ほぼ満開!枚方~渚の院跡の桜と在原業平
枚方は、京阪電車の御殿山駅近くにある「渚の院跡」に行ってきました~
ちょうど桜が見頃でした。
「渚の院」&「桜」と言えば、やはり『伊勢物語』ですよね~
『伊勢物語』は、むかし男ありけり・・・で始まる 平安初期に成立したとされる歌物語。
この物語の主人公である「男」は、物語の中では誰とは特定されないものの、かなりの史実が含まれている事から、平安一のモテ男=在原業平(ありわらのなりひら)であろうというのが定説です。
在原業平は、第51代=平城(へいぜい)天皇の孫にあたりますが、弟の嵯峨(さが)天皇に皇位を譲った後に復権を願って事を起こしてしまった(9月11日参照>>)ため、平城天皇の皇子である高丘親王(たかおかしんのう=高岳親王)(1月23日参照>>)や阿保親王(あぼしんのう=業平の父)も失脚・・・当然、その息子である業平もエリートコースから除外される事になります。
しかし、その後、嵯峨天皇の孫にあたる文徳(もんとく)天皇が第55代天皇として即位した事から、その第1皇子であった惟喬親王(これたかしんのう)に仕えていた業平にも復活のチャンスが訪れたかに見えたものの、時の権力者である藤原(ふじわら)氏の藤原明子(あきらけいこ)が生んだ惟仁(これひと)親王が、わずか生後8ヶ月にて皇太子に据えられ、後に、わずか9歳で第56代清和(せいわ)天皇として即位(12月4日参照>>)してしまう・・・つまり、惟喬親王も失脚してしまったわけです。
そんな惟喬親王の別荘だったのが「渚の院」です。
現在の京阪電車の御殿山駅から枚方市駅あたりは、この平安時代には「禁野(きんや)」と呼ばれる一般人立ち入り禁止の皇室専用の狩り場で、若き日の業平も惟喬親王のお供をして、度々狩りに訪れた場所でしたが、皇位継承の争いに敗れた惟喬親王は、失意のまま隠遁生活に入り、この渚の院に来ては、狩りをするでもなく、お酒を飲みながら和歌など詠む日々を過ごしていたのだとか・・・
そんな頃の一場面を語るのが『伊勢物語』の第八十二段=『渚の院』です。
「むかし、惟喬の親王と申す親王おはしましけり…(中略)…いま狩する交野の渚の家、その院の桜ことにおもしろし」
渚の院にやって来た惟喬親王は、「ここの桜は事に美しい」と、一行はその桜の下で集い、歌を詠む事に・・・
そばにいた右馬頭(うまのかみ=朝廷の馬係・官職)が
♪世の中に たえてさくらの なかりせば
春の心は のどけからまし♪
「この世に、桜という物が無かったら、春でも心静かにしておれるのに…」
(桜があるから、もう咲いたか?散ったか?と心がソワソワするんや)
と詠むと、
そばにいたもう一人が
♪散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき♪
「散るからこそ桜は良いんです。いつまでもある物や無いからこそ…」
と詠んだ。。。と、
『伊勢物語』では、この『渚の院』の場面で歌を詠んだ人を「右馬頭」と呼び、「その名前は忘れた」と、あえて名を明かしませんが、前後の関係から見て、当然、この右馬頭は在原業平の事です。
なぜ、わざわざ名を明かさないのか??
もちろん、作者の真意は藪の中ですが、私としては、この時のこの歌に詠まれている「桜」が単に、そこに咲く「桜」を意味しているのでは無いからではないか?と推測しています。
以前、業平さんのご命日の日に書かせていただいたページ(5月28日参照>>)で、清和天皇のもとに嫁ぐ予定の藤原高子(こうし・たかいこ)を略奪したり、藤の花を愛でる酒宴の席で「藤の花にちなんで、藤原家の繁栄を歌に詠んでくれ」と言われたのに「思った事はそのまま口にしないほうがいい」という意味深な歌を詠んだり・・・と、「藤原氏によってはじかれたであろう業平の、ささやかな抵抗が垣間見える」とさせていただきましたが、
その感じでいくと、この歌も・・・
「それが無ければ静かにしていられる物」は、桜ではなく「後継者争い」では無かったか?と・・・
だからこそ、詠んだ人物を特定しなかったのかな?…と思うのです。
惟喬親王の別荘だった渚の院の場所には、その後、観音寺というお寺が建立されますが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、現在は、その梵鐘だけが残ります。
訪れる人も少ないこの場所に、今年もひっそりと咲く桜・・・
遠い昔に思いを馳せつつも、何やら時が止まったようにも見えました。
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(背景は地理院地図>>)
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