日本史の新発見&発掘…2016年総まとめ
いよいよ、2016年も終わりに近づきました・・・て事で、またまた一年の締めくくりに、今年報じられた様々な日本史の発見や発掘のニュースを総まとめにして振り返ってみたいと思います。
ただ、いつものように・・・
専門家で無い茶々の知り得るところのニュースでありますので、あくまで一般に公表&公開された公共性のある物である事、
また、私が関西在住という事もあっての地域性(他の場所のニュースはなかなか知り得ない)・・・さらにそこに個人的な好みも加わっておりますので、少々、内容に片寄りがあるかも知れませんが、そこのところは、「今日は何の日?徒然日記」独自の注目歴史ニュースという事で、
ご理解くださいませo(_ _)oペコ
1月 | ● | 江戸時代中期に京都で活動した画家・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の花鳥画で、長く所在不明だった「孔雀鳳凰(くじゃくほうおう)図」が、岡田美術館(神奈川県箱根町)によって発見されました…83年ぶりの発見で今後の研究に影響を与えそうだとか。 |
● | 大阪府堺市のニサンザイ古墳の発掘調査で古墳時代最大規模となる木橋が架けられていた事が判明…幅約12m、長さ45m以上に及ぶこの橋の用途については「埋葬者を運んだ」「豪族たちが葬列を成した場所」「重い資材を運ぶため」など様々な意見が噴出しています。 | |
● | 豊臣秀吉(とよとみひでよし)が重臣の脇坂安治(わきさかやすはる)に宛てた書状が新たに見つかる…脇坂ゆかりの兵庫県たつの市の龍野神社で発見された33通の秀吉の書状には、細かな指示や仕事への叱責などが記され、当時の生々しい様子がうかがえるとの事。 | |
5月 | ● | 京都国立博物館(京都市東山区)所蔵の坂本龍馬(さかもとりょうま)(11月15日参照>>)の遺品と伝わる刀が実物と判明…1931年に龍馬の子孫から博物館に寄贈されたものの、刀身の反りが小さく、作風も異なることなどから真偽のほどが微妙とされていましたが、今回新たに寄贈時に書かれた書類が発見され、京都・近江屋で龍馬が暗殺された際に携えていた愛刀「陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)」の実物だと判明しました。 |
6月 | ● | 福岡県春日市の須玖(すぐ)岡本遺跡で、墓穴の大きさが国内最大級となる甕棺(かめかん)墓が見つかりました…この遺跡は魏志倭人伝に出てくる「奴国」の中心地の王や王族の集団墓地で、今回の甕棺墓は弥生中期前半=紀元前約150年頃の物とみられ、奴国のナンバー2か3クラスの有力者の墓の可能性があるとの事。 |
7月 | ● | ![]() |
● | 沖縄県石垣島の白保竿根田原洞窟遺跡にて旧石器人の全身骨格発見…ほぼ全身の状態がわかる約2万年前の人骨は、その時代の琉球列島に人が住んでいた事を裏付ける貴重な発見となりそう。 | |
9月 | ● | 奈良県橿原市の藤原宮跡(12月6日参照>>)にて最古の「朝賀」の遺構発見…続日本紀によれば大宝元年(701年)に国の内外に律令国家の完成を宣言した「元旦朝賀(がんたんちょうが)の儀式」が行われていますが、今回の遺構は、その際に「幢幡(どうばん)」と呼ばれる旗を立てた遺構との事で画期的な発見とされます。 |
10月 | ● | 大坂冬の陣の和睦成立を報告する片桐且元(かたぎりかつもと)(8月20日参照>>)の書状を発見…東京都内の古書店で6月に見つかっていた書状が、慶長十九年(1614年)12月18日に片桐且元が西本願寺の宗主に宛てて「和睦が進んでいる」事や「視察に訪れた徳川秀忠の機嫌が良かった」事などを報告している手紙であると確認されました。 |
● | 京都市右京区の高山寺に伝わる国宝の絵巻「鳥獣人物戯画」について、絵の順番が入れ違っていた事が判明…もともと絵に連続性の無い部分があった事から「順番が違っているのでは?」と指摘されていましたが、今回、透過光調査の結果、甲巻の23枚目と11枚目のハケの跡等が一致した事から判明しました。 | |
