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2022年1月31日 (月)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第4回の感想

いやぁ~オモシロイですね~

私的には、こういう感じ好きです。

新垣さん演じる八重姫に関しては、子供を殺され、頼朝と引き離された後には入水自殺した…なんて話もあって、これまで悲劇的な描き方しかされて来なかったので、新垣さんがキャスティングされた当初は、
「ガッキーかわいそう」
「ガッキーが不幸になるとこ見たくない」
なんて意見がSNS等で見られ、

いったいどんな風になるのだろう?
と思っていましたが、いやはや、強い強い!

不幸一辺倒ではない、強い意志を持った女性に描かれたところは、お見事ですね~

…にしても、

西田法皇様の「ステキな金縛り」風や、
宮沢りく様の「くじは、全部17日にしておいたわ」
のコーナーは、物語の遊びとして棚の上に置くとして、

「300は集まる」
と言っていた兵が、わずか18人しか集まっておらず、

しかも、老人のお茶飲み場のようになってる光景を見て、あきれて発した大泉佐殿の、
「ちょっと…いいかな」
は完全に、大泉頼朝ではなく、大泉洋さんでしたね(笑)

さらに、その後も、
「田舎者に頭下げられるか!」
からの、
「ここだけの話、ワシが1番信じているのはそなた!」
と、助太刀に来た坂東武者たちへの涙流さんばかりの接待ぶり…

まるでコントのような流れでしたが、
実は、コレは『吾妻鏡』に登場する、一応史実とされている事…

もちろん『吾妻鏡』も北条氏の公式文書とは言え、すべては鵜呑みにできませんが、もともと史料が少ない、ここらあたり…『吾妻鏡』の内容を描くのはアリです。

なんせ、(ちょっとネタバレなりますが…)
この後、石橋山の戦いで敗れ、もはや数人の護衛だけ連れて敗走する頼朝が、挙兵した伊豆から、舟で海を渡って房総半島へ行き、そこから東京湾づたいに進んで鎌倉に入るまで、行く道筋で徐々に仲間を増やしていく時など、

ある人には、今回のような、涙ながらのお礼を言って感激したのに、
ある人には、
「真っ先に来てくれるかと思てたのに、えらい遅かったの~」
と高飛車に出てみたり、

実際の頼朝さんも、相手によって、その態度を変えてるように見受けられる部分もあるので(あくまで私見です)

頼朝本人の資質なのか、北条家のアドバイスなのかはともかく、
そこらへんの駆け引きがウマかった事は確かだと思います。

おふざけのように見えるこの流れですが、実際にも、こんな感じだったんじゃないか?と個人的には思っています。

たとえば戦国時代だって、あの大坂の陣の時なんか、

徳川家康との婚礼の日取りが決まっていた淀殿が、大野治長と高野山に逃げてドタキャンしたとか(参照>>)

冬の陣で博労淵を奇襲されたのは、そこを守るはずだった薄田隼人が、前夜に遊郭で遊び惚けて戻って来なかったからとか(参照>>)

その薄田隼人と後藤又兵衛が夏の陣の道明寺誉田の戦いで討死したのは、前日に「夜明け前に3人で道明寺で敵を迎え撃とう」と、彼らと約束していた真田幸村(信繁)が寝坊して遅刻したためとか(参照>>)

(もちろん、これも絶対正しいとは言えないものの…)
「ウソやろ!」
というような逸話が残ってたりするものです。

私は、こういう人間味あふれる逸話が大好物なのですが、武将のカッコ良さを描く時代劇では、そんな場面は出てきませんからね~
(ちなみに幕末の王政復古の大号令での岩倉具視のあたふた感(参照>>)も好きですww)

なので、今回の頼朝軍のドタバタ感や、
大泉頼朝の二股膏薬的なシーンは、本当に良かったと思います。

これからも楽しみです。

★ブログでの関連ページ
 ●【頼朝挙兵】>>
 ●【石橋山の戦い】>>
 ●【衣笠城の戦い】>>
 ●【頼朝に味方した葛西清重】>>
一連の流れは
 【平清盛と平家物語の年表】でどうぞ>>

「鎌倉殿の13人」第1回の感想はコチラ>>
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