春日源助殿へ~武田信玄のラブレター❤
天文十五年(1546年)7月5日、武田信玄が、あの有名なラブレターを送りました。
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文春砲が鳴りやまない今日この頃ですが、いつの時代も、有名人というのは大変なものです。
古くは舎人(とねり)親王(11月14日参照>>)にしろ、近くは昭和の歌人=斉藤茂吉(もきち)(2月25日参照>>)にしろ、そして、今回の武田信玄(たけだしんげん)にしろ・・・
まさか、自分の書いたラブレターが日本中に公開されるとは!(lll゚Д゚)
まぁ、前回ご紹介させていただいた上杉謙信(うえすぎけんしん=当時は長尾景虎)の『出家願望の手紙』(6月28日参照>>)でも、ご本人は「他人に見られたら恥ずかしい」っておっしゃっていますので、その内容に関わらず、手紙という物が、宛てた人以外の人に見られるのは、だいたいにおいて恥ずかしい物ではあります。
とは言え、歴史上の有名人となると、やはり、「その手紙が残っている」というだけで価値があるわけで、ましてや、それが、包み隠さずホンネを吐露した感じの内容であるなら尚更・・・
ただし、歴史が大好きで、歴史上の人物は全員大好きな不肖茶々・・・決して、こういった類の物を、バカにしたり、貶めるつもりでご紹介するわけではありません。
以前、別のページのコメントにも書かせていただいたのですが・・・
芸能事務所がアイドルやタレントを売り出すのに使う心理学を応用したテクニックの一つに『二重構造の原理』というのがあるんですが、それは、大衆の支持を得るためには、物質的な異質性と心情的な同一性の二つを兼ね備えていないと人気が出ないという事なのだそうで、
物質的な異質性というのは、アイドルやタレントの場合は、カワイイ容姿だったり歌のうまさだったり…一方の歴史上の人物の場合は、強さだったり天才的な策略だったり、歴史に残るような偉業を成し遂げていたり…これは、一般人とは比較できないほど優れていなければなりません。
しかし、その一方で、心情的には同一=つまり一般大衆と同じように悩み苦しみ失敗する…心情的には一般大衆と同質の物を持っていないと共感を呼ぶ事ができず、大衆の支持を得られないって事なのですね。
邪魔だと思えば父も追放し(6月14日参照>>)、敵をビビらせるためには3千人の生首を並べたり(8月17日参照>>)、三方ヶ原に勝利した翌日には、あの織田信長(おだのぶなが)を挑発(12月23日参照>>)したり・・・
そんな絶対的猛者の信玄が、大好きな男の子の心を捕まえておきたくて右往左往してる様子・・・心理学をカジった事のある茶々としては、このギャップが魅力的で、むしろ、「だからこそ人気がある」のだと思っているのです。
ちなみに、たまに、このラブレターの相手が男だという事に注目してしまう場合がありますが、以前、江戸時代に流行った若衆歌舞伎(6月20日参照>>)のページに書かせていただいてるように、この時代の男同士の恋愛は、特別珍しい事ではありませんので、そこではなく、人間味あふれる信玄さんの様子に、ご注目です。
・‥…━━━☆
一、弥七郎に頻(しきり)に度々申し候へども、虫気(むしけ)のよし申し候あひだ、了簡(りょうけん)なく候。全くわが偽(いつわり)になく候。
一、弥七郎伽(とぎ)に寝させ申し候事これなく候。この前にもその儀なく候。いはんや昼夜とも弥七郎とその儀なく候。なかんずく今夜存知よらず候のこと。
一、別して知音(ちいん)申したきまゝ、色々走り廻り候へば、かへって御疑ひ迷惑に候。
この条々、いつはり候はば、当国一、ニ、三明神、富士、白山、殊(こと)に八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、諏訪上下(すわかみしも)大明神、罰を蒙(こうむ)るべきものなり。よって件(くだん)の如し。
内々宝印にて申すべく候へども、甲役人多く候あひだ、白紙にて、明日重ねてなりとも申すべく候。
七月五日
晴信❤(←花押)
春日源助との
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現代風に意訳すると・・・
・‥…━━━☆
「弥七郎には、何回か言い寄ったんは言い寄ったんやけど、腹痛やって断られて、結局は何も無かったんや~これ、ホンマ、嘘ちゃうからな」
「弥七郎に夜の相手をさせた事は無い!それは、前から無い!もちろん、夜だけやなくて昼間も無いって事やで。
まして、今夜なんて事、あるわけないやろ」
この事、知ってほしくて、色々動きまわるんやけど、かえって疑いをかけられて、ホンマ困ってんねん。
もし、この手紙に書いた事が嘘やったら、神様の罰でも何でも受けるつもりやから、ホンマ、わかってな?
