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2020年11月30日 (月)

大河ドラマ『麒麟がくる』第34回「焼討ちの代償」の感想

なんや知らんけど、比叡山から逃れて来たケガ人を、おそらく自分より目上であろう武士たちに向かって、偉そうにテキパキを指示する駒ちゃんを、横からジィ~と見つめとるな~と思っていたら、

とうとう順慶まで駒様にホレたか?と思った大河ドラマ『麒麟がくる』第34回「焼討ちの代償」の感想です。

吉田久秀駿河順慶の仲を取り持とうと、長谷川光秀が順慶を茶会に誘うと
「駒様も行かれるなら…(参加します)
…、ていう
「お前もか!」感が拭えない返答。。。

しかも「大仏を焼いた」のを、さも久秀一人がやった事のように他人事感覚で話す順慶さん・・・いやいや、あの時、アンタはんも大仏殿の回廊に陣取ってましたやん(【東大寺大仏殿の戦い】参照>>)

てか、そもそも、今の時点で、誰かが口きいたとして、松永VS筒井の戦いを回避できるって事あるんでしょうか?

目の前のただ一つの戦いを止めさせる事くらいならできる(堅田の戦いが正親町天皇の綸旨で和睦したように→堅田の戦い参照>>かも知れませんが、長期的には絶対ムリでしょ。

先週も書きましたが、当時の筒井順慶は、松永派の十市家臣によって松永久秀に開け渡されるはずだった十市城を、武力で以って勝手に占領して、再三の久秀の開城要求を無視して籠城してますよね?

順慶が十市城を占領したのが永禄十二年(1569年)12月で、翌年(1570年)の7月には順慶自ら軍を率いて十市城に入ってヤル気満々だったはず・・・久秀息子がコレを奪回するのが天正四年(1576年)3月ですから、比叡山の焼き討ちがあった元亀二年(1571年)9月は、未だ占領の真っ最中ですよね?(【十市の内紛】参照>>)

しかも焼き討ち1ヶ月前の辰市城(8月4日参照>>)では「大和で、これほど討ち取られたのは、はじめてだ」(『多門院日記』)ってくらいの激しいドンパチやってるんですから、今更そんな両者の間に入って「戦いを止めるの止めないの」の問題では無い気がするのですが。。。

ま、実際には、この時点での久秀は、すでに武田信玄と連絡とってると思えるので、戦争回避はできそうに無いであろうと推察しますが…。

とは言え、あの階段での
「座れ」
「座れ」
「座れ」
「座っております!」
は、オモシロかったです。

階段に座ってコソコソしながらのセリフのやり取りも良かったです。

ただ、、、
「信長さんからいただいた領地を勝手に久秀に譲る」約束をするのは、ちょっとやり過ぎなのでは?

そもそも、なんで幕臣の光秀に、信長が領地を与えるのかもワカラン。

比叡山の焼き討ちには安藤勝家金子信盛佐々木蔵之介秀吉もいたのに???

信長が「1番の功労者だ」と言ってたけど、それはイケイケで焼き討ちを指揮した史実での光秀(だからこそ焼き討ち後に比叡山の麓を領地にもらってる)であって、ドラマ上の光秀は、焼き討ちを快く思ってない設定でしたよね?

それでも、百歩譲って1番の功労者だったとして、
千歩譲って家臣でもない光秀に、信長が勝ち取った領地を与えたのだとして、、、

あと1万歩譲っても、それを勝手に譲ろうとするのはアカンです。

なぜなら、戦国武将という者は、「そのため」に戦ってるんですから・・・

天下泰平となった江戸時代なら、内政で腕を奮う官僚的な武士も多かろうと思いますが、世は戦国・・・勝ち取った土地を支配する権利をもらえるから命を懸けてるんです。

間宮左馬助徳重伝吾が、あんなにアナタを敬ってくれるのはなぜ?
奥さんは何のために、アナタにあんなに尽くしてくれるの?

鎌倉時代から続く「御恩と奉公」「一所懸命」の武士の志を無視する流れは、ドラマと言えど、あってはならなかったと思います。。。非情に残念です。

また、焼き討ちの状況を夢に見てうなされる・・・みたいな表現も。。。

先も言いましたように、戦国武将は戦うのが仕事みたいな物ですから、いちいちうなされてどうする?

てか、これまで戦った事、無かったんかいな?

金ヶ崎で殿(しんがり)務めたんですよね?
殿は、撤退戦の中でも、殺らなければ殺られる最も危険は役どころ・・・そこをくぐりぬけて、戻って来たんですよね?
…って事は、その時、いっぱい斬ってますよね?

金ヶ崎の時に斬った相手はどうでも良くて、比叡山なら後悔する?

ま、斬ったのが女子供だから…って事なんでしょうけど、先週、信長さんが「関係の無い者は山を下りろと散々言った」と言ってたし、今回も、(未だ比叡山にいるのは)女子供であっても刃を向けて来る者」と言ってましたが、戦国の世は、それが正解です。

駒ちゃんは
「戦いに良い戦いも悪い戦いもない」
と言ってたけど、
そもそも現政権がちゃんとしていて、平和なら、わざわざ戦う人はいないわけで、それがちゃんとしてないから戦国なのでは?

ドラマである以上、どうしても平和路線に持って行かなきゃいけないんだろうけど、やっぱ、その路線で戦国を描くのは難しい気がします。

何とか「麒麟がくるまでの苦渋の選択」てな描き方にできないのかなぁ?
やっぱ、難しいのかな?・・・残念やけど。

残念と言えば、
筒井と松永の一触即発代理戦争に、幕府が筒井の後押しして松永の後ろにいる信長を潰そうとしている事を、駒ちゃんから聞くまで光秀が知らなかった事も残念無念。。。

長谷川光秀は幕臣ですよね?
なんで、駒ちゃんから聞くまで知らないんだろ?

いや、ひょっとしたら、ドラマの中では、いつの間にか織田の家臣になっちゃってる設定なのかも知れない。。。

なんせ、公式サイトの来週の予告には
「幕府内では、信長の力を削ぐべくその重臣である光秀の暗殺計画が持ち上がる」
って書いてある。

「その重臣」「その」って…文章的には信長ですよね?

とは言え、この疑問の回答は、きっと来週描かれるはず・・・楽しみですね。

それにしても、比叡山の焼き討ちは信長の命令で、光秀は、それに従っただけだし、従った家臣も山のようにいるのに、なぜに、光秀一家だけが庶民から石投げられるほど嫌われてるのかワカラン。。
(そもそも墜落してる当時の僧がクソという設定やし)

しかも、ネットで晒されでもしたんか?と思うくらい娘の顔もバレてるなんて!!
令和の今でさえ、よほどの人気者でない限りタレントやYouTuberが街歩いても顔ささんと思うけど、戦国の情報網はスゴイ。

とまぁ、
今回、かなり多くのツッコミどころがありましたが、
おそらく、コロナのおかげで、スタッフ様も大変な事になってると思われますので、多少のツッコミどころは致し方ないところであります。

来週も楽しみにしております。

追記:正親町玉三郎様の、上から目線の
「褒めてやった」
は良かったです。

穏やかでありながら、したたかで、信長の正確見抜いて操る気満々で、
この先が楽しみです。
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2020年11月26日 (木)

松永久秀に城を奪われた筒井順慶の報復~大和高田城の戦い

 

