横浜を造った実業家・高島嘉右衛門と『高島易断』
毎年、年末近くなると、繰り返される風景があります。
クリスマス飾りやイルミネーション、年賀はがきの発売に、何となく慌ただしくなる雰囲気・・・そして、本屋さんに並ぶアレ・・・
そう、カレンダー、手帳とともに、本屋さんに並ぶのが・・・『暦(こよみ)』です。
大抵は、白い表紙で、その真ん中の四角で囲まれた中に毛筆の縦書きで『平成○○年何たらかんたら暦』とド~ンと書いてあるアレ・・・
かくいう私も、なんだかんだで買っちゃいますね~安いのだと、100円ショップなんかで、100円~200円程度で売ってたりするんで・・・つい(*´v゚*)ゞ
私の場合は、二十四節季(10月8日参照>>)やら雑節(5月2日参照>>)やらを確認したい、まさに「暦」が見たいがために購入するのですが、買った経験のある方は、皆様ご存じの通り、アレには「暦」とともに、その年の運勢=占いも掲載されています。
生まれた年によって「一白水星」から「九紫火星」までの9種類に分けて運勢を占う物ですが、それが『高島易断』と呼ばれる占い方だそうで、本の表紙には、この『高島易断○○』という文字も書いてあったりします。
て事で、本日は、年末の風物詩とも言える、そんな『高島易断』の元祖となった高島嘉右衛門(たかしまかえもん)さんについて・・・
・‥…━━━☆
天保三年(1832年)、江戸の材木商であった薬師寺嘉衛門(遠州屋嘉衛門)の第六子として生まれた高島嘉右衛門・・・幼名を清三郎と言い、兄たちが亡くなった後に家業を継ぐ事に時に、父と同じ嘉衛門を名乗り、さらに、その後に嘉右衛門と改名し、最終的に呑象(どんしょう)と号しますが、本日はややこしいので高島嘉右衛門という名前で通させていただきます。
で、上記の通り、材木商として成功していたはずの父でしたが、その死後、莫大な借金があった事がわかり、家業を継いだばかりの嘉右衛門は、その返済に奔走する毎日でしたが、そんなこんなの安政二年(1855年)10月2日、あの安政の大地震が発生(10月2日参照>>)・・・
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天災は悲しい物ではありますが、材木屋という稼業は、その復興の一翼を担う形で大儲けする物でして・・・御多分に洩れず、今回の嘉右衛門さんも、そこで大儲けして家業も息を吹き返します。
しかし、続く安政五年(1858年)に江戸襲った大嵐では、蓄えていた大量の材木を流出させてしまい、今度は自らが被災者となって、これまた大きな負債を抱えてしましました。
「これではイカン!」
と再起を図る嘉右衛門は、ここで新しい商売に目を着けます。
それは、今まさに、破竹の勢いで進展しつつあった横浜でした。
あの嘉永六年(1853年)のペリー来航(6月3日参照>>)に幕を開け、安政四年(1858年)の日米修好通商条約の締結(7月21に日参照>>)で開港する事が決まった神奈川・・・
条約締結の際、何とか、将軍のいる江戸から、少し離れた場所=神奈川での開港に漕ぎつけたものの、それでも、東海道に直結していてすでに栄えている神奈川湊の開港を避けたい幕府は、神奈川湊の対岸で、それまでな~んにも無かった横浜村を開港し、そこに外国人居留地(がいこくじんきょりゅうち)を儲け、さらに、外国人たちがなるべく遠方に出無くても良いように、その横浜で生活の何でもかんでもが揃うように、完璧な町づくりをしようと考えていたのです。
そう、そこには、新しいビジネスチャンスがワンサカ!
安政六年(1859年)、心機一転、その新しい地で、外国人相手に伊万里焼の磁器や白蝋を販売する肥前屋という店を開店し商売を始めた嘉右衛門・・・しかし、間もなく、「金の密売」の容疑で御用となり、投獄されてしまうのです。
実は、以前、小栗忠順さんのページ(4月6日参照>>)でも書かせていただいたように、かの条約を締結させる際、未だ日本人が国際法をよく知らなかった事で、かなり外国人に有利な条件での条約締結となっている中、一両小判と1ドル金貨の交換比率なんかも不平等で、外国人が日本に銀貨を持ち込んで、日本で金貨(小判)に交換して帰国しただけで、ボロ儲けできていたんです。
で、それに不満を感じた嘉右衛門が、商売の中で、幕府公認の交換レートではなく、国際ルールに乗っ取ったレートで金銀の交換をしていた事が発覚し、逮捕されたのです。
彼としては「不平等な条約に正義の鉄槌を!」と思っていたのか?
「単に、ひと儲けしたかった」だけなのか?