ほんまやったら、正式な誓いの紙に書かなアカンところやねんけど、今夜は庚申(こうしん)待ちでみんな起きてるよって、他人の目があるさかい、明日、もっかい、ちゃんとした誓いの紙に書くからね~」
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てな感じ・・・て、
何回か言い寄っとんのかい!(*`ε´*)ノ
断られて無かったらいっとったんかい!(=゚ω゚)ノ
というツッコミはさておき、
なんだか、右往左往する様子が目に浮かぶような、見てるコチラの顔も思わずニンマリしてしまうような、リアル感満載の手紙です。
正式には『春日源助宛武田晴信誓詞』(東京大学史料編纂所蔵)と呼ばれるこの手紙・・・
この時の信玄は未だ出家前なので名前は晴信(はるのぶ)、この手紙自体には、年号がありませんが、最後の方に出て来る「甲役人多く候」が「庚申待ちをしている人が多いので…」という風に解釈できるところから、7月5日が庚申の日(庚申待ちとは=3月6日参照>>)だった天文十五年(1546年)の手紙であろうと推測されているのです。
また、宛先の「春日源助との」とは、『甲陽軍鑑』(9月9日参照>>)の原本を記録したとも言われる武田四天王の一人=春日虎綱(かすがとらつな=高坂昌信)と一般的には言われています(異説もあり)。
とは言え本当に、相手がイケメンの誉れ高い春日虎綱で、書いたのが天文十五年なのだとしたら、信玄25歳で虎綱19歳・・・映像として描くなら、もう、これ以上ないドキドキもんのボーイズラブシーンのような気が・・・
とまぁ、アホな事を言うとりますが・・・
実は、この手紙・・・まったく別の見方もできます。
冒頭に書いた、江戸時代に流行した若衆歌舞伎(再び6月20日参照>>)などは、ほぼほぼ趣味嗜好の世界ですが、そのページにも書かせていただいたように、戦国時代の男同士の関係は、単に恋愛だけではなかったわけで・・・
もちろん、おおもとには「戦場に女性を連れていけない」からの「夜のお相手」という部分もあったでしょうが、結果的に、それがあったればこそ、そこに揺るぎない主従関係が生まれた事も確かでしょう。
その関係が保たれている限り、主君から見れば「忠義を貫いてくれる部下」であり、家臣から見れば「自分を引き上げてくれる上司」だったという事です。
裏切りが当たり前の戦国の世で、主君の命令に忠実な家臣を育てる場合、パワハラ気味な強い態度で、力で以って言う事を聞かせる事もアリかも知れませんが、「この上司のためなら死んでもイイ(゚▽゚*)」というまでの信頼関係を構築する事も大事で、そのための一つの手段が「体のつながりを持つ」という事だったワケです。
今回の信玄の手紙も、主君から年下の家臣に宛てたにしては、けっこう丁寧な書き方で、だからこそ、必死のパッチで疑いを晴らそうとしているように感じてしまうわけですが、
戦国時代には、それこそ、「体の切れ目が縁の切れ目」とばかりに、その一族もろともに謀反を起こした例も少なく無い・・・なんせ、美少年の後ろには、その一族もついていて、美少年の肩には、その一族の未来ものしかかっているわけで・・・
(【あんなに愛した仲なのに…陶晴賢・大寧寺の変】参照>>)
てな事で、一見、アタフタして浮気の弁解をしているように見えるこの信玄の手紙は、実は、家臣をつなぎとめておくための、計算ずくのしたたかな手段?・・・いや、物事を穏便に済ますための、信玄独特の気配り?の現れだったのかも知れません。
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コメント
いまBSで日曜12時台で「風林火山」の再放送中です。この番組には今年の「時の人」の高橋一生さんが出ています。
投稿: えびすこ | 2017年7月 6日 (木) 10時28分
えびすこさん、こんにちは~
「風林火山」は見てました~
確か、気象予報士の駒井さんの役でしたね。
ドラマの中では、天気予報をしてた印象は、あまり無いですが…(*゚ー゚*)
投稿: 茶々 | 2017年7月 6日 (木) 17時17分