永禄八年(1565年)11月26日、松永久秀に筒井城を奪われた筒井順慶が、布施氏の合力を得て大和高田城を攻撃しました。

・・・・・・・・・

もともと、興福寺(こうふくじ)春日大社(かすがたいしゃ)の勢力が強かった大和(やまと=奈良県)の地・・・武士政権として全国に守護(しゅご=県知事みたいな)地頭(じとう=荘園等の管理者)を設置した鎌倉幕府でも、大和での守護的役割を果たしていたのは武士ではなく興福寺だったのです。

しかし、その後、寺社の荘園の管理などを任されていた在地の者たちが、興福寺に属する『衆徒』、春日大社に属する『国民』などとして力を持ちはじめ、やがて、大和の国衆(くにしゅう=地元に根付く武士)となって行き、南北朝の動乱や応仁の乱を経て、大和も群雄割拠する戦国時代へと突入していきました。

Tutuizyunkei600a そんな中で、『衆徒』からのし上がって筒井城(つついじょう=奈良県大和郡山市筒井町)を本拠としてする筒井(つつい)が、筒井順興(つついじゅんこう)順昭(じゅんしょう)父子の時代に、『国民』の代表格である越智(おち)を抑え、大和での最大勢力となるものの、その順昭が亡くなり、わずか2歳の息子=筒井順慶(じゅんけい)が叔父=筒井順政(じゅんせい)の後見のもと後を継いだ頃、

永禄元年(1558年)の白川口(北白川付近)の戦い(6月9日参照>>)の後に、第13代室町幕府将軍=足利義輝(あしかがよしてる)と和睦して、事実上の天下人となっていた三好長慶(みよしながよし・ちょうけい)配下の松永久秀(まつながひさひで)が、その翌年から大和平定に乗り出して来たわけです(11月24日参照>>)

★ここまでの奈良の戦国に関しては
  ●筒井順賢VS古市澄胤~井戸城・古市城の戦い
  ●天文法華の乱~飯盛城の戦いと大和一向一揆
  ●奈良統一を目指す~筒井順昭の柳生城攻防戦
  ●奈良の戦国~越智党と貝吹山城攻防戦
  ●松永久秀の奈良攻略~第2次井戸城の戦い
  ●キリシタン大名:高山友照と沢城の攻防

ここから始まった松永久秀VS筒井順慶による奈良争奪戦・・・

大和平定を開始した永禄二年(1559年)には信貴山城(しぎさんじょう=奈良県生駒郡平群町)を改修し、永禄七年(1564年)には多聞山城(たもんやまじょう=奈良県奈良市法蓮町)を築城して、そこを拠点とする松永久秀は、やがて勢いを失い始めた主家の三好に反比例するように、久秀が三好をしのぐ勢いを持ち始めます。

一方、これまでの経緯により、多くの国衆が筒井の配下となっていた大和ですが、相手が天下人=三好をしのぐ勢いの松永久秀となると、当然、その身の振り方も変わって来るわけで・・・筒井に友好的だった者も、しだいに松永になびくようになって行きます。

そんな中の一人が高田城(たかだじょう=奈良県大和高田市)を本拠とする高田(たかだ)・・・これまで、約100年に渡って、筒井の与力を務めていたものの、ここに来て反旗をひるがえしたのです。

そんなこんなの永禄八年(1565年)11月18日、松永久秀が順慶の筒井城を攻撃します。

実は、この時すでに、三好長慶亡きの後に三好を継いだ長慶の甥=三好義継(よしつぐ)と彼をサポートする三好三人衆(みよしさんにんしゅう=三好長逸三好政康石成友通とは距離を置いていた松永久秀に対し、逆に、敵の敵は味方とばかりに筒井順慶は三好三人衆と同盟を結んでいました。

それに気づいた松永久秀が、この2日前の11月16日に飯盛山城(いいもりやまじょう=大阪府大東市・四條畷市)を三好三人衆に攻撃された事を受けて、
「未だ同盟の足並みそろわぬうちに…」
と、筒井城を急襲したのでした。

その電光石火の攻撃に、三好の援軍が望めないと判断した順慶は、やむなく筒井城を捨てて、味方である布施(ふせ)の居城=布施城(ふせじょう=奈良県葛城市寺口字布施)へと慌ただしく落ちていったのです(【筒井城攻防】参照>>)

しかし、当然の事ながら、今回の事は、兵力を温存せんがための早目の撤退であって、順慶が「負け」を認めたわけではないですから、ここで布施氏の合力を得た順慶は、すかさずリベンジに出るわけで・・・

もちろん、ここで危険を犯して順慶を受け入れた布施氏とて、その目標は久秀打倒!

そのターゲットは、ここに来て離反した高田城を守る高田当次郎(たかだとうじろう)・・・

かくして永禄八年(1565年)11月26日高田に攻め寄せた筒井&布施連合軍は、城下を焼き払います。

これに報復する高田方は、人質として預かっていた布施氏の面々を串刺しの刑にして対抗・・・その後、高田城に激しく攻めかかる筒井・布施勢でしたが、高田方の守りは固く、合戦は続くものの、なかなか落とせない。

そこで筒井方は高田城の周りに13の付城(つけじろ=攻撃の拠点とする城)を構築し、さらに、二重の堀を巡らして、そこには二間~三間(4~5m)おきに綱を張り巡らして鳴子(なるこ=人が引っかかると音が鳴る装置)を設置し、ネズミ一匹逃がさぬように慎重に、かつ、厳しく攻め立てます。

しかし、結局、最後まで高田城は落城せず・・・

この戦いが終わるのは、なんと永禄十一年(1568年)の10月の事。

そう、室町幕府の第15代将軍となるべき足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて上洛した、あの織田信長(おだのぶなが)の登場です。

この永禄十一年(1568年)の9月に上洛して三好三人衆らを蹴散らして、三好の本拠地だった芥川山城(あくたがわやまじょう・芥川城とも=大阪府高槻市)に入った信長(9月7日参照>>)のもとに、いちはやく参じて、その傘下を表明し、「大和は切り取り次第(奪い取った地は自由に治めて良い)のお墨付きを得た松永久秀が、

その「将軍&信長」という後ろ盾を得て、高田城への囲みを解くよう介入して来たのです。

ご存知のように、
これ以降の三好三人衆は信長との抗戦にまい進する状態になるわ、信長の登場によって大和の国衆たちが織田になびくわで、3年かかっても高田城を落とせなかった筒井順慶は、ますます孤立無援の状態となってしまうのですが、、、

それはそこ、乱世の梟雄(らんせのきょうゆう)と称される松永久秀が、このまま信長の傘下として、のほほんとおとなしくしているわけはなく・・・久秀が信長に反旗をひるがえしてくれた事により、順慶が信長に近づくスキできて、今度は順慶が織田の傘下となるわけですが、そのお話は信貴山城の戦いのページ>>でどうぞm(_ _)m
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2020年11月23日 (月)

大河ドラマ『麒麟がくる』第33回「比叡山に棲(す)む魔物」の感想

どんどん光秀が主役らしくなって来た大河ドラマ『麒麟がくる』第33回「比叡山に棲(す)む魔物」の感想です。

当時の比叡山が、「酒+女+権力」に墜落していた様を描いて下さったのはさすがですね~

しかも、その比叡山の横暴に「公家や天皇までもが困ってる」という描写も、これまでには無い描き方だったので良かったです。

まぁ、個人的には、そこらあたりは、もっともっと盛大にやっていただきたかったですが、番組最後の紀行で
(灯明は)最澄が1200年前に灯して以来、一度も消えることなく輝き続けている」
(厳密には第6代将軍=足利義教が焼き討ちした際に1度消えてる→その後、以前に分灯した寺から再分灯してもらったらしい)
てな解説を言うダンドリになってるので、それを聞いちゃうと、どうしても当時の比叡山と現在の比叡山がつながってる感が出てしまい、あまり過激な表現がし難かったのかも知れません。

本来は当時の比叡山あり様と今の比叡山の姿勢は全然違うんだけど、ドラマとして見ているそばから、頭切り替えるの難しいですものね。

ただ、私としては、やはり、焼き討ちの前年に比叡山を訪れた英俊が日記に書いていたような悲惨な状況だったように思います(9月22日参照>>)

なので、当時の仏門の墜落のエグさ描写を控えてしまった事で、今回も、信長の比叡山焼き討ちは「残忍な殺戮」のような通常運転な描き方になってしまったように思います。

そして、最近では、比叡山焼き討ちに「光秀はノリノリだった説」が盛んな中で、やはり
「女、子供は斬るな!」
という、これも通常運転となってしまいました。

まぁ、そこは、ドラマの主役なので、仕方ないですね。
主役が鬼の形相で女子供をバッタバッタ斬るわけにいきませんもの。。。

そんな中に紛れ込んでいた転売ヤーの「正露丸ボーイ」
この描写は何?

