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2022年11月 1日 (火)

藤原道長の乱痴気宴会で初登場~紫式部の『源氏物語』

 

寛弘五年(1008年)11月1日、時の左大臣=藤原道長が自邸にて大宴会を催しており、そこで『源氏物語』の事が初登場します。

・・・・・・・・

平安時代中期に成立した日本の長編物語『源氏物語』。。。

写本に写本が重ねられ、その内容も微妙に違い、その題名すら、

「源氏の物語」「光る源氏の物語」「光源氏」「源氏の君」 という主人公の名前由来のほか、
「紫の物語」「紫のゆかりの物語」など、光源氏の奧さんで理想の女性として描かれる女主人公の紫の上(むらさきのうえ)の名前由来で呼ばれたりもしています。

作者も、一般的には紫式部(むらさきしきぶ…実名不明で、この紫も源氏物語由来らしいけど)とされますが(7月30日参照>>)、女性が書いたとは思えない男性目線な部分もあり、
作者は男?…いや複数で書いた?なんて事も言われていますね。

そんな中で、
「平安時代中期に成立した」
「作者は紫式部」
というのが一般的な定説とされるのは、

Murasakisikibu600at 実は、紫式部自身が書いたとされる『紫式部日記(むらさきしきぶにっき)に、宮中の人々の生活ぶりや人物評、自らの人生観に加え、

エゴサーチしたであろう自作小説『源氏物語』の世間の評判についても、アレコレ書いてあるからなのですが、

 .
中でも、寛弘五年(1008年)11月1日の記述に、ハッキリと『源氏物語』の事が書いてあり、これが史実と思われる文書に登場する『源氏物語』の初の記録・・・という事になります。
(なので11月1日は「古典の日」という記念日なのだそうです)

とは言え、日記の内容は、かなりムチャクチャです。

なんせ、
冒頭に書いた通り、この寛弘五年(1008年)11月1日藤原道長(ふじわらのみちなが)が自宅で宴会を開いて、それが、大物揃いなワリには、かなりハチャメチャで無法地帯なランチキ騒ぎだったわけで・・・

もちろん、そこに紫式部も同席していたので日記に書いてるわけですが、

・‥…━━━☆

何か知らんけど、この日の道長はかなり機嫌が良くて、宴会が始まった頃には、すでに道長はデキあがっており、紫式部のケツを追いかけまわして
「和歌を歌え!」「はよ歌え!」
とカラオケを無理強いする中年上司の如きありさま。。。

一方、右大臣の藤原顕光(あきみつ)は、そばにあった布製の調度品のほころびを見つけて、そこを引き破るという遊びを実行中・・・
それに気がついた女房が、トントンと背中を叩いてたしなめると、今度はその女性に卑猥な言葉を浴びせつつカラむ・・・

内大臣の藤原公季(きんすえ)は、息子の実成(さねなり)が昼間の儀式で、ちゃんとした作法ができた事に感激して、大声でオイオイと泣き倒す始末。。。
(↑息子言うても、もう30過ぎてんねから、できて当たり前)

権中納言の藤原隆家(たかいえ)は酒癖が悪いのか?スケベなのか?
一人の女性についきまとい、着物つかむわ、腕をつかむわ

さらに宴会場の一郭を見てみると、藤原兼隆(かねたか=道長の甥)とともにいる道長の息子たちがヘベレケ状態だったので、紫式部は彼らを避けるようにして、まだ、まともに見える藤原実資(さねすけ)のもとへ・・・

そんな実資は、周りの女性たちが着ている着物の枚数を数えるのに夢中で(←酔うとるがなww)、すでにゴキゲンなご様子でしたが、

紫式部が、試しにマジメな質問をすると、ちゃんとした答えが返って来たので
「この人は大丈夫やな」
と思ったとか・・・

そこへ割って入って来たのが、中納言の藤原公任(きんとう)・・・彼は、後に『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)の撰者として知られる事になる歌人で、芸術的センスのある人なのですが、

やはり、かなり酔っていたのか?
紫式部に向かって
「あなかしこ此のわたりにわかむらさきやさふらふとうかゝいたまふ…」
 
「スンマセンwwこのへんに若紫さんがいてはる~って聞いて来たんやけど…」
と言ってきたのです。

「若紫」とは、(物語上で言葉として出て来るわけではありませんが…)暗に、源氏物語の女性主人公である紫の上の少女時代の事を指します。

この場合は、紫式部に向かって、この言葉を放ってるわけですから「若紫」とは紫式部の事?

