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2020年11月19日 (木)

藤原兼経 ~五節舞姫の控室に立て籠り事件

 

万寿元年(1024年)11月19日、豊明節会の舞姫の控室に不審者が侵入しました。 

・・・・・・・・・・

藤原兼経 (ふじわらのかねつね)は長保二年(1000年)に、藤原道綱(みちつな)の三男として生まれます。

父の藤原道綱は・・・そう、あの『蜻蛉日記(かげろうにっき)の作者が、名前が残っていない女性で、今も藤原道綱母と呼ばれるところから、その名をご存知の方も多かろうと思いますが、

この『蜻蛉日記』を書いた道綱母という人は、最終的に関白太政大臣まで出世した藤原兼家(かねいえ)の、いわゆる側室で、正室時姫(ときひめ)という人との間に生まれていたのが、道隆(みちたか=長男)道兼(みちかね=三男)道長(みちなが=五男)の三兄弟で、ご存知のように、五男である道長は、平安の一時代を築く大物になる(12月4日参照>>)わけですが・・・(ちなみに道綱は兼家の次男です)

なので、側室の子である道綱は、正室腹の三兄弟と比べると、出世は大きく水をあけられた状態となっていたわけですが、例の花山天皇(かざんてんのう=第65代)出家事件(2月8日参照>>)に関与して、父=兼家の摂政就任に大きく貢献した事から、一気に出世街道に乗ります。

また、道綱と道長は異母兄弟の中でも、娶った奥さんが姉妹(ともに源雅信の娘)だった事もあって仲が良かったおかげで、道長が執政になると、その恩恵を受けて、またまた出世していく事に・・・

そんな頃に生まれたのが、今回の主役=藤原兼経さん。

なので、まだ子供の間に道長の養子となっていて、寛弘八年(1011年)に元服した時には、キッチリ、左大臣=道長の息子として、いきなりの従五位(じゅごい)に任ぜられ、以降、一気に出世の階段を駆け上り、19歳にして従三位(じゅさんみ)に任ぜられ、公卿(くぎょう=太政官の最高幹部)の仲間入りを果たします。

これは、道長の実子たちにも負けず劣らずの出世ぶり・・・

さらに治安三年(1023年)には参議(さんぎ=朝廷組織の最高機関)に任ぜられますが、その翌年、事件は起こります。

それは万寿元年(1024年)11月19日の事・・・

兼経が準備していた五節舞(ごせちのまい)の舞姫の控室に不審者が入り込んだのです。

五節舞とは、大嘗祭(だいじょうさい=新しく即位した天皇が新穀を神々に供えて食する宮中祭祀)新嘗祭(にいなめさい=天皇が新穀を神々に供えて食する毎年の宮中祭祀)の翌日に行われる豊明節会(とよあかりのせちえ)という祝宴の中で、歌人が歌う大歌に合わせて4~5人の舞姫が舞い踊るという日本の雅楽では唯一の女性が演じる舞いなのですが、

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五節舞之図(東京都立図書館蔵)

その舞を披露する美しい女性たちは、毎年、担当の公卿が用意する事になっていて、その年の担当が兼経だったのです。

つまり、兼経がチョイスした女性の部屋に誰かが侵入した。。。と、

しかも、その不審者は、部屋の中で「舞姫を懐(ふところ)に抱(いだ)く」という行為をしたのだとか。

この「懐に抱く」とは、もちろん、抱きしめる事ですが、この時代の王朝貴族の、それも文章に残す「懐に抱く」という語の中には、いわゆるH的な行為も含まれているらしい・・・ 

事件はすぐに発覚し、当然、この不届き者は、兼経によって捕らえられ、検非違使(けびいし=現在の警察・司法)に引き渡される事になりますが、この犯人は、公卿の藤原公成(きんなり)だと名乗って控室までたどり着いて強行に及んだものの、実は中納言藤原朝経(あさつね)従者の一人であった事が判明しました。

と、まぁ、不届きではあるものの、犯人が誰かも特定されて、事件は解決となるのですが・・・

ところがです。

事件直後から、今度は兼経が、その舞姫の控室から出て来なくなったのです。

翌日には朝廷の重要な儀式があり、兼経は、その監督役だったにも関わらず、
「胸の病が…」
「苦しくてたまらん!」
と言って、控室に籠りっぱなし・・・

儀式をすっぽかして女性の部屋に籠りっぱなしなのですから、もう何をやってるかは明らか。
(満年齢でいくと、まだ24歳だからなぁ~(#^o^#))

おそらくは、今回チョイスした舞姫の一人が、まえまえから「兼経さんがお気に入りの女性だった」という事・・・

そして、おそらくは、その彼女が、侵入した不審者が「懐に抱いた」彼女だったのでは?

以前も書かせていただいたように、平安時代の結婚は「通い婚」(1月27日の後半部分参照>>)・・・毎夜々々、男性が女性の家に行って××するパターンなわけですが(仲良くなれば、男性が女性の家に泊まりっぱなしもアリ)

最初の段階は、
高貴なお方なら歌を交わして手紙を出して…、
身分の低い人なら口笛吹いて「来たよ」の合図をして…

↑こういう段階を何度か経てから、女性側がOKなら「家に入れてもらう=夜這い(よばい)をかける」という感じになります。

今、「夜這い」と聞くと、男性天国の致したい放題のようなイメージを思い浮かべる方が多いですが、それは勘違い・・・夜這いには、女性側に完全な拒否権があります。

気に入らない相手だと断って良いし、断られた男性がムリヤリ女性の家に上がり込む事はダメです。
今も昔も無法地帯ではありません。

なんなら、平安のモテ男=平中(平仲)のように、家に上げてもらっても叶わぬ場合もあります(9月23日参照>>)

てなてな事を踏まえると・・・そうです。

今回の場合、不審者に侵入された舞姫の彼女は、拒否をしなかった・・・事になります。

つまり、侵入した彼の方が、舞姫の夫だったわけです。

しかし、その事実を知った兼経が、逆に、彼女を手放したくなく、部屋に居座りたおして引き籠って、何とか自分のモノにしようとしたのではないか?=つまり横恋慕した?という事が推測できます。

おそらく、平安時代の皆さまも、そのように思われたようで・・・

ここまで2段飛ばしくらいの勢いで出世の階段を上っていた兼経も、見事に昇進がストップ・・・13年後の長暦元年(1037年)になってようやく正三位(しょうさんみ)に叙せられますが・・・やっぱり、この一件が響いたのでしょうかね?~知らんけど。。。
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