は四方八方へバラバラに逃げ去った・・・
と、何か、よくわからないので、とりあえずは『信長公記』の記述通りにご紹介させていただきましたが、どうやら、この宗論のくだりは専門家や研究者の間でも様々な解釈があるようで、アホな私には、何が決め手なのかサッパリ??ですが、とりあえずは、「妙」というのがキーワードとなって浄土宗が勝ったような雰囲気は解ります。
何となく、即答できないような難問を、イケイケムードで「どーやねん」と聞かれて、「ウ~ン」とちょっと答えに詰まった所をうまく利用されて、負けた感じに持って行かれた感が拭えない気がしないでもありませんが、公衆の面前で大々的に行った宗論で負けが決まってしまった以上、その処分は免れないわけで・・・
宗論の結果を聞いた信長は、早速浄厳院へと出向いて、浄土宗の僧たちに褒美を与えました。
また、騒動の発端となった大脇伝介は斬首・・・
さらに、もともと素行が悪く、今回の宗論にも金品で雇われて法華側として参加し、他人に問答をさせておいて、勝ちそうになってからしゃしゃり出ようという姑息な手段で参加していたとして妙国寺の普伝も斬首し、そのほかの法華側の僧たちには、
●負けを認め、伝介と普伝の処分を受け入れる事
●他の宗派の非難はしない事
●自分たちは、一旦職を離れて勉強し直す事
を約束した誓約書を提出させたのだとか・・・
ちなみに、発端となったもう一人の建部紹智は、堺まで逃げた所を追手に逮捕され、やはり斬首されたとの事・・・
とは言え、政治と権力と宗教が、微妙に絡み合う時代の出来事である以上、この結果に信長の思惑が絡んでいる事も考えられるし、また、「公の場でやった」という事で、ひょっとしたら、今で言うところの「メディア戦略」の意味もあった?かも知れない・・・などなど、様々な妄想をしてしまう出来事でした。
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コメント
昔読んだ本に天台教学 すべての経典は釈迦が説いたもの5段階に分けて法華経に到達した。「方座第四の妙」の意味はお釈迦様は法華経に到達する以前は真の悟りを得なかった。だそうです。なんか良く分からないど?
投稿: masiro | 2015年5月28日 (木) 17時00分
masiroさん、こんばんは~
ありがとうございます。
今回、書くにあたって、改めていくつかの解説を読みましたが、結局、よくわかりませんでした(;´д`)トホホ…
投稿: 茶々 | 2015年5月29日 (金) 01時23分
>「方座第四の妙」
ある解説を意訳すると、
(3期目の)ドラマの4人目の登場人物のこと。
言い方が、かなりずるいですよね?
第四とか言いつつ、3期目のことだったり、5期目をほのめかしていたり。
しかも、実は2期目以外すべてに登場してるとか。
悪意ありすぎでしょ、これ。
投稿: ことかね | 2015年5月29日 (金) 15時29分
>masiro様
5段階それぞれで悟りを開いたということでは。
新たな悟り=真の悟り
以前の悟り=偽の悟り
ちなみに、座禅を長く組んでいると、悟りを開いたような高揚感が得られるそうです。
これを狐狸禅(だったかな?)と言い、それを乗り越えて真の悟りに到達するのだとか。
お釈迦様だって、にんげんだもの。
投稿: ことかね | 2015年5月29日 (金) 15時32分
ことかねさん、こんにちは~
う~~ん(゚ー゚;??
とりあえず、理解するにも修行が必要な事はわかりました。
投稿: 茶々 | 2015年5月29日 (金) 16時10分
茶々さん、
仏はあるか無いかと言う議論もありまして、天台宗でも人によって違います。ただ般若心境を唱えている人を反発するのは日蓮宗系と念仏系です。両方とも極端です。日蓮宗は法華経以外は駄目、念仏は念仏だけです。まあそう言うのがこの二つを喧嘩させるのでしょう。中庸でないです。
信長はそう言うのをやめさせて、本来の宗教活動に専念させたいのではないでしょうか。
斬首されてもおかしくない事です。沢庵和尚みたいに堂々と発言する様な人を信長は好意的に思うでしょう。
この時代のお坊さんで好きなのは沢庵です。
沢庵の言う事を聞いた家光は戦国の世を終わらせたので偉いと思います。
それ以外ですと明智光秀かもしれない天海が好きです。
投稿: non | 2015年6月27日 (土) 20時12分
nonさん、こんばんは~
この時代の宗教は、政治と切っても切れない関係にありますからね~
宗論はよくわからないです(゚ー゚;
投稿: 茶々 | 2015年6月28日 (日) 02時37分