ひょっとして、
これに駒ちゃんが激怒する?
からの
公方様に告げ口
からの
染谷信長VS滝藤公方。。。

てな展開にならない事を祈るばかり・・・

そもそも、そんなにあの兄妹が心配なら、サッサと妹を買い戻して、その後、あのお兄ちゃんに薬屋手伝ってもらって「働いて返してネ」で良かったものを(公方様にお金を寄付するくらいの豪商になってるんやからね)
染谷信長が
「関係の無い者は山を下りろと散々言った」(←ドラマ内でそう言ってた)
という「戦いあるヨ予告」してるアブナイ場所に行く事を承知で売ったんですよね?

ま、おそらくは単なる殺戮描写で犠牲になっただけなんでしょうけど。。。

ところで、今回、筒井順慶公方様養女(九条家の姫)との婚約発表に招かれて、激おこプンプン丸だった吉田久秀・・・

これも時間が無いせいなのかも知れませんけど、本来は前後逆ですよね?

松永久秀が武田信玄やら荒木村重やらと通じて公方様配下の武将の城を攻めにかかったから、その防御のために、かねてより松永と敵対してる筒井順慶に近づいて…って感じだったと思うのですが、

ドラマのままだと、何の落度もない吉田久秀に対して、ただただイケズして仲間ハズレにして怒らせてるように見えます。

しかも、それの道筋を示したのが、前回の武器商談会での「公方様に会わせる」だの「信長様に会わせる」だのの無謀な約束(32回参照>>)なので、結局は光秀と駒のせい?という事になってしまいます。

「戦いは嫌」
「平和が良い」
と言っていた光秀様と駒様ですが、大丈夫ですか?
(2回くらい前に光秀は「平和をもたらすためには必要な戦いもある」と思ったみたいですが)

…にしても、いつまで長谷川光秀は幕臣なんだろ?

今回もまた、
「信長様の1番のお気に入り」
みたいな事を誰かが言ってましたが、
まだ織田の家臣じゃないですよね?

家臣でもない人が1番なんて・・・家臣として頑張ってる柴田勝家や佐久間信盛や秀吉クンがお気の毒です。

ところで、このドラマのスタッフ様は、巷の評判やSNSでの疑問なんかをチェックされてるんでしょうか?

どなたかが、
「光秀は、美濃から落ちて来た光秀一行に、住むトコ与えたり、色々世話してもらったユースケ・アサクラに対して、まるで恩義を感じてないようにエラソーにする」
と言えば、

何と、今回、ユースケ殿自ら、その事に対して長谷川光秀に問いただしてましたね。
(なんかゴマかされた感じだけど)

また、どなたかが、
「一介の町医者が天皇とサシで碁を打つなんて!」
と言えば、

今回、天皇様のお言葉として
「東庵は特別」
なるご発言・・・「身分低いけど、特別だから大丈夫なの」と

もちろん、先週の駒ちゃんの
「最近の私は身の丈に合わぬ事をやっているように思う」
発言も・・・

それまでの
「架空のキャラがグイグイ歴史上の出来事に絡んで来る」
という巷の評判への返答のように聞こえました。

コレって・・・
いやいや、それこそ、そういう時代になったのかも知れません。

昔は、一般人が最速のニュースを目にするのは新聞(もっと前は瓦版)でした。

しかし、それが、やがてラジオになりテレビになり、
今や、最速のニュースはネットやSNSから・・・

もちろん、そこには玉石混淆があり、それらを受け取る側が、その真偽を見極めねばならない部分はありますが、スピードが速い事は確かです。

そんな中でも「実況掲示板」や「Twitter」なんかは、まだ放送中の番組の感想やツッコミ所が、何かある度にどんどん更新されていきます。

ひょっとして、それに応えておられる?
もし、そうなら、それこそ新しい取り組みでは?

その新しい取り組みの是非に関しては、個人的に感じてる「今回の大河は庶民目線で描く大河ドラマなのでは?」と同様に、終わってみないと答えは出ませんが、なかなかオモシロイ取り組みだと思います。

ま、単なる偶然かもしれませんけど・・・

とにもかくにも、光秀は、織田家内で最初に城持ちになる人・・・

それも、比叡山焼き討ちをイケイケで指揮した功績で、その比叡山の麓の坂本に城を持つ事になるわけですが、果たして、ドラマでは未だ幕臣の長谷川光秀がいかにして坂本城の城主になるのか???

今後も楽しみであります。

それにしても、
おそらくは幕府内の複数人の悪を一手に引き受けて下さってる摂津鶴太郎さんに、
「古き悪しき者を潰さねば、戦いは終わりません!」
と言い放った長谷川光秀はカッコ良かったですね~

悪を一手に引き受けてる鶴太郎さんは大変でしょうけどwww

★今週の大河ドラマ前後の出来事関連ページ
●【磯野員昌が佐和山城を開城】>>
●【信長&秀吉VS浅井~箕浦の戦い】>>
●【松永久秀VS筒井順慶~辰市城の戦い】>>
●【信長と近江一向一揆~金ヶ森の戦い】>>
●【山本山城の戦いと虎御前山城構築】>>
●【いよいよ三方ヶ原~信玄・二俣城攻略】>>
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2020年11月19日 (木)

藤原兼経 ~五節舞姫の控室に立て籠り事件

 

万寿元年(1024年)11月19日、豊明節会の舞姫の控室に不審者が侵入しました。 

・・・・・・・・・・

藤原兼経 (ふじわらのかねつね)は長保二年(1000年)に、藤原道綱(みちつな)の三男として生まれます。

父の藤原道綱は・・・そう、あの『蜻蛉日記(かげろうにっき)の作者が、名前が残っていない女性で、今も藤原道綱母と呼ばれるところから、その名をご存知の方も多かろうと思いますが、

この『蜻蛉日記』を書いた道綱母という人は、最終的に関白太政大臣まで出世した藤原兼家(かねいえ)の、いわゆる側室で、正室時姫(ときひめ)という人との間に生まれていたのが、道隆(みちたか=長男)道兼(みちかね=三男)道長(みちなが=五男)の三兄弟で、ご存知のように、五男である道長は、平安の一時代を築く大物になる(12月4日参照>>)わけですが・・・(ちなみに道綱は兼家の次男です)

なので、側室の子である道綱は、正室腹の三兄弟と比べると、出世は大きく水をあけられた状態となっていたわけですが、例の花山天皇(かざんてんのう=第65代)出家事件(2月8日参照>>)に関与して、父=兼家の摂政就任に大きく貢献した事から、一気に出世街道に乗ります。

