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2020年3月 2日 (月)

大河ドラマ『麒麟がくる』第7回「帰蝶の願い」の感想~戦国の水運とお牧さんの立て膝

 

今回・・・最後の最後にようやく信長が、出た~~!と思いきや、
もう信長に出会っちゃうの?ここで出会っちゃうんですね。。。
な、大河ドラマ『麒麟がくる』第7回「帰蝶の願い」の感想です。

それにしても・・・
こんなに早く光秀と信長が出会っちゃって大丈夫?
・・・て事は、今度、足利義昭上洛の件で出会う時は、
「ヨッ!久しぶり」
ってな感じになるのか?
それとも、今回の大河では、
この先の光秀が、信長はじめ、歴史上の重要人物に会いまくり&絡みまくりの重要人物として人生を歩むものの、後世の1級史料には、まったく登場しない←なんなら、そこが「謎」の人物として描かれるのかしらん?

ま、前回の感想でも書かせていただいたように、個人的には、未だ史料に登場しない人物が、逆に史実に登場する人物や、歴史上の出来事に絡んだり首を突っ込んだりする事は、あまり好みではないのですが、それこそ、歴史は1級史料だけがすべてでは無いわけで・・・

なんなら、後世の誰か(秀吉とか?)が、「故意的に光秀の存在を抹消した」くて「1級史料に残ってない」てな可能性が無きにしも非ずなわけですから、物語が面白くなるのなら、ヨシとしましょう。

にしても、(主人公だから仕方ないのだけど…)誰も彼もが、光秀に相談しまくりの頼りまくり・・・

道三曰く
「美濃には海がない」
からの
「海は交易にて富をもたらす」
からの
「国を豊かにするには海を手に入れる事」
からの
「国が豊かになれば国が一つになる」
からの
「そのための和議」
と、心に響く言葉を光秀に伝えていたけど・・・

それ、美濃の宿老らと「和議反対!」の宴会で盛り上がってる息子=義龍にも言いなはれ!
息子にも、その熱い思いを言っているにも関わらず、息子はあんな態度なんかいんな?

ただ、帰蝶ちゃんが、光秀に
「信長がどんな男か確かめて来てほしい」
っていうのは、好き!

光秀に好意を寄せている事を匂わせながらも、よくある「好きでもない人と結婚なんてできない」的な現代感覚の言い分を押し付けるのではなく、「自らの気持ちを押さえて(我慢して)でも嫁ぐに値する人物なのか?を知りたい」そして「それを光秀に託す」という方向へ持っていくのは、ウマイな~っと、つくづく・・・秀逸な脚本だったと思います。
(なら、この時点で光秀が信長に会っても、仕方ないのか~~~)

 

そんなこんなで、今回のドラマの中で、(良い意味で)気になった事が二つ・・・

一つは、今回重用されていた水運&海運のお話・・・

以前、信長父ちゃんのご命日のページ(3月3日参照>>)で書かせていただいたように、信長の織田家(尾張には一族が複数いるので)は、信長爺ちゃんの時代から周辺の港(湊)を掌握していて、その交易により経済が潤い、社寺や朝廷への寄付をものともしないお金持ちだったわけで、だからこそブイブイ言わす事ができていたわけです。

この船での輸送&交易は、それこそ、ごくごく最近まで最も有効な手段だったわけで・・・なんせ、陸上で物品を輸送できる数は知れてますが、船なら、一気に多くの品を運ぶことが可能ですからね。

明治維新の後、明治五年(1872年)に新橋⇔横浜間を初めて蒸気機関車が走った(9月12日参照>>)のは有名な話ですが、その次に開通したのが神戸⇔大阪⇔京都間、そして、その次=3番目は、何と、長浜(滋賀県⇔敦賀(福井県)なんですよ。

これこそ、水運がいかに重要であったかの証・・・太平洋側どうし&日本海側どうしはすでに江戸(1月19日参照>>)・・・いや、もっと前から船での流通経路が確保されていて、短時間で多くの物が行き交う事が可能でしたが、太平洋側と日本海側を結ぶのに、最も有効だったのが、途中の琵琶湖を大津から長浜まで利用して半水運で流通させる事・・・これは、平清盛も、そして織田信長もが夢見て(7月3日参照>>)、明治の世で完成形(9月5日参照>>)となる夢の流通の手段だったわけですね。

ちょっと話がそれましたが、これまで、ここまでハッキリと「水運儲かる」→「織田家金持ち」→「海欲しい」の流れを明確にドラマで表現してくださったのを、あまり見た事が無かったので、かなりテンションあがりました。

 

そして、もう一つ気になったのがお牧さんの立て膝・・・

皆さまもご存知の事ではあると思いますが、現在で言うところの「正座」が一般的になるのは江戸時代に入ってから・・・

一説には、「江戸幕府が、自身の権力を誇示するために、下の者たちに下座で正座をさせて、上下関係を痛感させるようにした」とも言われていて、現在のような正座をするようになったのは江戸幕府の初期ではあるものの、幕府の権力が絶対的になってからの事で、それまでは胡坐(あぐら)の事を正座としていたとされています。

それは女性も同じで、江戸時代になるまでは、女性も胡坐か立て膝で座るのが通常でした。

ただ、ドラマ等では、戦国男性の場合は胡坐で座る場面も多々ありますが、女性はあまり無かった・・・

それは、頭ではわかっていても、実際に見ると行儀が悪いように見えちゃうって事で、「わかってるけど」あえて「女性は正座」をしていたわけですが、今回の石川お牧さん・・・立て膝をしても下品に感じない事がスバラシイ

膝の立て方、座り方、そして石川さんの演技が見事にマッチしてるんでしょうねぇ~~~
いやぁ、良いです。。。どんどん膝を立てまくってください!
何なら、磔の寸前まで・・・

 

てな事で、今回も、番組の感想とともに、思いついた事を書かせていただきました。

来週も楽しみにしています。
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コメント

茶々さん、こんにちは。
大河ドラマ、面白いですね。今回は飽きずに見ています。有名な人が主人公だからでしょうか。

投稿: いんちき | 2020年3月 3日 (火) 13時29分

いんちきさん、こんにちは~

今年の大河は有名な人がいっぱい出て来ますね~
楽しみです。

投稿: 茶々 | 2020年3月 3日 (火) 17時18分

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