● | 奈良市の平城宮跡(2月15日参照>>)からペルシャ人の名前が書かれた木簡が出土…奈良文化財研究所が赤外線を使って調べたところ「破斯清道」なる名前(破斯=ペルシャを意味する中国語)を発見。ペルシャ人の名前の入った木簡が確認されたのは日本初で平城京が国際都市だった事をうかがわせます。 *平城京に住んだインド僧=菩提僊那>>のお話も参照いただければウレシイです(゚ー゚) |
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● | 福井県立図書館にて大坂夏の陣に徳川方として参戦した越前松平家の家臣の手紙の写しを発見…そこには、その家臣が「自分がやりを交え、真田信繁(さなだのぶしげ=幸村)を討ち捕らえた事」が記されており、写しとは言え、討ち取った本人の証言という点で評価でき、信繁が戦いながら死んでいったとする説を補強する物との見方がされています。 | |
11月 | ● | 京都市伏見区の伏見城跡(3月7日参照>>)から石垣の一部が14.5mに渡り出土…昨年発見され、豊臣秀吉が築いた「幻の伏見城」とされる指月城の存在を証明した遺構から西へ約200mの地点で発見された城の中堀と思われる石垣は、自然石をそのまま使用しつつも、表面を加工するなど、工法の新旧入れ換わり時期の様相が見られ、それが整然と出土した事が評価されます。 |
● | 福岡県筑紫野市の丘陵上で、長さ500mに及ぶ大規模な7世紀の土塁を発見…丘陵上での土塁の確認は初めてで、古代九州を統括し国家外交の最前線だった大宰府を守る防塁とみられ、ここに広大な防衛ライン(8月27日参照>>)が引かれていた可能性大。 | |
12月 | ● | 京都市下京区の本願寺史料研究所にて忠臣蔵に関する記録発見…史料は、「忠臣蔵」で知られる「赤穂事件」(12月14日参照>>)について、西本願寺が事件後の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の容体を「お痛みが軽く」などと把握し、直接、事情聴取を行っていた事を示す記録など6点。吉良家と西本願寺との関係の重要度がうかがえます。 |
● | 大阪市天王寺区餌差町で「真田丸」の痕跡(真田丸はどこにあった?参照>>)を求めて発掘調査をしていた民間団体「『真田丸』発掘推進協議会」が人工的に土を盛った層を確認しました…NHK大河ドラマのタイトルにもなった真田丸は大坂冬の陣にて真田信繁が構築した出城(真田丸の攻防>>)で、これまであやふやだった位置を推定するとともに、土塁の一部を発見した物です。 |
こうして見てみると、この1年、様々な発見があった事がわかりますが、個人的には、やはりNHK大河ドラマのおかげで、大坂の陣関連の発見が相次いだ事ですね。
上記でもリンクしたページ=「真田丸はどこにあった?」>>)に書かせていただいております通り、私個人も、以前から、「真田丸の場所は明星高校のグランドあたりでは?」と推測していたわけですが、やはり、それを確定するためには、それなりの調査が必要・・・
そう言った場合、その年の大河ドラマ等で話題になり、注目を浴びる事によって一気に進展する場合も多々ありで、ファンとしてはワクワクしきりですo(*^▽^*)o
一方、今年は、4月に発生した熊本地震にて、熊本城や阿蘇神社をはじめとする多くの文化財が被害を受けた事で、文化財を守り&保存して行く事の重要性をあらためて痛感させられた年でもありました。
一歴史好きとしても、被災地の1日も早い復興を願うばかりです。
・‥…━━━☆
とまぁ、とりあえずは、年内最後のブログ更新という事で、本日は、2016年の歴史ニュースをまとめさせていただきました~
ブログを見に来てくださった皆様、
今年一年、本当にありがとうございました・・・
良いお年をお迎えくださいm(_ _)m
そして2017年も、よろしくお願いします
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