また、道綱と道長は異母兄弟の中でも、娶った奥さんが姉妹(ともに源雅信の娘)だった事もあって仲が良かったおかげで、道長が執政になると、その恩恵を受けて、またまた出世していく事に・・・

そんな頃に生まれたのが、今回の主役=藤原兼経さん。

なので、まだ子供の間に道長の養子となっていて、寛弘八年(1011年)に元服した時には、キッチリ、左大臣=道長の息子として、いきなりの従五位(じゅごい)に任ぜられ、以降、一気に出世の階段を駆け上り、19歳にして従三位(じゅさんみ)に任ぜられ、公卿(くぎょう=太政官の最高幹部)の仲間入りを果たします。

これは、道長の実子たちにも負けず劣らずの出世ぶり・・・

さらに治安三年(1023年)には参議(さんぎ=朝廷組織の最高機関)に任ぜられますが、その翌年、事件は起こります。

それは万寿元年(1024年)11月19日の事・・・

兼経が準備していた五節舞(ごせちのまい)の舞姫の控室に不審者が入り込んだのです。

五節舞とは、大嘗祭(だいじょうさい=新しく即位した天皇が新穀を神々に供えて食する宮中祭祀)新嘗祭(にいなめさい=天皇が新穀を神々に供えて食する毎年の宮中祭祀)の翌日に行われる豊明節会(とよあかりのせちえ)という祝宴の中で、歌人が歌う大歌に合わせて4~5人の舞姫が舞い踊るという日本の雅楽では唯一の女性が演じる舞いなのですが、

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五節舞之図(東京都立図書館蔵)

その舞を披露する美しい女性たちは、毎年、担当の公卿が用意する事になっていて、その年の担当が兼経だったのです。

つまり、兼経がチョイスした女性の部屋に誰かが侵入した。。。と、

しかも、その不審者は、部屋の中で「舞姫を懐(ふところ)に抱(いだ)く」という行為をしたのだとか。

この「懐に抱く」とは、もちろん、抱きしめる事ですが、この時代の王朝貴族の、それも文章に残す「懐に抱く」という語の中には、いわゆるH的な行為も含まれているらしい・・・ 

事件はすぐに発覚し、当然、この不届き者は、兼経によって捕らえられ、検非違使(けびいし=現在の警察・司法)に引き渡される事になりますが、この犯人は、公卿の藤原公成(きんなり)だと名乗って控室までたどり着いて強行に及んだものの、実は中納言藤原朝経(あさつね)従者の一人であった事が判明しました。

と、まぁ、不届きではあるものの、犯人が誰かも特定されて、事件は解決となるのですが・・・

ところがです。

事件直後から、今度は兼経が、その舞姫の控室から出て来なくなったのです。

翌日には朝廷の重要な儀式があり、兼経は、その監督役だったにも関わらず、
「胸の病が…」
「苦しくてたまらん!」
と言って、控室に籠りっぱなし・・・

儀式をすっぽかして女性の部屋に籠りっぱなしなのですから、もう何をやってるかは明らか。
(満年齢でいくと、まだ24歳だからなぁ~(#^o^#))

おそらくは、今回チョイスした舞姫の一人が、まえまえから「兼経さんがお気に入りの女性だった」という事・・・

そして、おそらくは、その彼女が、侵入した不審者が「懐に抱いた」彼女だったのでは?

以前も書かせていただいたように、平安時代の結婚は「通い婚」(1月27日の後半部分参照>>)・・・毎夜々々、男性が女性の家に行って××するパターンなわけですが(仲良くなれば、男性が女性の家に泊まりっぱなしもアリ)

最初の段階は、
高貴なお方なら歌を交わして手紙を出して…、
身分の低い人なら口笛吹いて「来たよ」の合図をして…

↑こういう段階を何度か経てから、女性側がOKなら「家に入れてもらう=夜這い(よばい)をかける」という感じになります。

今、「夜這い」と聞くと、男性天国の致したい放題のようなイメージを思い浮かべる方が多いですが、それは勘違い・・・夜這いには、女性側に完全な拒否権があります。

気に入らない相手だと断って良いし、断られた男性がムリヤリ女性の家に上がり込む事はダメです。
今も昔も無法地帯ではありません。

なんなら、平安のモテ男=平中(平仲)のように、家に上げてもらっても叶わぬ場合もあります(9月23日参照>>)

てなてな事を踏まえると・・・そうです。

今回の場合、不審者に侵入された舞姫の彼女は、拒否をしなかった・・・事になります。

つまり、侵入した彼の方が、舞姫の夫だったわけです。

しかし、その事実を知った兼経が、逆に、彼女を手放したくなく、部屋に居座りたおして引き籠って、何とか自分のモノにしようとしたのではないか?=つまり横恋慕した?という事が推測できます。

おそらく、平安時代の皆さまも、そのように思われたようで・・・

ここまで2段飛ばしくらいの勢いで出世の階段を上っていた兼経も、見事に昇進がストップ・・・13年後の長暦元年(1037年)になってようやく正三位(しょうさんみ)に叙せられますが・・・やっぱり、この一件が響いたのでしょうかね?~知らんけど。。。
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2020年11月16日 (月)

大河ドラマ『麒麟がくる』第32回「反撃の二百挺」の感想

 

武将たちがアップとともに叫ぶ「うぉ~」「わぁぁぁ~」で姉川が終わってしまった大河ドラマ『麒麟がくる』第32回「反撃の二百挺」の感想です。

ま、スタジオなら3密しまくり、屋外ロケでも密集と密着の2密が避けられない合戦シーンですから、今年ばかりは諦めねばならないのでしょうが、歴史バラエティ番組の再現シーンよりも短い姉川の合戦には、やっぱ、ちょっと寂しい物がありますね。

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姉川古戦場

その前に、滝藤公方様&摂津鶴ちゃん相手に、鶴ちゃんの言葉の上げ足を取って言い負かしちゃうあたりは、さすがに長谷川光秀、主役らしくカッコ良くなって来たなぁ~と思ってただけに・・・

で、その後、蔵之介秀吉と一緒にに鉄砲を買い付けに行って、陣内宗久との交渉・・・

「鉄砲は、もう売っちゃったのでないのよ」
と渋る陣内さんに
「売った相手を教えろ!」
とズゴむ二人。。。

「相手の名前は教えられへんけど、茶会やるからおいでよ」
と、実は、その茶会に鉄砲を売った相手が来るので、
「そこで譲ってもらう交渉したら?」
てな事らしいけど、

その茶会という名の武器商談会のメンバー表に「こま」ちゃんの名前が!!!

このメンバー表見て、ほとんどの視聴者の方が
「おいおい!お前入っとんのかい!」
とツッコミを入れたものと察しますが、

なぜか、蔵之介秀吉は
「この『こま』というのは女性ですかね?」
って、オイ!
その昔、君があまりに
「字を教えて~」
と駒ちゃんのケツを追っかけるから、視てるオバチャンたちは、駒ちゃんが秀吉の側室になるんじゃないか?とハラハラしてましたがな。

それを・・・名前見て、、、何を言うてんの???
と、思っていたら、今度は、メンバーの内の一人の(鉄砲を買った)鶴瓶はんの息子筒井順慶との交渉に挑む長谷川光秀に
「駒殿は公方様の寵愛を受けてるから気をつけろ」
って・・・

駒ちゃんの事、
よく知ってるんか、知らんのかハッキリしてくれぃ

駒は駒で、光秀の
「鉄砲を譲ってくれ」発言を後押しする始末・・・

「戦争は嫌」
じゃ無かったの?
貧しい人の治療をする『悲田院』を造る!
んじゃ無かったの?

