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2021年6月 3日 (木)

伊丹康勝と紙と運~「康勝格言の事」…常山紀談より

 

承応二年(1653年)6月3日、江戸前期の旗本で勘定奉行を務めた伊丹康勝が死去しました。

・・・・・・・

伊丹康勝(いたみやすかつ)伊丹氏は、鎌倉末期から南北朝の時代に、伊丹城(いたみじょう=兵庫県伊丹市)を本拠として伊丹周辺を手中に治めていた国人(こくじん=地侍)として史料に登場しますが、戦国時代に入って細川管領家内の闘争(1月10日参照>>)に巻き込まれて城を失い、各地を転々とした後、康勝の父の代になって甲斐(かい=山梨県)武田勝頼(たけだかつより)に仕えたものの、その武田が織田信長(おだのぶなが)によって滅ぼされた(3月11日参照>>)ため、今度は徳川家康(とくがわいえやす)の家臣となりました。 

Tokugawaieyasu600 その父が家康に仕えるようになった頃には、家康の通字(とおりじ=代々使用する字)でない方の「康」の文字を賜って伊丹康直(やすなお)と名乗る事でもわかる通り、家康からの信頼がかなり厚かった事から、

息子の伊丹康勝も同じく「康」の文字をいただき、10歳頃から家康の三男で嫡子(ちゃくし=後継者)德川秀忠(ひでただ)に仕え、秀忠が将軍職を継いでからは、幕府政策にも関わり、その息子である第3代将軍=徳川家光(いえみつ)の元でも手腕を発揮し、老中(ろうじゅう=江戸幕府最高職)並みの扱いを受ける大出世を果たしていました。

ま、一般的には、あまりに権力を持ち過ぎたここらあたりで、その横暴ぶりが目立つようになったため、家光の命にて失脚させられ、後に復帰するも、かつての勢いなく、寂しい晩年を送った後、承応二年(1653年)6月3日79歳でこの世を去った・・・とされますが、

一方で『常山紀談』には、その名言とも格言とも言える言葉が残っているのです。

・・・・・・・

伊丹康勝が甲府城(こうふじょう=山梨県甲府市)城番(じょうばん=城代の補佐)をしていた頃、

公儀に高額の運上金(うんじょうきん=営業税)を納めて、甲斐にて産出される鼻紙(はなかみ=ティッシュ)の商いを一手に引き受けている商人がおりましたが、

ある時、別の商人が、
「ソイツが納める金額に1000両上乗せして運上金を納めますよって、鼻紙の商いは私一人に任せてもらえまへんやろか?」
と言って来ました。

評議では、
「えぇ話やないかい」
「それで、決めよう」
という方向に話が進みかけますが、

康勝が、ただ一人
「僕は納得できません。反対です」
と言って、それを許しませんでした。

しかし、諦めない商人は、さらに執政(しっせい=政務)の老中にまで、その旨を訴えて退き下がりません。

やがて3年ほどゴチャゴチャやっていた中で、執政から直接、康勝に対して
「皆が賛成やって言うてるのに、一人反対してるそうやないか。
天下国家の利益から見たら、たかが1000両は大した事やないけど、それでも少しは国家の費用の足しになるやろ。
利益につながる事やのに、なんで?反対するんや?」
と質問されてしまいます。

すると、康勝は、
「もし、この世に『盗賊が出ない方法』っちゅうのがあるんなら、僕も賛成しますけど(…それが無い以上賛成できない)
と答えました。

居並ぶ人々が
「それは、どういう意味?」
と、ざわつく中、康勝は、おもむろに・・・

「日本が世界に誇れる産物は紙です。
中でも、鼻紙は、上級国民も貧しい者も、同じように一日たりとも無くてはならない日用品です。
そういう物は価格が安いからこそ、皆が購入でき、世の中にためになってるんです。

たかが1000両…て、言わはりますけど、その1000両は、どこから産出されるんです?
おそらく多少価格が上がっても、買う人は買うから、同じ利益を得ようとする商人は、その価格を上げて…つまりは、運上金ぶんを上乗せした価格で販売するようになると思います。

一~二銭値上がりしたところで富裕層は何ともないでしょうけど、貧困層にはキツイ…その一~二銭で家族を養ってる人も、世の中にはいっぱいいてはるし、その人たちも鼻紙は毎日使うんです。

もちろん、別の商売をしてる商人も鼻紙は使いますから、そんな必需品が値上がりすれば、当然、他の品を扱う商人も、自分とこの品物を値上げして、損失を抑えようと考えます。

世の中、一つの物が値上がりすれば、我も我もと、ドンドン他の物も値上がりしていくもんです。

そうなると貧困層は、飢え凍え、やがて死んでいきます。

飢えや凍えで死なんのは、上級国民だけですわ。

そんな中で、どうせ死ぬなら、一日でも長く、少しでも幸せに…と思うのは当然の事。

こうして盗賊は生まれるんです。

これは貧しい農民や商家だけの事ではありません。

皆さんが召し抱えている下男や下女かて、物の値段が上がって買えなくなったら「盗もう」と考える者も出て来るかも知れません。

そうして盗みが盛んになって、世の中盗賊だらけになったら、政権を担当してはる皆さんは、どうやって止めはるおつもりですか?

盗みは貧しさから起きる事も多々あると思います。

それ以上に、アカン事は、
幕府が民に利益を競争させるような事を許し、しかも、その利益を幕府に上納させるやなんて…

そんな事して、天下の風をそっち向きにしはったら、善人までもが、ちょっとでも利益を出そうとし始めるでしょう。

それは『盗みせぬ盗人』で、実際に盗みをする事より厄介でっせ。

天下を安全に保てば、それは、すべて天下の宝となりますから、幕府が、チョイと節約に務めれば、一年間で相当な額が得られるはずです。

たかが1000両の金を増やそうとして盗賊を起こさせ、天下を乱すような事をするのは
『身の肉切りて飢えを救う(自分の身を切って食し、飢えをしのぐ)』ような物・・・腹が満ち足りた時には、その身も終わるという事です。

だいたい、物の値段が上がっていく時は、運上金が原因の事が多いです。

僕は、すでに年老いたので、もうすぐ死ぬでしょうけど、おそらく、この後も同じような事を言うてくる人がおるはずですから、くれぐれも、今日の事を、心に止めておいてください」

この大演説に、周囲にいた人々は大いに感心したのだとか・・・

・・・・・・・

なんか・・・今聞いても、納得する発言ですね~

江戸の初め、徳川家康や秀忠とともに戦い、旗本として勘定奉行を務めて老中並みの権力を持つほど出世をし、徳美(とくみ=山梨県甲府市)の初代藩主にもなった伊丹康勝・・・こんな良い発言が残ってるのに、やっぱり、晩年は寂しかったのかなぁ。。。

権力持つと、人はやっぱ変わるのかなぁ。。。
色々と、複雑な思いがします。
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コメント

いつもためになるお話有難うございます。

今日のお話も、凄くいいお話でしたね。

友人に「伊丹くん」という人がいて、遠くは(戦国時代)には伊丹の「伊丹家」の出だったのではと言っていますので、このお話を彼に伝えたいと思います。

投稿: シロスキー | 2021年6月 3日 (木) 09時06分

シロスキーさん、こんばんは~

そうですか。。。
やはり、伊丹さんは伊丹さんのご子孫かも知れませんね。
良い話は、聞いててほっこりします。

投稿: 茶々 | 2021年6月 4日 (金) 04時43分

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