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2021年5月25日 (火)

【平安京ニュース】式部省官僚・大江至孝による強姦未遂が殺人事件に…

 

平安京ニュースの時間です。

長和五年(1016年)5月25日未明、 洛中の観峯女さん宅に大江至孝容疑者が強姦目的で侵入したところ、関係者同士がもみ合いになり、1名が死亡した模様です。

・・・・・・・

今回、被害を受けた観峯女(かんぼうのむすめ)さんは、威儀師(いぎし=仏教の重要儀式を進行・指揮する僧)である僧の観峯(かんぼう)氏の娘で、すで他界した藤原致行(ふじわらのむねゆき)氏の妻でありましたが、式部省(しきぶしょう=文部省)の官僚で大学助(だいがくのすけ=官僚育成機関副長格)大江至孝(おおえのゆきたか)容疑者は、日頃から被害者に思いを寄せ、何度もストーカー行為を繰り返していたのが目撃されています。
(「僧侶なのに娘がいる」という事は、今回は棚の上に置いといてくださいm(_ _)m)

今朝未明、大江至孝容疑者は、被害者宅に強姦目的で侵入したものの、女性が抵抗し騒がれたため、事件に気づいて駆け付けた弟子たちともみ合いになっていたところ、異変に気付いた近隣の源澄政(みなもとのなりまさ)さん宅の警備を担当していた警備員によって、一旦取り押さえられました。

ここで身柄を拘束された大江容疑者は、この状況を打開すべく、摂政(せっしょう=天皇の補佐)藤原道長(ふじわらのみちなが)氏の三男で近衛中将(このえちゅうじょう=皇居護衛の副官)を務める藤原能信(よしのぶ)氏に相談し、加勢を依頼。

要請を受けた藤原能信氏が、即座に複数人(10人以上であったとみられる)の従者を被害者宅に派遣したところ、現場に到着した彼らは、大江容疑者を拘束して離さない僧侶たちと口論からのもみ合いになった模様です。

一部の目撃者からは
「まるで合戦のようだった」
との情報もある事から、近隣の住民が怯えるほどの騒動になったものと思われる中、何とか大江容疑者を奪い返した藤原能信の従者たちが、一路、帰宅しようとしたところ、

興奮収まらず、凶器を持って追いかけて来た弟子の僧侶が、藤原能信氏の従者の一人を殺害。

すると、仲間が殺害された事に憤慨した藤原能信の従者たちが、さらに多くの仲間を連れて再び被害者宅に戻って来て暴れはじめ、金品を略奪し、邸宅を破壊し、観峯女さんを拉致、連れ去りました。

そのまま、藤原能信氏宅に連れ込まれそうになった観峯女さんは、途中、何とか自力で逃走し、その身に危害を加えられる事はありませんでしたが、その邸宅内は、目撃者が
「値打ちのある物や使える物は、すべて無くなっていた」
と語るほどひどい物であったようです。

現在、検非違使(けびいし=検察)観峯女さんの身柄を拘束して取り調べを行っています。

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↑新聞風にしてみました

・・・・・・・・・

と、まぁ、これが、
世界最古の直筆日記としてユネスコの世界記憶遺産にも登録されている、あの『御堂関白記(みどうかんぱくき=藤原道長の日記)をはじめとする、複数の公家の日記に登場する事件の概要ですが、、、

「おいおい!なんで被害者が検察に拘束されて取り調べられなアカンねん!」
をはじめとして、事件そのものも大概なものの、それよりも、この後の事件処理が「さすが平安時代」と言えるトンデモな状態になっております。

そもそも、強姦に入った男が侵入先で捕まったのを、
SPが助けに行く…って!!
ほんで、殺人事件に発展する…って!!
しかも、それに怒って報復襲撃する…って!!

さすがに、強姦男を加勢した藤原能信は、
「これは、マズい!」
と思ったのか?

朝になって、慌てて父の道長のところに弁明に行きますが、すでに道長はメッチャ怒っていて、
「言い訳は聞きたない!」
と言って能信を追い返したそうです。

ただ、今回の能信さんの場合は、ひょっとしたら「大江至孝が観峯女を強姦しようとして捕まったのだ」という事を知らず、単に至孝から連絡を受けた時には「友人がゴロツキに絡まれて困ってる」と思って加勢の従者を差し向けた可能性もあります。

だって、藤原能信は現場には行っておらず、「助けて来たって」と下人に指示を出しただけなので、それだけだと、かなり罪は軽いし、何なら、指示を受けて向かったうちの一人が殺されてるわけですから、考えようによっちゃぁ、相手(僧侶)が過剰防衛の可能性もあるわけで・・・

…って弁護している場合ではないな。。。(^^;;)アセアセ

なんせ結局、この事件は
実行犯だった下っ端の3名のみの逮捕だけで、あとはウヤムヤにされてしまうのですよ。

本家本元の容疑者である大江至孝でさえ、最初は逮捕する方針で捜索していたものの、事件後の彼が身を隠していた場所が内大臣(ないだいじん=左右大臣に次ぐ3番目)藤原公季(きんすえ)の邸宅・・・

しかも、その公季の息子は捜査する側の検非違使の現役長官と来たぁ~!

SPに加勢され、大臣の息子の検察庁長官が助け船を出す・・・って時点で、今回の犯人=大江至孝という人の立ち位置もお察し、、、

…で、
最終的に大江至孝が逮捕されたかどうかも記録に残っていない、何ともスッキリしない結末となってしまうのです。

まぁ、記録に残ってないので逮捕されてない」とは言い切れないものではありますが、

ただ、その検察長官の公季の息子が、事件の2ヶ月後に長官を辞任してますので、やはり何かしらの後ろめたさ的な物があったのかも知れません。

とにもかくにも、強姦未遂に誘拐未遂に略奪の被害者となられた観峯女さんがお気の毒でならない、後味の悪い事件な感じがします。
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