いつから武器商人の片棒を担ぐ人になちゃったの?
まぁ、合戦が頻繁に起こってケガ人増えた方が薬売れてウハウハだろうけど・・・それはアカンやろww

で、結局、お駒ちゃん本人に
「自分は身の丈の合わぬ事をしているのではないか?」
と、架空の人物がグイグイ出過ぎる事を反省するような事を言わせちゃう・・・

見ている側はみんな思ってるけど、それを駒役の門脇麦ちゃんに言わせるのは、ちょっと可哀そうな気がしました。
(俳優さんのせいじゃないからね)

ほんで、結局、
長谷川光秀が順慶を信長に会わせる、
駒ちゃんが順慶を公方様に会わせる、
事を条件に順慶は光秀たちに鉄砲を譲って、その鉄砲のおかげでアッサリと姉川の戦いに勝ちましたとさ。。。

てか、なんで順慶は光秀に
「信長さんに会わせて」
と頼むん?

ほんで、なんで光秀は
「オッケーやから鉄砲譲ってチョーダイ」
てなるん?

光秀は幕臣ぞ!
襖の向こうには、信長直臣の秀吉が控えているというのに、なぜに幕臣に頼む・・・
で、以って、なぜに幕臣が勝手に会見をOKする・・・

しかも、時期的にもちょっと早いゾ!
金ヶ崎の戦い元亀元年(1570年)4月
その2か月後の6月姉川の戦いだけど
(【金ヶ崎の退き口から姉川の戦いまでの2か月間】参照>>)

金ヶ崎の4ヶ月前の永禄十二年(1569年)の暮れ12月に、順慶が、松永久秀に開け渡されるはずの十市城(とおちじょう)に攻め込んで勝手に占拠してしまってますが、姉川の戦いには、後詰ではあるものの久秀も織田軍の一人として参陣している一方で、この姉川の戦いの頃も、順慶は十市城を占拠したまま(【十市の内紛】参照>>)・・・つまり、明らかに敵対していたわけです。

ま、その後、姉川からほどなく野田福島にて戦いが起こり、そこに本願寺が参戦し(【野田福島~春日井堤の攻防】参照>>)、さらに武田信玄が徳川家康&信長に対抗するかの如く西行して来る事で、松永久秀が本願寺と結んで信長と敵対し、筒井順慶は敵の敵は味方という感じで信長の傘下になっていくわけですので、ここで出会っていても良いっちゃ良いのでしょうが、ギリとは言え、松永久秀が信長を裏切るまでは、順慶はやはり敵でしょう。。。

って事は、今回ドラマで描かれた、姉川の前(十市城占拠中)の時点で信長との面会をOKしちゃうってのは、
敵対している相手との会見を、家臣でもない光秀が勝手にOKした事になるので、光秀が、この先、久秀が信長を裏切る事を知っている超能力者設定でない限り、無理があると突っ込まざるを得ません。。。

ちなみに、実際には、久秀が信長から離反した後の元亀二年(1571年)8月に起こった辰市城(たついちじょう)の戦いで、松永方に勝利した順慶が勝ち取った首級=240ほどを信長のもとに献上して自身の存在をアピールしてますので、やはり、順慶が信長に近づくのは、このあたりからではないか?と思います(【辰市城の戦い】参照>>)
(もちろん順慶も、心の中ではそれ以前からチャンスを伺ってたとは思いますが)

ま、ドラマは残りの時間が少ない(最終回は来年の2月7日らしい)ですので、チャッチャと事を運ばねばならないのでしょうけど。。。

で、そのチャッチャのせいかも知れませんが、今回、風間家康の発言で唐突に出て来た武田信玄・・・

「信玄が上洛をもくろんでる」
「私は信玄と戦うつもり」

といきなり来ましたが、

実のところは、あの桶狭間に始まってます。

前半、桶狭間をあれだけ丁寧に描いていたので、ホント、時間がない事が惜しまれますが、

そもそもは桶狭間の後、愛之助義元を失って衰退の影が見えはじめた今川に対して、
「勝ち取ったあかつきには今川領地の西半分(遠江)を德川が、東半分(駿河)を武田が治める」
の約束をさせて、今川の領地を
「西(三河の家康)と北(甲斐の信玄から攻めたらええやん」
德川と武田の両者を結んだのは信長です。

だからこそ、義元の後を継いだ今川氏真の本拠である今川館(駿河)を信玄が襲撃し(12月13日参照>>)、慌てて逃げた先の掛川城(遠江)を家康が囲む(12月27日参照>>)・・・という見事な連携プレーが叶ったわけですが、

しかし、ここで、家康がなかなか落とせなかった掛川城攻防戦に北条氏政が介入して来て德川と北条の間に同盟が結ばれ、氏政の息子である北条氏直が今川氏真の猶子(ゆうし=契約上の養子)となって今川家の家督を継ぎ、駿河&遠江の支配権を保証されるという条件のもと掛川城が開城されたのです。(←結果的には「支配権」に関してはウヤムヤになってますが)

もちろん、未だ駿河にて絶賛転戦中の信玄(【信玄の駿河侵攻~大宮城の戦い】参照>>)としては、
「何、德川と北条で勝手に決着つけとんねん!」
です。

で、その後の信玄は北条と戦いつつ、信長と家康と敵対関係になり、やがて「上洛か?」と思える西行を開始する(10月22日参照>>)事になるわけですが、たぶん、これらは時間の関係ではしょられ、

ドラマでは、いきなりの
「信長に敵対すべく信玄が上洛してくる」
からの
「三方ヶ原で家康クンお漏らし」(12月22日参照>>)
という展開になるのでしょうが・・・

私個人的には、2月・3月の春先あたりで、今描かれているようなあたりまで進んでていただき、その後、半年以上をかけての光秀の活躍を描いていただきたかったのですが、

今年ばかりは、最初のアレにコロナのコレで、今となっては、最終回で本能寺まで突き進むためには、いっぱいはしょらねばならない状態となってしまい、本当に残念!

しかし、
そこを、プロのスタッフの皆さまの手によって、急いでるけど胸打つ演出をやっていただける事を期待して・・・来週も楽しみにしております。

追記:
(予告見る限りでは)
来週、長島一向一揆で亡くなる信長の弟(【小木江城攻め参照】>>)に触れてくれるのはウレシイ・・・

言っときますが、信長さんはむやみやたらと鬼の様に相手を根絶やしにしてるわけではありません。
比叡山焼き討ち(9月22日参照>>)の前にも宇佐山でもう一人の弟=信治森可成という古くからの重臣もやられてます(9月20日参照>>)

「やられたら、やり返す」です。
ただ、ハンパなく強いので10倍返し以上になります。(←個人の感想です)
 .

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2020年11月11日 (水)

日本資本主義の父で新一万円札の顔で大河の主役~渋沢栄一の『論語と算盤』

 

昭和六年(1931年)11月11日、日本資本主義の父と称される渋沢栄一が死去しました。

・・・・・・・・

上記の通り、渋沢栄一(しぶさわえいいち)さんには、よく『日本資本主義の父』という冠がつくけれど、近年の政治経済が苦手な私には未だよくわからず、幕末の動乱でチョイチョイお名前は聞くものの、正直、避けて通って来た感ありましたが、来年=2021年の大河ドラマの主人公で、新一万円札の顔となれば、苦手分野だからと避けてはいられないわけでww・・・(#^o^#)
 .

