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2020年2月 4日 (火)

大河ドラマ『麒麟がくる』第3回「美濃の国」を見て

 

背景の田んぼの畔と光秀の着物の色の同化っぷりが気になって仕方がない今日この頃ww
いや、もう色彩の事は言いますまい・・・

大河ドラマ『麒麟がくる』第3回「美濃の国」を拝見させていただきました~

加納口の戦いで負傷した家臣に代って、その人の田んぼを耕す長谷川光秀・・・

一方で、主筋の尾美頼芸「操り人形には毒は盛りません」と言い放つ本木道三・・・

巷では、本木さん演じる道三と伊藤さん演じるその息子=義龍のあまりの存在感っぷりに、「主人公の存在感が無い」との声が出ているようですが、個人的には「今はそれで良い」と思うのです。

現段階の光秀は、未だ海の物とも山の物ともわからない、ただの若者・・・
(それにしては鉄砲の腕前とか孫子の兵法の理解ぶりとかがスゴイですが、そこは主役の特権)

前半生が謎なぶん、ある程度の年齢になった設定で始まった今年の大河ですが、いつもの大河なら、まだ子役ちゃんが演じている序盤の段階なのですから、ここで、主人公が存在感を出す必要はなく、ノホホンと田んぼを耕したり、準備不足で少々緊張気味の川口帰蝶姫のお相手をしているくらいが、ちょうど良いと思います。

望月東庵や農民菊丸さんなど、架空の人物が頻繁に登場して主人公に絡む間は、あくまで創作中心になるのですから、そこに史実や実在の人物を絡め過ぎると、逆におかしな事になってしまいそうですものね。

斎藤親子の確執や実子じゃないかも疑惑などの斎藤家内のシーンは重厚に、光秀のシーンは軽めに・・・で正解だと、私は感じています。

で、今週の第3回は、天文十六年(1547年)の加納口の戦い(9月22日参照>>)が終わった所から始まり、翌・天文十七年(1548年)の第2次小豆坂の戦い(3月19日参照>>)までが描かれていたわけですが・・・

「長い人生…たった半年描くのに1回分=45分の放送時間を使って大丈夫かい?」という疑問は置いといて、ここまで見ていて、ちょいとややこしい部分があったので、自分自身がドラマを理解するためにも少々、簡単&簡潔におさらいを・・・(注:あくまでざっくり…です)

そもそも、名門で美濃(岐阜県南部)守護(しゅご)であった土岐(とき)氏は、先代の時に兄の土岐頼武(ときよりたけ)と弟の土岐頼芸(よりのり )の間で後継者争いが勃発したのですが、その時に守護代であった斎藤利良(さいとうとしなが)は兄の頼武を推し、代官長井長弘(ながいながひろ)とその家臣の長井新左衛門尉(しんざえもんのじょう=本名:松波庄五郎)は弟の頼芸を推し、両者は勝ったり負けたりの複数回の合戦の末、弟=頼芸が勝利し、天文五年(1536年)に頼芸が正式に守護に任命されます。

その間に長井長弘が亡くなって(暗殺説あり)息子の長井景弘(かげひろ)に、家臣の長井新左衛門尉も病死してコチラも息子の長井規秀(のりひで)に、それぞれ世代交代。。。。

一方の負けた頼武も浮いたり沈んだりしつつ、政情不安&対立構造を残したまま亡くなり、こちらも、ここらあたりで息子の土岐頼純(よりずみ)に世代交代。。。さらに、同じくこのあたりで長井景弘がこっそり退室フェードアウト(←いつの間にか史料に出て来なくなる)

やがて天文七年(1538年)に守護代の斎藤利良が病死すると、長井規秀がその名跡を奪って斎藤利政(としまさ=道三)と名乗ります。

その間にも利政=道三からの和議したりしなかったりの調略を受けた頼純は、母の実家である朝倉(あさくら)を頼って越前(えちぜん=福井県東部)へ亡命・・・その後、その朝倉氏の朝倉孝景(あさくらたかかげ)尾張(おわり=愛知県西部)織田信秀(おだのぶひで)支援を得た頼純が美濃へと進出・・・これが天文十三年(1544年の)井ノ口の戦いです(9月23日参照>>)

この時は、斎藤道三に痛い敗北を喰らった朝倉&織田でしたが、その2年後の天文十五年(1546年)に、朝倉&織田だけでなく頼芸の味方である近江(おうみ=滋賀県)六角(ろっかく)までもが仲介役を買って出た事で、頼純と頼芸&道三の間で和議が成りました。

ただ、この時の和睦の条件が、頼芸の引退と頼純の守護就任であったため、今度は頼純が守護になり、同時に道三との娘=帰蝶(きちょう=濃姫)と結婚します(←大河の第1回はココらへんから)

しかし、翌天文十六年(1547年)9月には、織田信秀が美濃に侵攻して、あの加納口の戦い・・・ここでも、道三が信秀に勝ったわけですが、それから2ヶ月後の11月、守護就任から、わずか1年で頼純が24歳の若さで急死するのですね(←第2回がココ:ドラマでは伊右衛門の毒茶接待

で、第3回で尾美頼芸さんが、おっしゃてた通り、その後の土岐氏は完全にお飾りとなるわけです。

‥…━━━☆

・・・にしても、
「もう出るやろ」「もう出るやろ」と思わせておいて「まだ出ない」織田信長(おだのぶなが)は、主人公が尾張に潜入する来週は、いよいよ出るのか?出ないのか?

その5年後の正徳寺道三と信長の会見(4月20日参照>>)は、やるのか?やらないのか?

とにもかくにもまだまだ先は長い・・・次回も楽しみですね。
 .