その心の内は彼のみぞ知るところですが、とにもかくにも、嘉右衛門はここで7年もの獄中生活を送る事になります。
しかし、この獄中にて、彼は一生モンの趣味に出会います。
牢屋の中の古い畳の下から一冊の本を見つけたのです。
それは、『易経(えききょう=周易とも)』という古代中国の思想本・哲学書のひとつで、この世の森羅万象あらゆる物の変化の法則を運命的に深く分析する内容・・・中国占いの基本テキストと言える物でした。
「何もする事がない牢で、この本と出会ったのも何かの縁…ひとつ易学でも学んでみようか」
と読書に励む嘉右衛門さん・・・
もともと、幼い頃には、抜群の記憶力で周囲を驚かせるような利発な少年だった嘉右衛門は、その本に没頭し、やがては、それを応用した独自の占いにも目覚めていきます。
ただ、刑期を終えて慶応三年(1867年)に出所した時には、やはり商売人・・・占いの事などすっかり棚の上に上げて、再び横浜で、もとの材木業を再開し、今度は、それに伴う建設業も開始します。
7年のブランクがあるとは言え、まだまだ横浜には、箱モノや施設などが不足していて、そこかしこにビジネスチャンスが転がっていたのですね。
通訳を雇って、商売の相手を外国人にまで広げた建築業が盛況となり、嘉右衛門は出獄から、わずか3~4年で、一流の横浜商人の仲間入りを果たします。
さらに、明治三年(1870年)からは新橋⇔横浜間の鉄道建設(9月12日参照>>)にも関わり、明治五年(1872年)には日本初のガス灯の点灯(9月29日参照>>)にも関わり、明治四年(1871年)には、藍謝堂(らんしゃどう)という、語学に特化した私塾も創設しています。
なので、地元では、新田開発をした吉田勘兵衛(よしだかんべえ)、初期の横浜の行政を担った苅部清兵衛(かるべせいべえ)とともに「横浜三名士」と呼ばれているのだとか・・・
と、このように、商売人&実業家として名声を馳せた嘉右衛門ですが、明治九年(1876年)に45歳で隠居してからは、一方でなんやかんやと事業に関わりながらも、再び、例の易学の研究に没頭するようになり、明治二十七年(1894年)には、その集大成とも言える著作『高島易断』を出版したのです。
もともと、横浜での商売人時代に親しくなった多くの政治家から、度々の相談を受けてはアドバイスしていた事、また、嘉右衛門自身が実業家として業績を残している事、さらに明治四十二年(1909年)に友人の伊藤博文(いとうひろぶみ)が満州に発つ際、「災難に遭うから行くな」と嘉右衛門が止めたにも関わらず出立して、かの地で命を失った事(10月26日参照>>)などなどが重なったことから、『高島易断』は評判となって、どんどん有名に・・・なので現在でも、嘉右衛門さんは「易聖」と呼ばれます。
とは言え、文中で嘉右衛門と占いとの出会いを「一生モンの趣味」と書かせていただいたように、彼自身は、「占いは売らない」=「占いで金銭の謝礼は受けない」と言っています。
また、商売に関しても、
「商売なんてのも、親から受け継ぐ物でも無いし子孫に残す物でもない…自分一代で、その時、その場所で花開く物」とも・・・
その理念からか、嘉右衛門は占いに関して、教えを請う者には広く伝授するものの、特定の弟子という者は取った事が無いのです。
晩年に使用した呑象という名前さえ、教えを受けにきていた小玉卯太郎なる人物に「使いたかったら使ってもイイヨ!」と言う感じ・・・ですから、その生涯において、占いの流派や宗教的な団体を立ち上げる事は無かったのです。
つまり、冒頭で「年末の風物詩」などと言っておきながら、まことに恐縮なのですが、厳密には、『高島易断』という名称は、 あくまで高島嘉右衛門さんが書いた本の名称、もしくは高島嘉右衛門さんがやっていた易断という事であって、
今、年末の風物詩となっている『高島易断』の「暦」の本は、先の『高島易断』を読んで占いを学んだり、そこから枝分かれした独自の占い方法で導かれた運勢判断であって、嘉右衛門さんの直系の後継では無いのですね。
とは言え、年末になれば来年の運勢が気になるもの・・・
なんだかんだで、書店にズラリとあの書籍が並ぶ風景は、やっぱり年の瀬を感じます。
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コメント
茶々さん、始めてコメントさせて頂きます。
よろしくお願いします。
以前よりチョクチョク拝見し、楽しませてもらっています。
私事ながらこの度入院を余儀なくされ、年末年始を病院で過ごす事になりました。獄中というわけではありませんが一つ、趣味を増やそうと、始めて源氏物語(角川の入門書ですが、、)完読してみようと思っています。
投稿: 尾張のネコ | 2015年12月29日 (火) 08時54分
尾張のネコさん、こんばんは~
入院ですか…それは大変ですね。
お大事になさって下さい。
でも、そんな中でマイナスをプラスに変える発想はすばらしいです。
ワンランクアップしての、元気なご退院をお祈りしております。
投稿: 茶々 | 2015年12月30日 (水) 02時30分