そもそもは天保十一年(1840年)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)裕福な農家に生まれた渋沢栄一。

実家は、農家と言っても、藍の買い付け&販売を中心に、養蚕や米や麦の生産もする豪農だったので、家長たる父=渋沢市朗右衛門(いちろうえもん)は、農業を…と言うよりは、原料の仕入れや販売に従事するのが主な仕事だったようで、一般的な農家と違い、田畑を耕す事より、商業的才を求められる立場でした。

Sibusawaeiiti800a そんな渋沢家の長男である栄一(当時は栄二郎→栄一郎)は、父とともに遠方に赴いて藍を売り歩くのを手伝う中で、14歳頃には、単独でも藍を仕入れたり販売するまでになっていましたが、

一方で、地元が天領(てんりょう=幕府の直轄地)であった事から、農民?商人?でありながらも武士と同じような儒教教育を受ける事ができ、武士道的道徳を叩きこまれて成長する事になります。

しかし、そんな栄一が見た物は・・・

嘉永六年(1853年)の黒船来航(6月3日参照>>)により、ムリクリで開国してしまった事によって、お茶や生糸の輸出量が急激に増えて価格が上昇し、それに便乗した値上げが相次いだため、日々の生活にも困窮する一般市民の姿でした。

当時、未だ血気盛んなお年頃だった栄一は、
「こんな事になったのは、開国した幕府が悪い!」
と、その怒りは幕府に向かい、

今や、トレンド1位でバズりまくりの尊王攘夷(そんのうじょうい)(【藤田東湖圧死】参照>>)の気風に染まっていき、従兄弟の渋沢成一郎(せいいちろう=喜作)(【彰義隊・結成】参照>>)尾高惇忠(おだかあつただ)渋沢平九郎( へいくろう=尾高平九郎)(【飯能戦争】参照>>)兄弟らと高崎城(たかさきじょう=群馬県高崎市)を乗っ取り、横浜を焼き討ちにした後、長州(山口県)と連携して幕府を転覆させる計画を立てたりなんぞします。

しかし、そもそもは、何の後ろ盾もないし、ただの農民あがりの志士・・・結局、計画倒れになっていたところ、仲間が殺人を犯した事で、栄一自身も追われるように京都へと上りますが、八月十八日の政変(8月18日参照>>)直後の京都では志士活動もままならず、

さすがに手持ち資金もなくなりはじめた頃、かねてより栄一の商売&経済的才能に惚れ込んでいた一橋家(ひとつばしけ=德川家御三卿の一つ)の家臣=平岡円四郎(ひらおかえんしろう)の誘いによって、徳川慶喜(とくがわよしのぶ=德川一橋家9代当主で後の15代将軍)に仕える事になります。

自分が転覆させようとしていた徳川の家臣に?・・・って、その心中やいかに?
と思ってしまいますが、

どうやら、もともと過激な事は苦手て温厚な性格だった栄一は、後ろ盾のない志士活動を続けるよりも、
「むしろ徳川側に身を投じて、中から変えていく方が得策」
と考えたようで、
現時点では一歩後退するように見えるものの、その先を読み、今どうする事がベストなのかを見分ける・・・この身の振り方こそが一つの才能と言えるかも知れません。

やがて、一橋家に仕官して3年後の慶応三年(1867年)、栄一の一大転機がやって来ます。

それは、この年にパリで行われる万国博覧会に将軍の名代として出席し、そのまま現地で留学する予定の慶喜の異母弟=徳川昭武(あきたけ=後の水戸徳川家11代当主)(3月7日参照>>)随行員の一人としてフランスへと渡航する事になったのです。

渡航途中には、エジプトなど、列強によって植民地のようになってしまっている国の現状も垣間見つつ、現地では、蒸気機関など世界最先端の工業機械を目の当たりにするとともに、上下水道や鉄道などのインフラ整備を見学させてもらう機会にも恵まれ、充実した日々を送った栄一ですが、彼に最も影響を与えた出来事は、その旅の最後に起こったのです。

そう・・・実は、このパリ訪問の真っ最中に、日本では、あの大政奉還(たいせいほうかん)が成されのです。
●【大政奉還】>>
●【討幕の密勅】>>

当然ですが、幕府からの訪問団への仕送りはストップ・・・逆に、新政府からは
「即座に帰って来い」
とのお達し、、、

いや、帰りたくてもお金が・・・そこに手を差し伸べてくれたのが、フランス人銀行家のフリュリ・エラールでした。

エラールは、若きトップ=徳川昭武に面会した際、その静観さやにじみ出る武士道精神に感銘を受け、すっかり日本人の事が好きになっていたのです。

当時のフランスには、すでに公債を発行して一般から資金を集め、有効利用した後に、その出資額に応じて配当金を支払うという仕組みが出来上がっていてエラールは、その責任者だったのです。

エラールから、その仕組みを教えてもらった栄一は、早速、まだ手元に残っていた渡航資金の一部を投資し、少しの間の留学費用を工面するとともに、帰国費用も捻出して、それから約1年後、無事に帰国を果たしたのです。

そして、帰国した栄一が見たのは、徳川慶喜が蟄居(ちっきょ=謹慎)している静岡に寄り集まっている失業した幕臣たち・・・

そこで、栄一は、フランスでの経験を活かし、彼ら失業者が新事業を立ち上げるための基金=商法会所(しょうほうかいしょ)を立ち上げます。

これは、今で言う農業協同組合のような物で、始めるための資金や肥料代などを貸す一方で、物価の変動に応じてできた農作物を売買し、その差額を得るという物でした。

世の中には、良い思いつきがあっても資金や後ろ盾が無くて実行できない人がいる一方で、お金を持っていても何をしたら良いのか?そのやり方がわからない人がいる・・・そんな両者の仲介役をするのです。

この商法会所の成功により、栄一の手腕が評判となり、明治二年(1869年)、栄一に新政府から民部省(みんぶしょう=大蔵省)への出資要請がかかります。

ここで、様々な改革や企画立案に携わったものの、大久保利通(おおくぼとしみち)大隈重信(おおくましげのぶ)と対立して4年後に退官・・・

その後、実業界に進出した栄一は、その設立に協力していた第一国立銀行(現・みずほ銀行)の頭取に就任し、まさに、あの「人と人とをつなく仲介役」となる銀行を基準として様々な産業を起こしていくのです。

そして、この栄一の1番スゴイところは、それが私利ではなく公益に徹した事・・・

銀行に代表される金融業は、江戸時代で言えば「金貸し」・・・それが、金儲けのためだけに行うのであれば、その通り、ただの「金貸し」ですが、産業振興という強い志の下で行うのであれば、人の為、国の為になるのです。

これこそが、彼の代表的著書である『論語と算盤』・・・

論語(ろんご)とは、ご存知のように孔子(こうし=中国春秋時代の思想家)とその弟子たちの残した言葉で儒教や武士道の基となった物。

算盤(そろばん)は、あの、玉をはじくソロバンですが、ここでは「商才」というか「商いのやり方」みたいな意味ですね。

「儲けようという欲望のままに商売するのではなく、その根本に世の為人の為にという信念がなくてはならない」という事なのです。

第一国立銀行ほかにも、東京ガス東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)帝国ホテル東洋紡績キリンビールサッポロビール、そして我らが京阪電車ww(スンマセンm(_ _)m私はおけいはんです)などなど・・・

栄一が携わった企業は、ここに書ききれないほどに、、、もちろん、日本赤十字社聖路加国際病院などの指導にもあたり、商業教育にも熱心で、その社会貢献度もハンパない。

しかも、自身は財閥をつくらず、保有する株もわずかだったとか・・・

「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」(『論語と算盤』より)

私利私欲に走らず、経済で武士道を貫いた渋沢栄一は、昭和六年(1931年)11月11日92歳で、この世を去りました。
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2020年11月 9日 (月)