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コメント

実は私もモヤモヤしていました。

茶々さん、こんばんは。
お陰様で何故ややこしぃのか整理出来ました。
加納口の戦いと井ノ口の戦いって、実は同じ戦で、天文13年(1544年)説と天文16年(1547年)説とがあったんですね。
どうりで戦の内容が似ていると思いました。(でも、実際に戦は2回あったが、その内容が1回分しか伝わらなかった。とも考えられますよね?)
で、それも踏まえて疑問に思う事があります。
当時、道三の方が信秀よりも強かった印象があるのですが、それぞれの子供達の結婚では、道三側から信秀側へ嫁(人質)を出しています。
これって、逆じゃね? (^_^;) と思うんですが、これは人質と言うより娘を賜わるって感じなんですかね?

それと、これは川口帰蝶さんの解釈なのか監督さんの指示なのか、はたまた私の思い込みなのか分かりませんが、光秀と帰蝶との間にいとこ(幼馴染み?)だからか、強い絆を感じてしまいます。

... 濃姫、本能寺にいるんだろうなぁ...

と、今から年の瀬の心配をしてしまいますが、もしかして、帰蝶役って意外と大役だったのかも、、、(余計なお世話)
さて、次回はほぼオリジナルなお話になるようで、主要人物の性格説明やプロット補強って感じでしょうか。何処かにフラグが立っているかもしれないので、それも楽しみにしたいと思います。

投稿: とーぱぱ | 2020年2月 6日 (木) 01時30分

とーぱぱさん、こんばんは~

「加納口の戦い」を「井ノ口の戦い」と呼んだり、はたまた「稲葉山城攻防」と呼ばれたりして、ちょいとややこしいのです。

>加納口の戦いと井ノ口の戦いって、実は同じ戦で、天文13年(1544年)説と天文16年(1547年)説とがあったんですね。

おっしゃる通り、両者は同じ戦いで、あった年が天文13年(1544年)と天文16年(1547年)のどちらか…という解釈もあります。

ただ、ドラマの場合は、
朝倉がスルーされていた事、
頼純が守護の地位についていて、すでに帰蝶と結婚している事、
「天文16年の加納口」とナレーションが入った事、
などを踏まえて、本文にかかせていただいたような流れなのではないか?と思う所をまとめさせていただきました。

実のところは、織田方が稲葉山城下に攻め込んだけど敗戦したという部分はほぼ一致しているものの、あった年も、頼芸&頼純の立ち位置なんかも諸説あるのが現状です。

ところで、政略結婚が「人質を差し出す」事かどうかは、私的には、その時々で意味合いが違うような気がしています。

実際に決裂すれば殺される場合もありますので、人質という意味を持っている場合もあるのかもしれませんが、和睦が決裂しても、そのまま婚家に留まる場合もありますし、普通に返される場合もありますので、時と場合によって、外交官的な役割もあるような気がしています。

なんせ「人質=決裂したら殺す」てな事だと、その両者の和議は2度と結べない事になります。
戦国時代って、意外とくっついたり離れたり、敵対してもまた和睦する…なんて事は結構あるので、同盟の証であるとは思いますが、すべてが「嫁=人質に出す」なのか?と言えば、そうではないような気がしてます。

濃姫と光秀が強い絆で結ばれていたり、あるいは恋愛関係にある場合なんかも、ドラマの場合はよくありますね~
実際には、光秀の父母の事は謎ですし、世に出て来る時は浪人者…その出自はわからないわけですが、濃姫との関係を親密にした方が、話が盛り上がるという事なのでしょうね。

楽しみですね。

投稿: 茶々 | 2020年2月 6日 (木) 03時21分

茶々さん、ご丁寧な返信有難う御座います。
成る程、戦国時代の政略結婚と言えど、主従関係以外にも「これからは親戚付き合いで宜しく…」って協力関係構築の為のもありますよね。勉強になりました。
これからもブログ、続けて下さい。
楽しみにしています。

投稿: とーぱぱ | 2020年2月 6日 (木) 13時27分

とーぱぱさん、こんにちは~

いえいえ、私も、よくわかってないのです。

浅井長政は六角氏との縁談を断って信長の妹=お市の方と結婚しますが、お市の方は小谷落城とともに織田に戻ります。
次の勝家とは、ともに死にます。

家康は、今川と決別した時に築山殿と息子をわざわざ取り戻しに行きます(築山殿は後に殺されますが、これは今川とは別件ですよね?)
武田勝頼に嫁いだ北条夫人も、北条には戻らず最後まで勝頼と行動をともにします。

しかし、一方で、家康のお母さんは水野が織田に降った途端に実家へ戻され、信玄娘の黄梅院殿と義元娘の嶺松院も三国同盟が崩れて実家に戻されています。
でも同じ三国同盟でも早川殿は今川氏真とともにいます。

これは、同盟を結んだ人と破棄した人が同一人物なのか?
同盟を結んだのが父ちゃんで、破棄したのが息子の場合はどうなのか?
とか、色々あるんだと思いますが、
とにかく、奥さんの動向もいろんな形があるので、政略結婚で嫁ぐ場合も、色々と違う役割があるのかな?と思っているのです。

投稿: 茶々 | 2020年2月 6日 (木) 14時34分

茶々さん、コメントするのは初めましてだと思いますが、以前から愛読させていただいたりトラックバックさせていただいたりでお世話になっています。

鷲谷と申します。

茶々さんのブログはとても詳しくて、自分のブログの参考にさせていただいています。

今回はとりあえずご挨拶ということで、またコメントさせていただければと思いますのでよろしくお願いします!

投稿: Sosuke Washiya | 2020年2月27日 (木) 19時33分

Sosuke Washiyaさん、コメントありがとうございます。

またお越しくださいませm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2020年2月28日 (金) 02時27分

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