平安京ニュース~藤原頼行が藤原能信の従者を殺害
長和三年(1014年)12月15日、強姦をたくらむ藤原頼行の手助けに派遣された藤原能信の従者が、頼行に殺害されました。
・・・・・・・
第67代三条天皇(さんじょうてんのう)の時代の長和三年(1014年)の事。
右近衛将監(うこんえのしょうげん=宮中の警護役の3等官)を務めていた藤原頼行(ふじわらのよりゆき)。。。
その父は、時の鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)を務めていた藤原兼行(かねゆき)という事なので、その息子の頼行も平安貴族としては、なかなかの上級お坊ちゃんだったと思われます。
なんせ鎮守府将軍というのは、古くは国内ただ一人の将軍で、あの坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や藤原秀郷(ふじわらのひでさと)も任命された要職で、部門の栄誉とされる地位ですから、今で言えば自衛隊のトップか警察のトップ・・・
…で、そんなボンボン藤原頼行には、ここのところ、気になる女性がいました。
近江国(おうみのくに=滋賀県)の女性・・・という事だけで、くわしくはわからないのですが、この時代の事ですから、おそらくは大津(おおつ)あたりの、都からも近い場所に住んでいたのでしょうね。
ところが、そんな彼女は、どうやら藤原頼行には気が無い様子・・・
もちろん彼女の気持ちなど、記録に残るはずは無いので、あくまで想像ですが、このあとの頼行の行動を見れば一目瞭然。。。
なんと!頼行は、彼女を強姦しようと企てるのです。
しかし、この時代、、、若い女性が一人で街中をブラブラする事は、ほぼ無いですから、
「強姦する=彼女の家に行く」事になるわけですが、
どうやら頼行さん・・・自身の腕に自信が無かったのか?
とにかく
「一人で行くのは、ちょっと…」
と尻込み。。。
そこで、お友達の藤原能信(よしのぶ)君に相談します。
なんせ、能信君の父ちゃんは、今をときめく藤原道長(みちなが)・・・姉ちゃんの彰子(しょうし・あきこ)ちゃんは先代の一条天皇(いちじょうてんのう=第66代)に嫁いで親王(後の後一条天皇)まで産んじゃって、もはやイケイケが止まらない状態ですから、怖い物なんてありゃしない。
すると、案の定、
「腕っぷしのえぇ奴、出したるさかいに…」
と、なんと!強姦の手助けを快諾してくれたのです。
かくして、能信君が派遣してくれる事になった従者とは
「山科(やましな=京都市山科区)で落ち合う」
との約束をして、
長和三年(1014年)12月15日、頼行は、いそいそと(強姦しに)出かけました。
ところがドッコイ、
山科で合った二人は、出会うなり口論となります。
その口論の内容は記録されていないので、何でモメたか?は想像するしかありませんが、
上記の流れを見る限り、おそらく派遣されて来た従者は、屈強で武に長けた人物なはず・・・
それが、
「自分が派遣された理由が、か弱い女性を強姦するためだった」
と知ったら・・・
「僕にはできません!帰ります」
と言ったか、あるいは、
「強姦なんていけません…止めましょう」
と頼行を諌めたのかも知れません。
てか、普通はそうなりますよね?
頼行:「強姦するから誰かよこして~」
能信:「あいよ~!」
て、なる方がオカシイ。。。
…で、口論の末が、やがて合戦に発展し、この従者は頼行によって射殺されてしまったのです。
こんなので「合戦」というのもおかしな話ですが、やはり、この話が出て来る藤原実資(さねすけ)の日記=『小右記(おうき ・しょうゆうき)』には、ハッキリと「合戦」と書いてある。
おそらくは、私たちが「合戦」と聞いて思い描く、源平やら戦国やらの合戦とは違うのでしょうけど、互いに矢を射かけたり、刀を抜いたりして刃傷沙汰になった事は確かなのでしょう。
上記の通り、屈強な従者が一人、亡くなってるわけですから・・・
しかし今回も・・・
安定の、お咎めなし。
なんせ、藤原頼行は、この8年後の治安二年(1022年)に、父と同じ鎮守府将軍に任命されているのですから・・・
「強姦やら殺人やらする奴が何を鎮守すんねん!」
とツッコミたくなりますね~ホンマ
とは言え、一方で、歴史好きとしては、
「この時代あたりは、こういう行為が罪とされていなかった」
という事実も踏まえておかねばなりません。
一般的には、この後の鎌倉時代、
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でお馴染みの北条泰時(ほうじょうやすとき)が貞永元年(1232年)に定める『御成敗式目(ごせいばいしきもく)』(8月10日参照>>)、
そこに、
「謀反・殺人・山賊・海賊・夜討ち・強盗などは重罪」
と明記された事で、初めて「重罪」と認識された・・・と考えられています。
(その他、数々の違法行為は上記リンク↑からご覧あれ)
つまり、それまでは、
「人としてアカンやろ」
「人道的観点からNG」
「怨霊とかコワイねんけど」
とは思いながらも、殺人等が正式な罪とされていないと同時に、それを裁く法律も無かったわけです。
(もちろん、一つ一つ個別対応はしてたと思いますが…)
なんせ、今回の藤原頼行の事件でも、上記の通り、その行為は「合戦」となっているわけで…合戦なら人を殺害しても殺人罪にはなりませんものね~
そこらへんの、個人の事件と合戦の定義や区別等も、曖昧だったのかも知れません。
とは言え、
再来年の大河ドラマ「光る君へ」は、そんな平安時代を描くわけですが、そこらへんの、現代人との「認識の違い」「価値観の違い」はどのように処理されるのか?
個人的には、とても期待しております。
なんせ、大河で描く平安時代ですから、
脳内夢物語=美しい創作の『源氏物語』とは違うわけですからね~
もう、ワクワクです(^o^)
ちなみに、今回、強姦のお手伝いを快諾した藤原能信さんは、この2年後にも強姦未遂犯に関与してますが、そのお話は「平安京ニュース」5月25日号でどうぞ>>
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