大河ドラマ『麒麟がくる』第31回「逃げよ信長」の感想

 

今回、
久々に大河ドラマ見た~!
やっと光秀が主役になった~!
と、思った大河ドラマ『麒麟がくる』第31回「逃げよ信長」の感想です。

コロナで中断されて以降の大河で、久しぶりに大河らしい大河でした。

おそらくはコロナのせいで、なかなか思うようにできないためか?
「本木道三が出てた頃と、同じ脚本家先生&同じスタッフ様なのか?」
と思うくらい、微妙な感じだったのが、ここに来て、見事な神回でありました。

まぁ、それこそコロナのせいで「大きな戦いになるぞ~」の合戦シーンが、鉄砲ぶっ放して少人数でゴチャゴチャやってる小さな戦いになってしまっていましたが、それは、大人数での密集を避けねばならない状況下ですので、致し方ないところ・・・

信長秀吉家康三英傑そろい踏みに加え、主役の光秀にクセ者の松永オジ・・・見ごたえありましたね~

ただ、やっぱり、長谷川光秀が未だに幕臣なのが気になりますね~

味方だと思っていた妹婿の浅井長政の裏切りを察知して染谷信長に知らせるのが光秀・・・というのは、まぁ、あのお市の方「小豆の袋詰め」は、もはや描きつくされたシーンでもあるので、主役の特権としての許容範囲ではあります。
【手筒山・金ヶ崎城の攻防戦】参照>>
【危機一髪~金ヶ崎の退き口】参照>>

また、光秀が信長を必死で説得するシーン
「織田信長は死んではならんのです!」
も良かったです。

ただ、なんで幕臣の光秀に殿(しんがり)を・・・
いや、これも、今回の最大の見せ場である以上、主役の特権のフル活用という事で納得しましょう。

しかし、その撤退戦のすべてを、幕臣の光秀が仕切ってしまうまでいくのは、ちょっと違う気がします。

なんか、ドサクサに紛れて、柴田勝家の安藤さんにまで指図してませんでした?

また、秀吉が殿に名乗りを挙げるのは『絵本太閤記』にもあるので(注:名乗る相手は光秀ではないです)そこは良いのですが
【金ヶ崎の退き口で殿の秀吉は…】参照>>
一刻を争う時の、あの昔語りはちょっと長かったような???

わかります!
ここは、ドラマの中で、これまで秀吉の事を「軽いヤツ」と小バカにしていた感のある光秀が、秀吉を見直して心通わすシーンですから、大事なのはわかるのですが、姉や妹やイモまで出さずとも、もう少し短く簡潔に語っても大丈夫だったような。。。

そう言えば、秀吉が
「命懸けで殿を務めたのに、皆、信じてくれない」
と泣きついた時も、
光秀はメッチャえらそうに、安藤勝家らに説教してました。

また、撤退の後の京都での信長が
「誰にも会わない」
はずなのに、光秀にだけはスンナリ会い、今後の
「帰蝶姫や幕府や朝廷への対応」を相談しちゃう・・・

殿担当に始まり信長の相談で終わる今回の撤退戦のすべてが、すでに光秀が信長の家臣になっているなら、
多少やり過ぎではあるものの、主役の特権の許容範囲で、そこまでの違和感は感じなかったのでは?
と思うのですが。。。

ここまで、信長ベッタリの行動をさせるのに、なぜに、未だに家臣として描かないのか?

最後に
「信長様は生きている」
「生きていれば次がある」
と、落ち込む信長を鼓舞させるシーンが良かっただけに、「未だ幕臣である事」が妙に気になりました。

来週の予告を見ると、
何やら、幕府が敵に回るだけでなく、将軍様自身が信長に不満ムンムンなようで・・・おそらく光秀が、そんな将軍様&幕府から、いよいよ離れていく事になるのでしょうが・・・

あと、コロナ禍でスケジュール等が難しいのかも知れませんが、「浅井長政が信長を裏切る」の理由づけとか心の葛藤とかに、もう少し時間を割いていただければ良かったかな?

なんか、長政とお市の方のシーンが唐突でした。

とは言え、これからは、今回のような神回が毎週くりかえされるのではないか?の期待大・・・来週も楽しみにしています。

★今回の大河:関連ページ
朝倉関連
 ●【若狭と朝倉義景(国吉城の攻防)】>>
天皇家
 ●【正親町天皇と織田信長】>>
将軍関連
 ●【信長が義昭に掟書を示す】>>
金ヶ崎から姉川へ…
 ●【逃げる信長を狙撃した杉谷善住坊】>>
 ●【背水の陣~瓶割柴田の野洲川の戦い】>>
 ●【金ヶ崎から姉川までの2ヶ月間】>>
Kanegasakimoriyamaanegawa
金ヶ崎の退き口から姉川の戦いの位置関係図(日付入り)
クリックで大きく
(背景は地理院地図>>)
姉川の戦い
 ●【姉川の戦い】>>
 ●【姉川の七本槍と旗指物のお話】>>
 ●【遠藤喜右衛門の奇策in姉川】>>
三好&本願寺との戦い
 ●【三好との野田福島の戦い】>>
 ●【野田福島の戦いに本願寺参戦】>>
 ●【野田福島~春日井堤の攻防】>>
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2020年11月 4日 (水)

真里谷武田氏の滅亡~里見義堯の椎津城の戦い

 

天文二十一年(1552年)11月4日、里見義堯に上総椎津城を攻められた真里谷(武田)信政が自刃しました。

・・・・・・・・

安房(あわ=千葉県南部)に根を張る安房里見(あわさとみ)の5代目当主だった里見義堯(さとみよしたか)は、関東の覇権を巡って北条(ほうじょう)と争いつつ、房総半島一帯への勢力拡大にまい進していました。

そんな中、実家の古河公方(こがくぼう=関東を治める足利家)に離反して小弓城(おゆみじょう=千葉県千葉市中央区)を占拠し、小弓公方(おゆみくぼう)を自称していた足利義明(あしかがよしあき)を担いで北条と戦った天文七年(1538年)の第1次国府台(こうのだい=千葉県市川市)の戦い(10月7日参照>>)で敗れて、担いでいた義明を失うものの、逆に、上総(かずさ=千葉県中部)下総(しもうさ=千葉県北部)へ進出し、公方を担がぬまま=つまりは、里見自身によって房総半島を支配する形となり、里見義堯が当主の頃は久留里城(くるりじょう=千葉県君津市)を本拠に歴代里見氏最大の勢力を誇るようになっていたのです。

一方、その里見の勢いに脅威を感じた北条氏康(ほうじょううじやす=北条早雲の孫で2代目当主)は、娘婿の北条綱成(つなしげ・つななり)に命じて有吉城(ありよしじょう=千葉市緑区おゆみ野)を構築し、その防備を固めるのです。

これを受けた里見義堯は、房総における北条勢力を一掃せんと、すぐさま有吉城へ攻撃を仕掛けますが、北条綱成の見事な防戦により、城を落とす事はできませんでした。

そのため、里見義堯は、天文二十一年(1552年)の4月頃から、北条への最前線である佐貫城(さぬきじょう=千葉県富津市)に徐々に兵を移動させつつ、挽回の機会をうかがいます。

これに対し北条氏康は、万喜城(まんぎじょう=千葉県いすみ市)土岐頼定(ときよりさだ)椎津城(しいづじょう=千葉県市原市)真里谷信政(まりやつのぶまさ=武田信政)に連絡を取って、
「ともに里見をせん滅しよう」
と呼びかけます。

