残りの人生丸儲け~小林一茶、最期の時
文政十年(1827年)11月19日、江戸時代を代表する俳諧師の一人・小林一茶が、この世を去りました。
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とにもかくにも、この小林一茶(こばやしいっさ)という方は、俳句でイメージする優雅で落ち着いた印象とはうらはらな、なかなかに波乱の人生を歩んでおられるお方でして・・・
信州・柏原宿(長野県信濃町柏原)の農家に生まれた一茶は、3歳で母親を亡くした後、8歳で迎えた継母との折り合いが悪く、15歳で江戸に奉公に出され、やがて、亡くなった父の遺産を巡って、その母と、今ハヤリの遺産争続・・・12年間もの争いに和解し、故郷に定住すべく舞い戻ったのは文化十年(1813年)の1月でした。
奉公に出されてから、実に36年の歳月・・・もちろん、それまでにも、病に倒れた父の看病やら、それこそ継母との遺産相続の話やらで、何度か故郷に帰ってはいましたが、ここに来て、やっとこさ流浪の身に終止符を打ち、終の棲家に落ち着こうと考えたのでした。
しかし、彼の体は、本人が思っていた以上に疲れていたのかも知れません。
帰郷から、わずか5カ月ほどの頃、善光寺の祇園祭に出かけた一茶は、お尻にできた腫れ物のせいで、その後、70日もの間、病床に臥せってしまいます。
しかし、そんな中でもウレシイ出来事も・・・
間もなく、一茶のもとには、24歳年下の若い奥さんが・・・初婚の一茶はハリキって子作りに励みますが、それが、どうやらハリキリ過ぎたか?
54歳の文化十三年7月には瘧(おこり=マラリアのような熱病)にかかり、一旦完治するものの、57歳の文政二年7月にも、またまた瘧に・・・
翌・文政三年10月には、出かけた先の雪道で転び、中風(ちゅうぶ=脳梗塞や脳出血、くも膜下出血などの後遺症)が起こったために駕籠にて帰宅して、そのまま布団へGO!・・・一時は、歩くどころか口まで不自由になっていたとか・・・
この時、すでに二人の間には長男が生まれていたので、赤ちゃんの世話もせねばならず、さぞかし奥さんは大変だったと思いますが、そんな中でのガンバリが効いたのか?病気は間もなく快復し、正月には
♪今年から 丸まうけ(儲け)ぞよ 娑婆遊び ♪
と吟じました。
この時に、自身の事を「蘇生坊」と称してますから、つまりは
「去年、もう死ぬわ~っと思た中で快復したんやさかい、今年からの人生は丸儲けやな」
てな感じです。
なんだか、ホッとする俳句ですね~
良かった良かった・・・
しかし・・・
そんな中、一茶との間に3男1女をもうけた、あの若い奥さんがお亡くなりに・・・翌・62歳の文政七年に貰った、これまた28歳と若い2度目の奥さんとはソリが合わず、わずか3カ月のスピード離婚。
しかも、離婚した翌月、弟子宅にて、またもや中風がぶりかえし・・・
「ふと舌廻らぬやまひおこりて…」
と告白していらっしゃる事から、どうやら言語障害になっていたようで・・・
とは言え、これも何とか快復した一茶は、文政九年、64歳にして3度目の結婚を・・・またまたお若い32歳の新妻でしたが、
なんと、今度は、その翌年の6月に村を襲った大火によって、小林一家は焼け出されてしまうのです。
一旦は弟子宅に避難するも、何とか焼け残った自宅の土蔵を修理して住めるようにして、3ヶ月後の9月には自宅へと戻りました。
ちょうどその頃、
「先生!今、メッチャ菊が見頃でっせ!」
と弟子たちが誘うので、未だ、身体は思うように動かなかったものの、比較的元気だったので、駕籠に乗りつつ、アチラコチラの菊の名所を見物・・・
自宅の土蔵に戻った11月8日には、いかにも機嫌よくしていましたが、その11日後の文政十年(1827年)11月19日(西暦では1828年1月5日)、いきなり、気分が悪くなったと訴えます。
それは、あの雪道で転んだ時に起こって以来、3度目の中風の発作でした。
そして、その日の夕方・・・一声の念仏を唱えて後、一茶は、仮住まいの土蔵の中で、64年の生涯を閉じたのでした。
この時、すでに最初の奥さんとの間に生まれた子供は、すべてを幼くして亡くしてしまっていた一茶・・・新しい奥さんのお腹の中には、待望の赤ちゃんが宿っていましたが、一茶は、その子の顔を見る事なく、逝ってしまったのです。
ただ一つの救いは、一茶が亡くなった翌年に生まれた女の子は健やかに育ち、その子孫の方が、今現在も長野県信濃町にお住まいなのだとか・・・
また、一茶57歳の文政二年に成立した『おらが春』(12月29日参照>>)が、その死から25年後に読物として刊行される事となります。
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コメント
小林一茶の生涯・・・愉快というか、滑稽というか・・めでも庶民的な・・・若い奥さんを何度ももらったりして・・離婚したり何なりで忙しいこと。(。・w・。 )
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2015年11月27日 (金) 18時10分
根保孝栄・石塚邦男さん、こんばんは~
子孫の方がいらっしゃるという事で、一安心ですね。
投稿: 茶々 | 2015年11月28日 (土) 03時56分