色の日にちなんで~色の名称の成り立ち…基本は「黒白赤青」
1月6日は、「1=イ」「6=ロ」の語呂合わせから、「色の日」という記念日なのだそうで、今日は「色」のお話をさせていただきます。
と言っても、実は2012年の1月6日=色の日に、1度、色に関するお話をさせていただいており、その時は、色の持つ意味=イメージや、時代々々に流行した色・・・つまり色の歴史を中心にお話をさせていただきました(2012年1月6日のページ参照>>)
なので、本日は、いつか書きたいと思っていた色そのものの「名称」というか「色を表す言葉の成り立ち?」みたいなお話をさせていただきたいと思います。
とは言え、言葉の成り立ちなんて、それこそ遠い々々昔=超古代のお話で、そこかしこに想像の域を出ないお話も含まれておりますが、「一つの説」という事で、広いお気持ちでとらえていただけると幸いです。
・・・・・・
そもそも、言葉&名称という物は、日々生まれ、進化し、変わっていく物で、毎年、年末には『新語・流行語大賞』なんて物も発表されてますよね?
昨年は「3密」でしたか?
とは言え、今現在、毎年のように生まれる「新語」は、どちらかと言えば、これまでにある言葉を複数足して新しい解釈をしたり、もともとあった言葉を別の意味に使ったり、あるいは外国由来の言葉だったり・・・という場合が多いわけで、まったくの新しい言葉というのは、早々生まれる物ではありませんよね。
そんな中で、古代の人が言葉という物を持ち始めた頃、「火」や「水」や「花」といった形のある物の呼び名としての名称とは違う、形は同じでも見た目が違う「色」という物の名称に関して、どのように表現しようとしたのか???
実は、それが空だったと言われています。
確かに、空はいかなる時も空で、形は同じなのに、見る時間によって色が変わります。
そこで、まず、古代の人は、
漆黒に包まれた夜の空の色を「黒」と呼び、
日の出間近の白々となって来る空の色を「白」と呼び、
太陽が姿を現した朝焼けの色を「赤」と呼び、
太陽が真上に上がった晴天の空の色を「青」と呼んだのです。
これが、最初に生まれた基本かつ純粋な「色の名称」だったんです。
もちろん、世の中には、実際には様々な色の物があふれているわけですから、やがては、様々な色の呼び方が登場するわけですが、
それらは、
桃の花の色だから「桃色」
水の色に似てるから「水色」
お茶っ葉の色だから「茶色」
ムラサキ草の根っこの色だから「紫色」
てな感じの、先に物の名前があって、その物の色に似ているから名付けられた名称なのです。
いやいや…基本の色が4つって…
と思われるかも知れません。
また、基本の色というなら、
色の三原色に入ってる黄色は?
光の三原色の緑は?
って、思いますよね?
確かに、三原色は、様々な色を造るにあたって、
「この3つの原色があれば、その配合によってありとあらゆる色が出せる」
という意味で三原色ですが、純粋に日本語で色を表す名称か?と言えば、実は、そうでは無いのです。
そもそも「黄」という文字は、「光」と「田」という文字が合わさって誕生したとされる文字で、たわわに実った田んぼに光が当たる事によって黄金に輝く稲穂の色を表現した物なのです。
つまり、「桃の花の色だから桃色」と同じ経緯で誕生した名称・・・「稲穂に光が当たったような色」だから「黄色」なのです。
また、緑は、
「緑の黒髪」とか言われるように、本来の「緑」という名称は色を表す名詞ではなく、
「みずみずしさ」を表す言葉だったのです。
奈良時代に成立した『大宝律令』には、3歳以下の幼児を「緑」と称する規定があったそうですが、それも、人として生命力溢れる「瑞々しいさま」から例えられたもので、今でも、生まれたばかりの赤ちゃんの事を「嬰児と書いてみどり子」と呼ぶのは、「みどり」が、現在で言うところの「緑色」を表す単語ではなく、瑞々しい物を例える言葉だったからなのです。
これが、やがて、みずみずしい葉っぱの色を「緑」と呼ぶようになるわけですが、これが、平安時代頃だと言われています。
それまでは、葉っぱのような色は、先の4つの基本の色の中で、最も近い色である「青」と呼ばれていたのです。
なので、現在でも「青葉」や「青菜」と、平安時代以前に呼ばれていたであろう名残りの言葉がチラホラ残っているわけで、つまりは「緑」が色の名前とされるのは、先の基本の4つの色の名称より、はるか後の事というのがわかります。
さらに言いますと、先の4つの基本の色名が、純粋の色の名前だという証拠とも言えるのが、色の単語の後につける「い」です。
黒い、白い、赤い、青い、
この4つだけ、「い」をつけて色を表現しますが、他の色は
緑色、黄色、桃色、水色、紫色、
と、「色」の事を言ってるんですよ~と念を押すがの如く末尾に「色」という言葉をつけて話しますよね?
(黄色だけは「黄色い」という言い方があるので、ちょっと自信ないですが(^o^;))
つまり、かの基本の4色だけが別格=純粋な色の名称なのですよ。
そんな中、色の名自体は日本にて生まれた日本語ではあるものの、「基本の4色」という考え方は、おそらく大陸からもたらされた物だと思います。
(そもそも漢字が大陸からですので)
それがわかるのが『四神相応』思想です。
以前、平安京遷都のところでお話させていただきましたが、
古代中国で発生した、この『四神相応』の思想は、
この世界は、
東の川に棲む青龍(せいりゅう)
西の街道に棲む白虎(びゃっこ)
南の池に棲む朱雀(すざく)
北の山に棲む玄武(げんぶ)
という
「東西南北それぞれの方角に棲む4つの神(聖獣)に守られている地(または人など)は千年栄える」
という考え方で、
平安京は、東に賀茂川、西に西国街道、南に巨椋池(おぐらいけ=戦国時代くらいまであった池)、北に山(北山もしくは船岡山)のある、まさに「四神相応の地」であった…という事を、そのページに書かせていただきました(ページを見る>>)。
もちろん、その思想は、もっと早くから日本に伝わっていて、高松塚古墳やキトラ古墳の石室内部(→)にも、東西南北のそれぞれの方向に四神の絵が描かれていて、「埋葬された人を守る」意味があったとされています。
この四神の持つ色=イメージカラーが、実は、この基本の4色なのです。
東の青龍と西の白虎は、その名の通り、青と白。
北の玄武は、亀と蛇が合体したような聖獣で黒、南の朱雀は「鳳凰」あるいは「火の鳥」のようなイメージの聖獣なので赤で表現されます。
はたして、
空からイメージした4つの基本の色の観念は、四神相応の思想とともに日本に伝わったのか?
それとも、すでに古代の人々がイメージしていたところに四神相応の思想が伝わったのか?
おそらく、その解明は、あの卑弥呼の邪馬台国論争のように、一生物の研究になるであろうと思われますので、今日のところは、このへんで、おひらきとさせていただきたいと思います。
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コメント
黒、白、赤、青は束帯の基本色でもありますね。
もしかすると記事の故事に由来しているのでは?
白は天皇が着用する色。黒、赤、青は貴族の着用の色ですね。緑は見たことがないです。
直垂なら緑もあります。
聖徳太子の冠位十二階での官位別の色の序列にも通じますね。こちらでは紫が最上位です。
投稿: えびすこ | 2021年1月21日 (木) 11時37分
えびすこさん、こんにちは~
冠位十二階以来、長きに渡って「紫」が高貴な色ですね。
江戸時代には紫衣事件もありました。
投稿: 茶々 | 2021年1月22日 (金) 17時37分