しかし、土岐頼定は北条の呼びかけに応じず、逆に、これを里見に通報・・・知らせを受けた里見義堯は急遽兵をかき集め、天文二十一年(1552年)11月4日、息子の里見義弘(よしひろ)とともに、1万8千余の軍勢で以って、椎津城に向けて出陣したのです。

Siituzyousatomi
●↑椎津城の戦い・位置関係図
クリックで大きく(背景は地理院地図>>)

まず佐貫城に入った里見義堯は、ここで自軍を5陣に分けます。

先陣は土岐頼定隊、
第2陣は正木時茂(まさきときしげ)隊、
第3陣は里見義盛(よしもり)隊、
第4陣は里見義弘隊、
第5陣は安西勝高(あんざいかつたか)隊、
里見義堯自身は、息子=義弘が大将を務める第4陣に加わりました。

これを受けた椎津城では、早速、小田原城(おだわらじょう=神奈川県小田原市北条に援軍の依頼を発するとともに城の防備を固めつつ、配下の精鋭を小糸川(こいとがわ)北岸に詰めさせて渡河して来る里見方をせん滅すべく待ち受けさせる一方で、味方をかき集めて約千騎余となった城兵を、城から5町(約500m)ほど出たところに、山を盾にするよう配置して敵を迎えます。

間もなく、両軍は激しく戦いとなり、椎津城勢も踏ん張りますが、所詮は多勢に無勢・・・やがて、椎津城側の主だった者たちが次々と討死していく中、最前線から離脱し、なんとか城内に戻って来た真里谷信政は、
「もはや、これまで…」
城中にて自刃したのでした。

その3日後には叔父の真里谷信応(のぶまさ)も自害し、ここに真里谷武田家は事実上滅亡します。

真里谷武田家は、あの八幡太郎(はちまんたろう)源義家(みなもとのよしいえ)の弟=新羅三郎(しんらさぶろう)源義光(よしみつ)を祖とする源氏の流れを汲む武田氏の家系で、その11代目=武田信重(たけだのぶしげ=信重から6代目が信玄です)の弟=武田信長(のぶなが)が、例の甲斐(かい=山梨県)無守護状態(7月22日参照>>)から逃れて房総半島に移転したのが始まりとされます。

古河公方の家督争いに敗れた足利義明が小弓公方を名乗っていた頃は、真里谷氏も「房総管領(かんれい=将軍・公方の補佐役)」を名乗って隆盛を誇ったようですが、家内の勢力争いに加え(5月16日参照>>)、関東の戦国の波に呑まれて、名門と言えど消えていく事になったのです。

一方で、ご存知のように、里見と北条の戦いは、まだまだ続く事になります。

★関連ページ
 ●逃避行で初恋を実らせた里見義弘と青岳尼
 ●里見VS北条~第二次国府台の合戦
 ●里見VS北条~三船山の戦い…太田氏資の死
 ●里見氏の全盛を築いた南関東の雄・里見義弘
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2020年11月 2日 (月)

大河ドラマ『麒麟がくる』第30回「朝倉義景を討て」の感想

もはやオリキャラの独壇場だった大河ドラマ『麒麟がくる』第30回「朝倉義景を討て」の感想です。

開始早々、
公方様のところで長谷川光秀駒ちゃんの再開・・・
「お久しぶりです」
のあと、
「公方様がお待ちかねです」
と係員が駒ちゃんを呼び
「はい」
と笑顔の駒ちゃん・・・

思わず
「えぇ!?(°〇°;) 」
と驚く光秀・・・

そりゃ、驚きますよ~
てか、見てた視聴者の反応を代弁してくれたような光秀の驚きっぷりに、コチラも思わずフっとなっちゃいましたワ。

しかも、その後は、お忍び脱出の末の蚊帳の中蛍デート・・・もはや、駒ちゃんは、なぜかモテまくる乙女ゲー状態。

東庵先生は東庵先生で・・・
何ですと!?(°〇°;)
天皇とサシで碁を打つとな?
しかも、天皇が政事の相談するとは!

確かに・・・
おそらく東庵先生のモデルとおぼしき曲直瀬道三(まなせどうさん=正盛)(1月4日参照>>)は、貧困層への医療に身を投じながらも、一方で正親町天皇の脈も取ってますが、少なくとも実在の道三は佐々木氏という源氏のエリート出身で僧(途中で還俗してますが…)・・・賭け事好きの気さくな町医者とは違うような・・・

もし、どうしても東庵先生と正親町天皇を結び付けたいのであれば、せめて施術してる場面にすれば良かったのではないか?と・・・

だって、あの染谷信長でさえ、天皇への拝謁は特例で、しかも御簾越しの対面なんですから・・・この碁を打ってる演出はちょっと不自然な感じがしました。

以前、第27回の感想>>で、どうやら、今回の大河ドラマ、よくある「戦国武将の国盗りの物語」「群雄割拠の覇権争い」ではなく、
戦いに巻き込まれ、家を焼かれ、
「もう、誰でも良いから とにかく、戦いの無い世にして~」
って思ってる市井の人々の目線で、物語を描きたいという事なのでしょう。。。
と、書かせていただきました。

個人的には、それもアリだと思うし、なんなら、これまでに無い試みで興味深いとは思いますが、

将軍とラブラブするお駒ちゃん、
天皇と碁を指す東庵先生、
関白を弟のようだという伊呂波大夫、、、

もう、この時点で、この人たちは市井の一般庶民ではありません。
(令和のプリンセスのご成婚やご学友、代々の政治家一族の事を想像してみるとわかりやすいかも…)

なのにドラマの世界では、いつまでも庶民扱い・・・そのワリには、グイグイ政治や合戦に口出して来る。

残念ながら、少々、辻褄が合って無いように思います。

しかも、架空の人物である彼らがグイグイ来るおかげで、主役の長谷川光秀の影が未だに薄い・・・もう、とっくに折り返し地点を過ぎてるのに、このままで大丈夫なのか?と心配になるくらいです。

それに、これまでよく描かれた明智光秀の立ち位置=「幕臣でもあり織田の家臣でもあり」とか「幕臣だけど織田家に出向してる?」的な感じではなく、今回の大河では完全に織田家への仕官を蹴って、幕臣オンリーの立ち位置ですよね?

なのに、久々登場の川口帰蝶姫染谷信長吉田久秀も、しゃべるしゃべる・・・

あんなに、内情や現況を、家臣でもない光秀にしゃべって大丈夫なんやろか?

幕府側は幕府側でアタック三淵さんや摂津鶴ちゃんは、ユースケ・アサクラの息子毒殺の件までサラッと話ちゃうし・・・

とは言え、染谷信長の天皇に対する姿勢は良かったですね。

これまでのドラマで描かれたように、天皇はおろか神や仏も「なんぼのモンじゃ!」てな姿勢ではなく、しっかりと天皇を敬い、
「褒めてくれてウレシイ」
素直にゴキゲンぶりを露わにしてました。

相変わらず、庭園やお屋敷のセットは圧巻ですし、画面も美しいです。

来週はいよいよ「金ヶ崎の退き口」ですね。

予告では長谷川光秀が
「織田信長は死んではならんのです!」
て叫んでましたが、やはり、幕臣のまま、信長様をお守りするのですね。

でも、「死んではならんのです」と言った人が、後に本能寺で・・・と思うと、ちょっと切ないですね。。。
来週も楽しみだけど

★これから描かれそうな出来事は…
朝倉関連
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 ●【手筒山・金ヶ崎城の攻防戦】>>
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描かれてないけど、すでに起こってる出来事
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 ●【信長が堺を攻撃】>>
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