理想的な女性として描かれる紫の上の、さらに純真無垢な少女時代となれば、美しい人に例えられて、さぞかし…って思うものの、

ちょっと待ったぁ~~~

この時の紫式部は・・・
生年が不明だし、同母の兄弟と思われる藤原惟規(のぶのり)が天延二年(974年)頃の生まれとされながらも、兄なのか?弟なのか?も不明なので、あくまで予想ではありますが、

高齢出産も厭わない今と違って、この時代は一人の女性が子供をもうける年齢には限りがありますから、そこンとこを踏まえれば、おそらく紫式部も、20歳はとっくに過ぎた…ひょっとしたら20代後半か30歳近い年齢でしょ?

現に、道長の長女=藤原彰子(しょうし)の家庭教師として迎えられた時点で、彼女は、すでに夫と死別し、子供もいたわけですから、、

そんな彼女に「若紫」呼ばわりは・・・
完全におちょくってますよね?

これに対する紫式部の返事は・・・

実際には、黙って退いたらしいですが、日記の中での心の叫びは
(この場に)光源氏みたいなええ男がおらんのに、紫の上がおるわけないやろが!」
と、かなりご立腹だったとか・・・

ただし・・・
オッサンが女子を追いかけたり、調度品を壊したり、泣き叫んだり、修羅場となったこの日の宴会ではありましたが、

平安貴族の宴会と言えば必ず…と言って良いほど定番な
暴力沙汰にはならなかったようなので、今回ばかりは、意外と、楽しい宴会だったのかも知れません。

Murasakisikibu800
彰子(左)に『白氏文集』を説く紫式部(右)『紫式部日記絵詞』

とにもかくにも、この日の紫式部の日記に登場した『源氏物語』の話が日本初の記述・・・

少なくとも、この頃には『源氏物語』が形になっていたし、周囲も知ってる有名な物語となっていた事がわかるわけです。
 .

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平安時代」カテゴリの記事

コメント

茶々様
おはようございます。

日記て貴重ですね。千年前の宴会の様子がわかるのですね。
貴族の偉いオッサン達も酒癖が悪くてスケベイやったのですね。
私は前期高齢者なんですが、昔、会社勤めしてる頃は、セクハラとかパワハラとか言った概念がなくて、オッサン達は横暴でしたよ。
紫式部くらいの出来る女ならば軽くあしらえたのでしょうね。

投稿: 浅井お市 | 2022年11月 1日 (火) 04時12分

浅井お市さん、おはようございます。

ホントに…
日記は貴重ですね。

おそらく、再来年の大河も、貴族たちの日記の内容が中心となるのでしょうね。

平安貴族は、意外にスケベで暴力的なので、びっくりするようなドラマになるかも…

投稿: 茶々 | 2022年11月 1日 (火) 06時38分

藤原道長は再来年の大河ドラマが意外にも大河ドラマ初登場(演者・柄本佑)の人物になるかな?彼の子孫にあたる人は過去に何人も出ていましたが。
テレビ以外だと源氏物語を題材にした映画作品では21世紀になってからも何作かあります。

投稿: えびすこ | 2022年11月12日 (土) 15時47分

えびすこさん、こんばんは~

「源氏物語」は、これからも何度となくドラマ化されるでしょうね~

たぶん、100年後も200年後も…

投稿: 茶々 | 2022年11月13日 (日) 04時42分

茶々さん、こんにちは。
再来年の大河の宣伝では藤原道長について「紫式部と強い絆で結ばれた」と説明されていましたが、道長にも紫式部にもそれぞれ家庭を持っているのに、まるで道長が紫式部の運命の相手みたいな言い方だなと思いました。
いや、淀殿と大野治長もそうですが、フィクションなら誰とでも結び付けてもいいと一応思ってますけど。

平安貴族は意外にも…といわれたら、言うまでもないことですが、LOVEを掲げた戦国武将も、女子供は斬れない戦国武将も現実にはおりませんですよ(涙)。
そういえば、源氏物語でも車争いで、従者達が野球の乱闘のごとく暴れ回るシーンがありましたっけ。
ついでに、時代が近い中世ヨーロッパでは都市部の若者は喧嘩が娯楽なんだそうで、偉い人が止めるまで乱闘が大きくなることもあったそうです。
ドン・キホーテ(小説)は中世騎士道に憧れている主人公なのに、イメージが違う気がしますが、そのドン・キホーテも喧嘩シーンが多かったりします。
現実は荒っぽいけど、理想像は物語に残すというのは万国共通なのかもしれませんね。

投稿: 禿鼠 | 2022年11月17日 (木) 12時03分

禿鼠さん、こんばんは~

やはり主役のお相手は有名人でないとならないんでしょうね~

ドラマですから、歴史が好きでない視聴者の方でも名前をご存知の方でないと無理なんでしょうね。

なんか「華麗なる一族」みたいなドラマになるって聞いたので、意外にバトル満載になるのかも…楽しみですね。

投稿: 茶々 | 2022年11月18日 (金) 03時48分

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